作品を知る

背中は、名前を消す面である——テル・ボルフ・マイヨール・蕪村ほか九点

後ろ姿の酒飲み
ジャック・カロ《後ろ姿の酒飲み》一六二一年から二五年のあいだ。館の記録では、腐蝕銅版。版の跡は6.3×8.5センチ。番号は1970.22。クリーヴランド美術館蔵。ジャック・カロ《後ろ姿の酒飲み》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、この連作の性格を書く。

一六二一年に、二十一枚の組として出された。

背の曲がった人々を描いた連作である。

登場人物は、当時の即興喜劇の型を思わせる。

館は、この喜劇の前提にも触れる。

見る側が、描かれる側と別の階層にいることを当てこんでいた。

つまり、笑うために描かれている。

ここで背中は、体の特徴として扱われる。

前の三点では、背中は面だった。

この一点では、背中は形である。

丸いか、まっすぐか。

その違いだけで、人物の役が決まっている。

館は、瓶の材質にも触れる。

膨らんだ形と籠の包みから、硝子だろうという。

硝子については、硝子は、光を通すで扱った。

群れのなかの、一人が背を向ける

銅板に描かれた油彩である。

額を外すと15.4×20.5センチ。

小さいが、人が二十人以上いる。

画面の中央に、四人が集まる。

三人は、裸の女である。

左の一人は、こちらを向く。

中央の一人は、横を向く。

その隣の一人が、背を向ける。

背は、白く塗られる。

肩から腰まで、途切れずに続く。

髪は、頭の上で結われる。

右の腕が、横へ伸びる。

手の先に、金の実がある。

実を持つのは、若い男である。

左手前に、女が横たわる。

犬が、その足元にいる。

上空に、翼のある人物が舞う。

背景は、暗い森である。

木の幹が、太く立つ。

パリスの審判
ヨアヒム・ウテワール《パリスの審判》1602年。館の記録では、油彩・銅板。額を外して15.4×20.5センチ。番号は1984.14。クリーヴランド美術館蔵。ヨアヒム・ウテワール《パリスの審判》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、場面の筋を書いている。

トロイアの王子が、誰がいちばん美しいかを決めさせられる。

一人の女神は、政治の力を約束した。

もう一人の女神は、戦の腕前を約束した。

そして王子は、金の林檎を愛の女神に与えた。

見返りは、世界で最も美しい人間の女だった。

館は、三人の見分け方も書いている。

政治の力を約束したのが、群れの左にいる。

戦の腕前を約束したのが、背を向けているほうである。

つまり、背中が名前の手がかりになっている。

前の四点では、背中は名前を消していた。

ここでは逆に、背中が名前を決める。

三人のうち、背を向けているのは一人だけだからである。

数が少なければ、背中も印になる。

この絵は、銅の板に描かれている。

銅は硬く、表面がなめらかである。

だから、細かい筆が効く。

二十人以上を、手のひらほどの板に収められる。

背中の白さが、群れの中で目立つのも、そのためである。

背を向けた人が、上にいる

掛軸である。

絵の部分は111.3×27.1センチ。

細長い。

上下二つの部分がある。

上に、人が一人いる。

背を向けて、座っている。

衣は白く、大きく膨らむ。

頭は小さく、丸い髷がある。

顔は、まったく見えない。

その下に、文字が長く続く。

行は細く、びっしり詰まる。

さらに下に、もう一人いる。

こちらは、歩いている。

体は横向きである。

黒い烏帽子をかぶる。

衣の裾が、後ろへ流れる。

足は、大きく踏み出される。

墨は薄く、線は速い。

月見(平家物語より)
与謝蕪村《月見(平家物語より)》一七〇〇年代。館の記録では、掛軸・紙本墨画淡彩。絵の部分は111.3×27.1センチ。番号は1971.233。クリーヴランド美術館蔵。与謝蕪村《月見(平家物語より)》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、この画面の構成を書いている。

『平家物語』の月見の段を、ほとんどそのまま写した。

その文字のあいだに、二人の人物を描いた。

二人には、それぞれ渾名がある。

自分の詠んだ和歌にちなむ渾名である。

上で背を向けているのが、松宵と呼ばれる人物。

宵に待つ、という意味である。

下を歩いているのが、もの数ならぬ蔵人と呼ばれる。

つまり、上の人物は待っている。

待つ人は、背を向けて座っている。

前の五点と違って、ここでは背中に時間がある。

待つという行為は、動かないことで示される。

動かない体を後ろから見せれば、待っていることになる。

顔を見せれば、表情を読まれてしまう。

背中は、時間を長く見せる。

そして、文字との相性もよい。

この掛軸では、画面の大半を文字が占める。

背を向けた人物は、文字の上に浮いている。

顔があれば、そちらへ目が行く。

顔がないので、目は文字へ戻る。

皮のない、背中

ペンと茶インクの素描である。

紙は24×17.3センチ。

骸骨の、上半身がある。

背の側から見ている。

中央に、背骨が縦に走る。

椎骨が、一つずつ描かれる。

丸い塊と、突き出た棘。

棘は、上のほうでは短い。

下へ行くほど、長く傾く。

その左右に、肋骨が広がる。

肋骨は、細い弧である。

上から下へ、間隔が開く。

肩甲骨は、両側にある。

三角の板である。

骨盤は、下で大きく開く。

腕の骨は、途中で切れる。

線は細く、影はほとんどない。

紙は、褐色に焼けている。

背面から見た骸骨の上半身
バッティスタ・フランコ《背面から見た骸骨の上半身》一五四〇年代のはじめ。館の記録では、ペンと茶インク。紙の寸法は24×17.3センチ。番号は1964.380.2。クリーヴランド美術館蔵。バッティスタ・フランコ《背面から見た骸骨の上半身》クリーヴランド美術館蔵

館の記録に、説明の文はない。

分類は、イタリアの素描である。

題が、見た方角と範囲を言っている。

背面から、上半身だけ。

ここまでの六点で、背中は覆われていた。

衣か、肌かで覆われていた。

この一点だけが、中身を見せる。

見せてみると、背中は一本の柱である。

椎骨が積み上がり、肋骨が左右へ張り出す。

皺も、肉づきも、この骨の形から出ている。

マイヨールの一枚にあった浅いくぼみは、棘の列である。

テル・ボルフの上着の縫い目も、この線に沿っていた。

背中の絵は、結局この柱を隠したり見せたりしている。

骨と角の材料については、角と骨で扱った。