蝶は、どこにも止まらない——窪俊満・エーレト・コールテほか九点

白い紙に、草が一株描かれている。
葉は丸みのある心臓形で、縁に細かい刻みがある。
葉脈が薄い緑で描かれている。
葉のあいだから、細い茎が何本も立ち上がる。
その先に、紫の花が開く。
花びらは五枚で、下の一枚が大きい。
中心に向かって、白と黄が混じる。
根元には、丸い茶色の塊が見える。
背景は塗られていない。
紙の白がそのまま残っている。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
題にある名は、この菫の一種の呼び名である。
その呼び名に、蝶を意味する語が入っている。
花びらの形が、羽を広げた蝶に似ているからだろう。
ただし、それは記録に書かれていない。
画面に虫はいない。
あるのは、紫の花と、丸い葉だけである。
この画家は、野生の植物を大量に水彩で記録した。
一株ずつ、白い紙の上に描く。
背景を描かないのは、標本の図と同じ作りである。
土も、空も、隣の草も要らない。
必要なのは、葉の形と、花びらの数と、根の付き方だけである。
そういう図の中で、名前だけが虫を呼び込んでいる。
見る人は、題を読んでから花を見直すことになる。
金具の名にも、蝶の語が入る
八点目にも、蝶がいない。

縦長の紙に、二つの図が上下に並んでいる。
どちらも同じ作りである。
中央に、楕円の枠がある。
枠のまわりには、渦を巻いた飾りが左右対称に広がる。
上には、人の顔のような形がある。
下には、葉が垂れる。
そして枠の左右から、細長い棒が水平に伸びている。
棒の先は、丸く終わる。
この棒が、扉に留める部分である。
線はすべて褐色のインクで引かれている。
下絵なので、色は付いていない。
館の記録には、題と材料と寸法のほか、書き込みが並ぶ。
紙の左下と、台紙の各所に、数字と人名が記されている。
つまりこの紙は、何度も持ち主を変え、そのたびに番号を書かれてきた。
日本語では、この金具を蝶の番と書く。
二枚の板が開閉する形を、羽の開閉にたとえた名である。
しかしこの下絵に、虫はいない。
あるのは、渦巻きと、楕円と、棒である。
そして二つの図が上下に並んでいることにも、意味がある。
金具は、扉の上下に一つずつ付ける。
だから下絵も、二つを一枚に描く。
上と下で、渦巻きの向きがわずかに違う。
同じ図案を裏返しにして使うのではなく、別々に描いている。
扉に取り付けたとき、左右対称に見えるようにするためだろう。
館の記録は、そこまでは書いていない。
蝶は、隣の一葉にいる
最後の一点も、蝶がいない。

薄い墨で描かれた画面である。
下から見上げた構図である。
画面の上のほうに、大きな葉が広がる。
葉は幅広く、縁がぼろぼろに裂けている。
裂け目から、白い紙が見える。
葉脈は太く、中央に一本走る。
その下に、太い茎が立ち上がる。
茎は白く、輪郭線だけで描かれている。
根元には、細い草が茂る。
草は濃い墨で、鋭い線を重ねて描かれている。
画面の左には、赤い印が二つ押されている。
館の記録では、この画帖は友人のために描かれた。
そして館は、二枚の異例な構図について書いている。
一枚は上から見下ろし、一枚は下から見上げている。
見下ろしたのが猫と蝶の一葉、見上げたのがこの芭蕉である。
その二枚には、おかしみがあると記録は読む。
つまり蝶は、同じ画帖の別の一葉にいる。
その一葉は、猫の回で見た。
猫の背中の上に、小さな蝶が一匹飛んでいた。
同じ帖の中で、蝶は猫の側にいて、芭蕉の側にはいない。
芭蕉の葉が裂けていることにも、理由がある。
大きな葉は風で裂けやすい。
裂けた葉を描くことは、風のあったことを示すことでもある。
蝶なら、この風の中では飛べないだろう。
だから同じ帖の中で、蝶は別の一葉に置かれている。
もっとも、これはこちらの読み方である。
館の記録が書いているのは、二枚の視点が上下で対になっていることだけである。
数えてみると
九点を並べ直す。
蝶が主役なのは、二点である。
五つを並べた摺物と、箱の蓋の一匹。
もっとも、蓋の一匹は隅にいる。
画面の隅か縁にいるのは、四点である。
植物図の余白、静物の蔓の下、写本の縁、肖像の左上。
そして三点では、蝶は語だけになっている。
花の名、金具の名、そして隣の一葉。
もう一つ数えておく。
九点のうち、蝶が何かに止まっているものは一つもない。
摺物では紙の上に置かれ、静物では宙に浮かび、写本では縁を飛ぶ。
肖像でも、蝶は頭の上の空中にいる。
止まった蝶は、九点のどこにもいない。
言えることと、言えないこと
言えるのは、蝶が「止まらないもの」として描かれてきたことである。
鳥は枝に止まり、獣は地に立つ。
蝶だけが、支えなしに画面に浮かんでいる。
浮かんでいるから、どこにでも置ける。
余白にも、縁にも、頭の上にも置ける。
九点のうち六点で、蝶は支えのない場所にいた。
言えないのは、それが蝶の生態を写しているという話である。
実際の蝶は、花にも葉にも長く止まる。
止まらない姿を選んでいるのは、描く人の側である。
薄く、軽く、すぐ消えるものとして描きたいからだろう。
最後に、はじめの一枚へ戻る。
五つの虫は、紙の上に直接置かれていた。
止まる場所がないので、標本のようにも、飛んでいるようにも見える。
そして題は、蛾と蝶を分けていない。
分けないまま、五つを同じ紙に並べている。
九点を数え終えて残るのは、その分けられなさのほうである。








