作品を知る

寝台の絵に、眠っている人はいない——デ・ホーホ・湖龍斎・ロートレックほか九点

寝台の女(彼女たちより)
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《寝台の女(彼女たちより)》1896年。館の記録では、多色リトグラフ。番号は1925.1204.9。クリーヴランド美術館蔵。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《寝台の女(彼女たちより)》クリーヴランド美術館蔵

灰色の木の寝台に、白い夜着の女が身を起こしている。

赤い模様の掛け布から、両手が前へ伸びる。

寝台のわきには、赤い髪の女がもう一人、立ってうつむく。

壁紙の黄色いうねりが、二人を包む。

《彼女たち》と題された連作の一枚である。

館の記録では、版元ペレの勧めで作られた十枚組の石版画だという。

主題は、娼館に暮らす女たちの日常である。

名の通った画家がこの主題に正面から取り組んだのは、彼が最初だったと記録は書く。

ロートレックはこの数年、娼館に長く寝泊まりして、女たちの毎日を見ていた。

眠り、湯を使い、たがいをいたわる時間である。

連作の大半は、艶めいた見世物ではなく、ふだんの暮らしを描いたと記録は書く。

わたしの気に入りの女たちだ、という画家の言葉も引かれている。

売り出しは商いとして振るわなかった、ともある。

艶がないから売れなかったのではないか、というのが記録の見立てである。

この一枚も、寝台の絵でありながら、誰も眠っていない。

朝の身支度か、寝る前のやりとりか。

二人が何を話しているかは、絵からは分からない。

寝台は、ここでは商売の道具ではなく、暮らしの床である。

豆知識の欄には、版元が自分の頭文字を透かしに入れた特製の紙の話も残る。

いちばん小さな寝台

寝台の絵は、大きいとは限らない。

寝床の人物(素描帳より)
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《寝床の人物(素描帳より)》1854年から55年。館の記録では、褐色インク・黒鉛・オフホワイトの網目紙。5.6×9.5センチ。番号は1970.121.32。メトロポリタン美術館蔵。ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《寝床の人物(素描帳より)》メトロポリタン美術館蔵

縦5.6センチ。

名刺ほどの紙に、寝床の人物がインクで走り書きされている。

頭を枕に沈め、体は掛け布の下である。

かたわらには、瓶のようなものが立つ。

若い日のホイッスラーが、素描帳に描き付けた一枚である。

線は速く、寝台の枠は数本の走りで済まされている。

それでも、掛け布の重さと、沈み込んだ頭は伝わる。

収蔵写真では、ほかの素描と一緒に一枚の台紙に貼られている。

一枚の台紙に何点も貼るという回で見た、画帖くずれの保存のかたちである。

この絵の原題には、括弧書きで但し書きが付いている。

病気か、酔いか、と。

横になった人を見ても、眠りか病気か酔いかは決められない。

描いた本人さえ決めかねたことが、題に残ったのである。

寝台が請け負うのは、眠りだけではない。

病の床にも、酔いつぶれる場所にもなる。

ここまでの五点で、西洋の寝台はずいぶん働いた。

支度の場、持参金の落ち先、幕の内、暮らしの床、そして病か酔いの床である。

眠っている人は、まだ一人も確かめられない。

寝室の絵は、大きくない

ここで、絵の寸法を並べてみたい。

祭壇画の板が横56.5センチ。

デ・ホーホの布が横60センチ。

ボネの紙が縦46.5センチで、ホイッスラーに至っては縦5.6センチである。

ロートレックの一枚は、寸法の欄そのものが空である。

寸法の残る八点でいちばん大きいのは、実は山水の掛軸である。

それでも、絵の部分は縦102.2センチにすぎない。

寝室を、壁一面の大画面に描いた絵は一点もない。

広間や祭りの絵なら、いくらでも大きくなる。

寝室は、私的な場所である。

私的な場所は、手元で見る私的な寸法に描かれるのだろう。

寝台の絵の小ささは、主題の内緒話めいた性格と釣り合っている。

床は、家具ではなく敷くもの

海を渡ると、寝台という家具そのものがなくなる。

床に座して文を書く花魁
鈴木春信《床に座して文を書く花魁》1769年ごろ。館の記録では、木版・紙に墨と色。51.5×11.4センチ。番号はJP877。メトロポリタン美術館蔵。鈴木春信《床に座して文を書く花魁》メトロポリタン美術館蔵

縦51.5センチ、横11.4センチ。

柱に掛けるための、細長い柱絵である。

春信の柱絵を数えた回で見た、あの縦長の判型である。

女が前かがみに座り、手元の文に目を落とす。

足元には、小さな行灯と、花模様の黒い箱が置かれている。

灯りがあるから、夜の場面だと分かる。

そのうしろに広がるのが、畳の上に敷かれた床である。

日本の寝床は、脚のある台ではない。

畳に夜具を敷けば、そこが寝所になる。

朝に畳んで上げれば、部屋は昼の間に戻る。

寝室という決まった部屋を持たずに済む、身軽な仕組みである。

作り付けの寝床を戸棚に隠したオランダの家と、志は案外近い。

寝る場所を昼の目から隠す工夫を、東西がそれぞれの道具で解いている。

床に「就く」「上げる」という言い回しが、そのまま家具の仕組みである。

題は、床に座して文を書く、という。

夜具の上が、そのまま文机の代わりになっている。

寝床が、読み書きの場所を兼ねるのである。

細長い判型が、立てた柱のように、夜の室内を切り取っている。

蚊帳を吊る娘
磯田湖龍斎《蚊帳を吊る娘》1770年ごろ。館の記録では、木版多色摺・紙。25.4×18.1センチ。番号はJP560。メトロポリタン美術館蔵。磯田湖龍斎《蚊帳を吊る娘》メトロポリタン美術館蔵

こちらは、寝所を作っている最中である。

縞の着物の娘が、両腕を高く上げて、蚊帳の吊り手を掛けている。

緑の蚊帳が、天井から斜めに下りてくる。

裾は長く床に流れ、蚊帳の端が娘の体を薄く透かす。

左には、松を描いた屏風。

右の格子窓には、小さな籠が吊るされている。

足元では、猫が丸くなっている。

蚊帳は、布の壁である。

吊れば、部屋の中に、寝るためだけの小さな部屋が生まれる。

ボネの天蓋の幕と、役目はよく似ている。

幕で囲うか、網で囲うか。

寝る場所を囲いたいという気持ちは、東西で変わらない。

記録の主題の札には、娘、猫、寝床と並んでいる。

蚊帳を吊っているのだから、季節は夏である。

寝床の絵が、そのまま季節の絵にもなっている。

そして九点を見渡して、確かに眠って見えるのは、この足元の猫だけである。

人が寝支度に立ち働くわきで、猫だけが先に休んでいる。