外交官が見たアメリカ——パーヴェル・スヴィニンの画帖
宗教の場面も記録している

川岸の場面である。
画面の中央に木の柵で囲まれた台があり、その上に群衆が乗っている。
数十人が押し合い、帽子と傘が林立する。
手前の水の中には、黒い衣の人物が二人立っている。
そのあいだで、白い服の人が身を沈められている。
洗礼の場面である。全身を水に浸す方式の儀式である。
右手前には、白い服の女性たちが並んで待っている。
空は暗く、雲が渦を巻いている。嵐の空である。
この一枚は、宗教の多様さを記録した図と読める。
ロシアの読者にとって、川での洗礼は珍しい光景だったはずである。
つまり画帖は、風景だけでなく習俗も対象にしている。
もっとも、描き方には距離がある。
群衆の顔は描き分けられていない。帽子と傘の並びとして処理されている。
一方で、儀式の中心にいる三人は大きく、動作が明確である。
つまり見せたいのは個人ではなく、儀式の仕組みである。
外から来た人の関心が、そのまま構図に出ている。
同じ場面を信者が描けば、別の構図になったはずである。
建国まもない国を、外から見る
時代の条件も押さえておきたい。
1811年から1813年は、アメリカにとって不安定な時期である。
1812年には英国との戦争が始まっている。
首都ワシントンはまだ建設途上で、街路も整っていなかった。
つまりこの画帖は、国の形が定まる前の記録である。
大きな都市はニューヨークとフィラデルフィア。
公共の建物が次々に建てられ、学校や病院が開かれていた。
画帖に建物の絵が多いのは、その建設の勢いを伝えるためだろう。
新しい国の姿を、建物で示す構成になっている。
労働の場面も入っている

横長の画面である。
左手前の岩に、漁師が四、五人集まっている。
網を引き、獲れた魚を仕分けている。
その先に川が広がる。右奥に丘、左に帆船が二艘。
樹が右から枝を伸ばし、画面の上端を覆っている。
水面は淡い灰青で、対岸の山は霞んでいる。
風景画としての構成が整っている。
樹で枠を作り、水面を中景に置き、遠景を霞ませる。
つまり職業画家の風景画の型を知っていることになる。
独学であっても、当時の版画や絵画を見ていたのだろう。
魚の名も題に入っている。
シャッドはニシン科の魚で、春に川をのぼる。
つまりこの絵は季節の記録でもある。
漁の方法、網の形、人数、獲物。
労働の記録として読める情報が多い。
風景の中に労働を入れる構図は、この時代の絵に広く見られる。
働く姿が主題になる過程については別のコラムでも扱った。
写したものも、混じっている
ここで重要な一点を見たい。

建物の絵である。
正面に柱の並ぶ入口があり、上に緑色の円屋根が載る。
左右に窓が三段。壁は淡い桃色。
前庭には芝と樹があり、左右に細い樹が立つ。
美術学校の建物である。
そして、題名に注目してほしい。
所蔵館の記録は、この絵が雑誌の版画にもとづく複写だと明記している。
つまり実見ではない。印刷物を写したものである。
日付まで特定されている。1809年6月号の版画である。
紙と絵具の選択
材料についても書いておきたい。
用紙は淡黄色や白の洋紙で、いずれも小ぶりである。
絵具は水彩とグワッシュ、そしてペンとインク。
旅先で扱える道具立てである。
水彩は乾きが速く、道具が少ない。
インクの線を先に引き、後から色を置けば、揺れる馬車の中でも作業できる。
つまり画帖の材料は、移動を前提に選ばれている。
移動しながら記録する仕事では、道具の軽さが内容を決める。
実見と複写が、同じ画帖に並ぶ
これは画帖の性格を大きく左右する事実である。
三年間の滞在の記録でありながら、印刷物からの複写が混じっている。
理由は想像がつく。
現地に行けなかった場所、天候の悪い日、時間の足りない訪問。
そういう穴を、既存の図像で埋めたのだろう。
現代の旅行記でも、同じことが起きる。
自分の写真と、資料写真が混在する。
問題は、区別が付くかどうかである。
この画帖では、所蔵館が調査によって出所を特定し、記録に残している。
だから私たちは区別して読むことができる。
記録の信頼性は、出所の明示によって保たれる。
「記録」という言葉の危うさについては
別のコラムで扱った。
都市の建物を、なぜ描くのか
建物の絵が多い理由も考えておきたい。
公開分には、病院、美術学校、市庁舎、橋が含まれる。
いずれも公共の施設である。
新しい国が何を建てたかは、報告として価値がある。
建物は制度の姿を示す。病院があれば医療の制度があり、学校があれば教育がある。
つまり建築の絵は、社会の仕組みの記録として機能する。
風景の美しさを売る絵とは、目的が違う。
報告のための絵は、対象の選び方に目的が現れる。