段は、六から二十のあいだに収まる——リュノワール・プッサン・ブロンデルほか九点
数え直す
九点を並べ直したい。
階段が描かれているのは、七点。
梯子が一点、階段の描かれていない素描が一点である。
階段に人がいるのは、七点のうち六点。
人のいない階段は、一点だけだった。
上っている人と下りている人を分けると、下りているほうが多い。
はっきり下りているのは三点、上っているのは一点である。
残りは、立ち止まっているか、座っている。
階段は通る場所だが、絵では止まる場所として描かれやすい。
これは、前に見た廊下と同じ傾向である。
階段の絵は、縦にも横にもなる
判型を並べておきたい。
九点のうち、縦長が五点、横長が四点だった。
縦長になるのは、階段を見上げる構図である。
高さを見せたいので、画面も縦になる。
廃墟の外階段、円天井の階段、ヴァチカンの階段。
いずれも縦の紙に描かれている。
河岸の階段も縦長だった。
こちらは、上の人と下の人を離して置くためだろう。
横長になるのは、階段が横に伸びる場合である。
聖家族の油彩は、105.8センチの幅がある。
高さは73.3センチだから、およそ三対二。
広間の素描も45センチの幅を持つ。
河岸の写真も、横長の画面である。
町が横に広がっているからだ。
判型は、階段の向きに従っている。
そして階段の向きは、その場所の作りに従っている。
つまり紙の形は、建物の形の写しでもある。
紙の形から、描かれた場所の性質が推せる。
もちろん、逆の例もある。
素描帖の一葉は横長だが、階段は描かれていない。
決められた帳面の形が、先にあったからである。
影は、段の縁に溜まる
段は、影の作り方が独特である。
平らな面と、垂直の面が交互に並ぶ。
光が斜めから当たると、垂直の面だけが暗くなる。
その結果、縞ができる。
九点のうち、その縞がはっきり出ているのは四点だった。
河岸の階段では、石の段が明暗を繰り返す。
ヴァチカンの階段でも、奥へ向かって縞が続く。
メゾチントという技法は、暗い面を作るのに向く。
館の記述も、この技法が柔らかく深い黒を作ると書いている。
聖家族の油彩では、段の縞がごく弱い。
光が正面から当たっているためだろう。
その代わり、人の衣の色が段の代わりを務める。
赤、青、黄が横に並び、面を分けている。
影の縞は、廊下の柱の影と同じ働きをする。
等間隔の繰り返しが、距離を測らせる。
違うのは、階段の縞が上下に積み上がることだ。
廊下の縞は前後へ、階段の縞は上下へ伸びる。
同じ規則が、向きを変えて現れている。
記録には、疑問符が多い
今回の九点には、確定していない記録が目立った。
数えると、四点にあたる。
制作年に疑問符が付くものが一点。
題の一部に疑問符が入るものが一点。
書き込みの読みが不確かなものが一点。
題と裏書きの場所が食い違うものが一点ある。
さらに、かつて別の画家の作とされていた形跡が残るものもあった。
台紙の裏に、その画家の名が書かれている。
館は、いずれも消さずに残している。
分からないことを、分からないまま公開する。
これは公開データの基本的な態度である。
使う側からすると、扱いに注意が要る。
疑問符の付いた年を、確定した年のように書いてはいけない。
だから当社の記事でも、そのまま疑問符の意味を書き写している。
階段は、時間を刻む
数えた結果から、一つのことを言いたい。
階段は、廊下と似た働きをしている。
同じ形を等間隔で並べ、そこに数えられる規則を作る。
廊下では柱が並び、階段では段が並ぶ。
違うのは、階段には高さがあることだ。
高さがあると、そこに上下ができる。
上下ができると、画面に力の差が生まれる。
上にいる人と、下にいる人。
荷を背負って下りる人と、待つ人。
聖家族の絵では、上の段に座る人が中心になる。
廃墟の素描では、下にいる三人が小さく見える。
階段は、位置の差をそのまま画面に持ち込む道具である。
そのうえ、段は数えられる。
数えられるものが並ぶと、時間が読める。
一段ずつ上る時間が、画面のなかに畳まれている。
記録は、段の高さを書かない
最後に、記録の欄を確かめておきたい。
九点の記録に、段の高さや幅を書く欄はない。
書かれるのは、作品そのものの寸法である。
画面、紙、台紙、額。
多いものでは四通りの寸法が並ぶ。
版画の一点は、画面と紙と台紙の三つが書かれていた。
油彩の一点は、額込み、額なし、かつての寸法の三つである。
作品の大きさは、こうして何重にも測られる。
だが、描かれた階段の大きさは一度も測られない。
測るとすれば、画面の人物と比べるしかない。
人の背丈を基準にして、段の高さを推す。
その推し方は、廃墟の素描でも試した。
もちろん、正確ではない。
だが、記録に数字がない以上、それしか手がない。
画像から測れることと、記録に書いてあること。
その二つは、重なっていない。
重なっていないから、両方を見る必要がある。
段を数えるのは、画像を見る側の仕事である。
寸法を写すのは、館の仕事である。
その二つを並べて書くのが、この連載の形になっている。
今回も、六点で段を数えた。
数えた結果は、六から二十のあいだに収まった。
その範囲が、絵に収まる階段の大きさなのだろう。
二十段を超える階段は、たいてい途中で影に消える。
消えた先は、記録にも画像にも残らない。
そこから先は、見る人が想像するしかない部分である。










