作品を知る

暑さは描けず、涼みが描かれる——歌麿・円山応挙・ピュヴィスほか九点

夏(四季より)
ヴェンツェスラウス・ホラー《夏(四季より)》1643年から44年。館の記録では、エッチング。番号は1959.317.2。クリーヴランド美術館蔵。ヴェンツェスラウス・ホラー《夏(四季より)》クリーヴランド美術館蔵

薄い布を頭からかぶった婦人が、後ろ姿で立っている。

肩のあたりは肌が透け、手には手袋を持つ。

背景には、ロンドンの公園の並木と建物が広がる。

館の記録では、四季を装いの異なる婦人の姿で表した組の一枚である。

季節ごとの気候に合わせた身なりで、背景には見覚えのある土地の景色が入るという。

この一枚の背景は、セント・ジェームズ公園だとある。

ホラーは、生涯に三千点を超える版画を残した職業版画家だった。

ボヘミアに生まれ、ドイツ、ロンドン、アントウェルペンで働いたとある。

ロンドンへ来たのは1636年、大収集家アランデル伯に雇われてのことだった。

伯の仕事のかたわら、自分の企画も自由に進められたらしい、と記録は読む。

この四季の組も、そうした独立の仕事の一つだという。

四季の組だけで、六種類も作ったという。

季節は、それほど売れる主題だった。

画面の下には、古い英語の句が添えられ、少し思わせぶりな調子だと記録は述べる。

薄物と日よけの布は、日差しへの備えである。

暑さがどう描かれているかではなく、暑さに人がどう備えるか。

その装いの目録として、この版画は夏を写している。

最後の一点は、涼みの絵の大作である。

夏
ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ《夏》1891年。館の記録では、油彩・カンヴァス。149.6×232.4センチ。額を含めて189.5×270.5×14.6センチ。番号は1916.1056。クリーヴランド美術館蔵。ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ《》クリーヴランド美術館蔵

青い川のほとりで、人々が水浴びをし、草の上で休んでいる。

水に入る人は肩まで浸かり、岸の人は白い布をまとって座る。

舟をこぐ人があり、子どもを抱く人がある。

幅2メートルを超える画面に、誰ひとり急ぐ人がいない。

色は薄く、形は平たく、まるで壁に描かれた夢のようである。

それもそのはずで、これはパリ市庁舎の壁画の、小さめの別作だと記録にある。

壁画には、冬と題した対作もあるという。

もとの壁画は1889年に描かれ、壁の真ん中に扉があるという難しい仕事だった。

ピュヴィスは当時のフランスでもっとも重んじられた画家の一人で、壁画でとくに讃えられたとある。

画面の左下には署名と、91の年記が入っている。

描かれた年のうちに画商デュラン=リュエルが買い取り、翌年には海を渡った。

当時の批評は、この絵を、喜びと幸福と休息に満ちた生の賛歌と評した。

スーラ、ゴーガン、ピカソといった後進が、この平明な様式に影響を受けたとある。

ここに暑さの気配はない。

水と、木立と、休む体だけがある。

夏という題の下に、理想の涼みが描かれている。

数えて、分かったこと

九点を数え直す。

涼む夏が五点ある。

歌麿の夕涼み、応挙の夜、豊信の風、ピュヴィスの水辺。

そして友松の朝顔も、朝の涼しさの側に数えていい。

九点のうち半分以上が、暑さではなく涼しさを描いていたことになる。

夏という題は、暑い季節の絵という意味ではなかった。

暑い季節に人が何をするか、の絵だったのである。

暑さを正面から描いたのは、麦刈りの二点である。

版画と織物、どちらもヨーロッパの、どちらも労働の絵だった。

残る二点は、湿り気の山水と、装いの婦人である。

太陽が画面にあるのは、九点のうちヘイデンの一点だけだった。

かわりに、応挙の屏風には月が出ている。

夏の絵なのに、太陽より月のほうが描かれやすい。

もう一つ、組のことも数えておきたい。

九点のうち五点が、夏を単独ではなく、組の一部として描いていた。

応挙と友松は冬との一双、ホラーとヘイデンは四季の組、ゴブラン織も季節の連作である。

夏は、他の季節と並べられて初めて夏になる。

冬の雪の隣にあるから、月の夜が涼しく見える。

季節の絵は、比較の絵でもあった。

暑さそのものは、どうやら直接には描けない。

温度は、色も形も持たないからである。

同じ見えないものでも、風には柳があり、月夜には闇の描き方があった。

暑さには、そういう決まった代役がいない。

描けるのは、暑さへの対処と、暑さの結果である。

夜に出る人、水に入る人、木陰に座る人、薄物をまとう人。

照りつける太陽、汗の労働、雨上がりの湿った山。

九点はすべて、そのどちらかを描いていた。

言えないことも書いておく。

この九点は、夏や涼みの語を持つ記録から集めた。

東アジアの五点が涼み、ヨーロッパの二点が労働という並びは、この九点の話にすぎない。

ヨーロッパにも涼む夏はあり、東アジアにも働く夏はあるはずである。

現にピュヴィスの水辺は、ヨーロッパの涼みの絵だった。

比率を語るには、数が足りない。

それに、涼む人の絵と働く人の絵は、対立するものでもない。

ゴブラン織のなかでは、刈る人と木陰に座る人が同じ画面にいた。

暑さをしのぐ人としのがない人は、いつでも隣り合っている。

それでも、涼む絵と働く絵の両方があることだけは、確かめられた。

夏は、楽しまれる季節であると同時に、しのがれる季節だった。

最後に、記録に残らないことを一つ。

その夏の京都が、どれほど暑かったか。

気温の記録は、この絵には付いていない。

ただ、応挙は1784年の夏に、この一双を描いたと記録にある。

つまり、雪の積もる冬の昼の景色は、夏のさなかに描かれた。

暑い盛りに雪を描く画家の姿を、想像してみる。

筆の先の銀の雪は、画家自身の涼みでもあったかもしれない。

絵のなかの夏が涼しいのは、見る人のためだけではないのだろう。

描く人もまた、暑さのなかで、涼しい画面を欲していた。

次に夏の絵に出会ったら、どこに涼みが仕込まれているか探してみてほしい。

夜か、水か、風か、木陰か。

暑さを描いた絵にさえ、涼みはたいてい、どこかに描き込まれている。

見つけたとき、絵の前のわたしたちも、少しだけ涼しくなる。

夏の絵は、いまも働き続けている涼みの道具なのである。

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