寝台の絵に、眠っている人はいない——デ・ホーホ・湖龍斎・ロートレックほか九点

人のいない寝床も、江戸にはある。
紅色の鏡台と、その手前に畳まれた夜具。
夜具の布は、赤と青の大きな模様である。
そばには芒のような草が伸び、松の小枝が添えられる。
紙の上半分は、狂歌で埋まっている。
摺物、つまり配り物の木版画である。
夜具と鏡台という取り合わせは、嫁入り道具を思わせる。
摺物は新年の挨拶に配られることが多く、これも祝いの一枚だろう。
道具を主役に立てて、持ち主を描かない。
それでいて、夜具の派手な模様が、持ち主の若さを勝手に語ってしまう。
寝台のない国では、寝床は布団と箪笥のかたちで描かれた。
家具ではなく、畳める道具。
それが日本の寝台である。
詩の中の寝床
最後の一点には、寝床が描かれていない。

墨の山水である。
山がそびえ、ねじれた松が枝を伸ばす。
その根方に、茅葺きの東屋がひっそりと建つ。
中に、人の姿がかすかに見える。
寝台はどこにもない。
だが、画面の右上の題詩に、寝床が住んでいる。
館の記録が引くその詩は、明の文人唐寅の作だという。
山の亭は寂れて、訪れる人もまれ。
柴の戸は泥で繕い、衣は木の葉で継ぐ。
竹の寝床から起きあがらず、頭は雪のよう。
心はすでに求めるところなく、禅の問いも捨てた。
おおよそ、そのように詠まれている。
東屋の中の人影は、この起きない人かもしれない。
描いた祇園南海は、儒学を講じた江戸の文人である。
のちの池大雅も、その教えを受けたと記録は書く。
寝床という言葉で美術館の記録を引くと、こういう一点も網にかかる。
語で作品を探すことの、これは愉快な誤算である。
絵に寝床はなく、詩にだけある。
けれど、外れとも言い切れない。
起きあがらない人の気分は、この山水の湿った墨色そのものだからである。
言葉の中の寝床が、絵全体の空気を決めている。
数えると、こうなった
九点を数える。
木で組んだ寝台は五点。
うち一点は、壁に作り付けで隠されていた。
畳の上に敷く床は三点。
残る一点の寝床は、絵ではなく詩の中にあった。
脚のある寝台と、敷く床。
五対三というこの比は、そのまま洋の東西の比である。
日本の紙が三枚入っただけで、寝台という言葉はこれほど揺れる。
家具の名で絵を集めると、家具のない文化が浮かび上がる。
寝台の絵を数えることは、住まいの歴史を数えることでもある。
寝床を囲う仕掛けも数えられる。
作り付けのカーテン、天蓋の幕、蚊帳。
囲いのある寝床が三点ある。
布で囲うか、網で囲うかの違いだけで、発想は同じである。
寝具の色も見ておく。
赤い掛け布や夜具の見える絵が、三点ある。
イタリアの祭壇画と、パリの石版画と、江戸の摺物である。
時代も土地も違うのに、寝床には赤が選ばれ続けている。
次に、人を数える。
寝台や床に横たわっている人は、九点で二人しかいない。
一人は、祭壇画の寝台の奥から顔をのぞかせて、施しの場面を見守る人。
もう一人が、ホイッスラーの走り書きの人物である。
そして後者が眠っているかどうかを、題は決めかねていた。
つまり、確かに眠っている人は、九点に一人もいないのである。
寝台のそばにいて、寝ていない人なら大勢いる。
床を上げる人、文を書く人、蚊帳を吊る人、身を起こす人。
数えれば、寝床のまわりで立ち働く人が四人もいる。
寝台の絵は、眠りの絵ではないのである。
むしろ、寝床のまわりの仕事の絵と呼びたくなる。
敷いて、吊って、囲って、畳む。
寝るという簡単なことのために、これだけの手数が毎日かかっていた。
理由は、ゴッホが同じ寝室を三度描いた回を思い出すと分かりやすい。
あの寝室にも、眠る人はいなかった。
寝台は、持ち主の代わりに立っている家具なのである。
誰かが眠ってしまえば、絵の主役は体に移る。
空の寝台や、支度中の床だからこそ、場所そのものが主役でいられる。
眠る体を描いた絵は、前の回で見たとおり、別の系譜を作っている。
寝台の絵と眠りの絵は、隣り合って、別の部屋に住んでいる。
もっとも、九点で数えた話にすぎない。
寝台の絵の全体で眠りが少ないかどうかは、ここからは決められない。
最後に、記録に残らないことを一つ。
デ・ホーホの作り付けの寝床で、誰がどう眠ったのか。
春信の花魁の文が、誰に宛てられたのか。
蚊帳の中で、あの娘がその晩どんな夢を見たのか。
どれも、どの記録にも書かれていない。
館の記録が数えるのは、紙の寸法と摺りの色までである。
九つの寝床の持ち主も、それぞれに違う身の上だった。
嫁ぐ前の娘たち、文を書く花魁、娼館の二人、山にこもる白髪の人。
寝床は、持ち主の暮らしをそのまま映す鏡でもある。
寝台は、人生の三分の一を預かる家具だと言われる。
その長い時間のほとんどは、目撃者のないまま過ぎていく。
絵に残るのは、眠りの前と後の、ほんの数分である。
画家自身も、眠ってしまえば筆を持てない。
寝台は、描き手が決して立ち会えない時間を預かる家具なのだ。
だからこそ、蚊帳を吊る娘の伸びた背筋や、床を上げる女の腕が、これほど大事に描かれたのだろう。
次に寝台の絵の前に立ったら、誰も眠っていないことを確かめてみてほしい。
空の寝床は、これから来る夜と、去ったばかりの夜を、同時に指している。
見ているこちらの今夜まで、なんとなく思い出させるのである。
そして、猫だけがぐっすり眠っていたら、それは良い寝室の絵である。









