作品を知る

猫は、顔を見せないまま絵になる——川端玉章・閔貞・スタンランほか九点

九点の猫を数えると、こちらへ顔を向けているのは三点だけだった。魚をくわえ、栗を取り出し、鸚鵡に立ち向かう猫である。何もしていない猫は、背を向けるか、見下ろされるか、人の腹に顔を埋めている。顔を見せない猫も、絵として成り立っている。

後ろ姿の猫
川端玉章《後ろ姿の猫》メトロポリタン美術館蔵

顔を見せない猫が、絹の真ん中に座っている

絹の画面の中央に、猫が一匹だけ座っている。

背中をこちらへ向けているので、顔は見えない。

見えているのは、丸くふくらんだ背中と、その上に載る頭の後ろだけである。

耳が二つ、左右にぴんと立ち、その内側の毛まで細く描き分けられている。

首には黒い輪が巻かれ、そこに小さな鈴のような飾りが下がっている。

首輪の上には、赤い紐が二重に回されている。

背中の毛は、灰色の墨をぼかして重ねてある。

一本一本の毛は描かれず、濃淡の層だけで柔らかさが作られている。

腰から下は白く、そのまま絹の地に溶けている。

尾は右へ回り込み、先が体の前へ隠れる。

前脚も後脚も見えない。

体の下は毛にすっかり覆われていて、床に接している場所すら分からない。

背景には何も描かれていない。

右上に落款と印があるだけで、あとは絹の色である。

後ろ姿の猫
川端玉章《後ろ姿の猫》1887年から92年ごろ。館の記録では、絹本着色の画帖の一葉。画面は34.3×27.6センチ。番号は14.76.61.87。メトロポリタン美術館蔵。川端玉章《後ろ姿の猫》メトロポリタン美術館蔵

館の記録では、これは明治の画帖の一葉である。

画面は34.3×27.6センチで、手に持って眺める大きさにあたる。

館の札は「猫」の一語だけである。

そして題も「後ろ姿の猫」であって、それ以上の説明はない。

猫を描いた絵でありながら、猫の顔がない。

首輪と鈴があるので、飼われている猫だとは分かる。

しかしこちらを見ないことで、この猫は何も語らないままでいる。

首輪の赤い紐は、この画面でほとんど唯一の強い色である。

灰色と白でできた体の上に、その赤だけが置かれている。

飼われていることを示す印が、色の面でも中心になっている。

もし首輪がなければ、この毛の塊は野の猫にも見えただろう。

一本の紐が、この猫を家の中の生きものに定めている。

猫は、画面で何をしているか

この一葉を出発点に、猫の絵を九点数えていく。

猫は、家の中にいる獣である。

犬のように働かず、牛のように運ばず、鶏のように食べられもしない。

役に立たないまま人のそばにいる、めずらしい生きものである。

そのせいか、絵の中の猫は、しばしば人の代わりに何かをさせられる。

先に言ってしまうと、九点のうち、猫が単独で画面の主役になっているのは三点である。

二点では、猫は人の腕の中に抱かれている。

二点では、猫は物語の中で役を割り当てられ、失敗するか、盗みを働く。

一点では、猫は磁器の柱をよじ登る飾りになっている。

そして一点では、猫は雑誌の紙面のあちこちに散らばっている。

前の回で水鳥が水の上にいないことを見た。

猫の場合は、水鳥とは逆に、いつも人の居場所にいる。

いるのだが、人の言うことを聞いていない。

猫と蝶は、老いを祝う言葉になる

二点目は、中国の画帖の一葉である。

猫と蝶
閔貞《猫と蝶》1788年。館の記録では、紙本墨画の画帖の一葉。紙は29×18.4センチ。番号は1985.71.5。クリーヴランド美術館蔵。閔貞《猫と蝶》クリーヴランド美術館蔵

薄い墨の霞のような塊が、画面の中央に浮かんでいる。

近づいて見ると、それが猫の背中であることが分かる。

真上から見下ろした姿である。

背中の毛は、白く抜かれた細い線を何百本も並べて描かれている。

その線が渦を巻き、体の丸みを作り出している。

頭は下を向いていて、耳の付け根だけがわずかに突き出る。

顔はやはり見えない。

体のまわりには、薄墨がにじんで広がっている。

地面なのか、影なのか、輪郭がはっきりしない。

画面の右上に、小さな蝶が一匹だけ飛んでいる。

蝶は数ミリの大きさで、羽の形が細い線で示されるだけである。

猫は、その蝶を見上げているようにも、見ていないようにも読める。

館の記録では、この一葉は画帖の五番目にあたる。

作者は十二歳で孤児になり、変わった気質の人だったと記録は書く。

この画帖は、友人のために描かれ、学者の愛玩する石と交換されたという。

そして館は、二枚の異例な構図について触れている。

一枚は上から見下ろし、一枚は下から見上げて描かれている。

上から見下ろした一枚が、この猫の図である。

さらに館は、大事な一行を添えている。

猫と蝶を並べた二つの字は、八十歳の老人を指す言葉と音が同じである。

だからこの絵は、友人が長く生きることを願うものだという。

つまりこの猫は、猫であることよりも、音であることを求められている。

蝶のほうも同じである。

数ミリの大きさで描かれた羽は、種類を見分けられるほど詳しくない。

音として必要なだけなので、姿は最小限でよい。

そう考えると、この一葉の構図の異例さにも理由が付く。

真上から見下ろせば、猫の背中は毛の塊になり、顔は消える。

顔が消えても、猫であることは分かる。

分かりさえすれば、贈り物としての意味は成り立つ。

館の記録は、そこまでは書いていない。

書いているのは、上から見た構図が異例だということと、音が重なるということである。

その二つを並べると、こういう読み方ができるというだけである。

猫は、魚を盗む

三点目で、猫は行為の主体になる。