画家を知る

甘さは、どこから来たのか——ルノワールの肌と光

ルノワールの甘さは、生まれつきのものではない。皿に花を描く仕事から始まり、三十代の終わりに行き詰まり、輪郭が戻り、南フランスで赤くなる。甘くない一枚から順に見ていくと、あの柔らかさが選択の結果だったことが分かる。

クロード・モネ
ピエール=オーギュスト・ルノワール《クロード・モネ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

甘くない、ルノワールがある

一枚の肖像画から始めたい。

クロード・モネ
オーギュスト・ルノワール《クロード・モネ》1872年。油彩・画布。縦65センチ、横50センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ピエール=オーギュスト・ルノワール《クロード・モネ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

男が一人、本を読んでいる。

黒い上着。濃い髭。額に皺が寄り、目は伏せられている。

右手にパイプを持ち、口にくわえている。指は太く、赤みが強い。

袖口から白いシャツがのぞく。その白が、画面で最も明るい部分のひとつだ。

もうひとつ明るいのが、手前に開かれた本のページ。分厚い白の塊として置かれている。

机は黄土色。背景は青灰で、右上だけが茶色く沈む。

左下に「A. Renoir」の署名。

この画面に、甘さは無い

ルノワールという名前から連想されるものを、いったん脇に置いてほしい。

薔薇色の頬、柔らかい肌、光の粒、幸福な人々。

この一枚には、そのどれも無い。

色は暗い。黒、青灰、茶。明るいのは白いページと、顔の一部だけである。

筆は速く、荒い。上着はほとんど黒一色で塗られ、形は輪郭ではなく明暗の差で示される。

描かれているのは、三十二歳の同業者だ。この年、二人はまだ売れていない。

手だけが、赤い

もう少し見ておきたい。

この画面で、いちばん強い色は手である。

パイプを握った右手は、赤みが強く、指の関節に明るい桃色が置かれている。

顔の肌より、はっきり赤い。

普通、肖像画で最も丁寧に描かれるのは顔である。ここでは手のほうが強い。

理由は、たぶん構図にある。

顔は上部にあり、視線は伏せられている。そのままでは画面が上へ逃げる。

そこで手を明るくし、視線を中央へ引き戻している。

そしてもうひとつ、下の本のページ。真っ白な塊が、画面の下端を支えている。

このページの白は、絵具を厚く盛って作られている。表面が波打っているのが見て取れる。

紙を紙らしく描いているわけではない。白い絵具の塊を置き、そこに影の線を数本入れただけである。

離れて見れば、開かれた本に見える。近づけば、絵具の山になる。

顔・手・本。この三点が、縦に並んで画面を締めている。

背景が、平らである

背景にも注目したい。

青灰色の面が、筆の跡を残したまま塗られている。奥行きを示すものは何もない。

右上だけが茶色く、そこに何かの家具らしき暗い形がある。ただし判別できない。

つまり空間は描かれていない。人物が、色の面の前に置かれているだけだ。

この扱いは、当時としては新しい部類である。伝統的な肖像画なら、背景に室内や風景を入れる。

宮廷の肖像画が背景の調度で身分を語っていたことは別のコラムで扱っている。

ここには、その情報が一切ない。読書する男がいるだけである。

この記事の問い

ルノワールは、生涯にわたって画風を変え続けた画家である。

そして中年期に一度、自分の方法を全面的に疑い、作り直している。

この記事では、その変化を追いかけたい。

いつ、何が変わったのか。そして「ルノワールらしい甘さ」は、いつ、どこから来たのか。

先に断っておくと、この画家は評価の分かれる人である。

心地よさを、美点と見るか、安易さと見るか。

私はどちらの見方にも根拠があると思う。だから、両方を最後まで残したまま書く。

ひとつだけ言えるのは、彼の快さが簡単に手に入ったものではないということだ。

その根拠を、作品の変遷から示したい。

作者はピエール=オーギュスト・ルノワール。1841年、フランス中部リモージュの生まれ。

父は仕立て屋である。一家はまもなくパリへ移った。

十三歳で磁器の絵付け職人の見習いに入り、皿に花を描いて働いている。

つまり彼は、職人として出発した画家である。

十代の終わりに、その工場が機械化で立ち行かなくなった。彼は職を失い、絵の道へ進む。

二十歳を過ぎてから、美術学校と私塾に通いはじめた。そこでモネ、シスレー、バジールと出会う。

出発が遅く、学歴も薄い。この点はピサロと似ている。

十九世紀のフランス画壇で成功した画家の多くが、裕福な家か、正規の教育か、どちらかを持っていた。

ルノワールにはどちらも無い。だからこそ、売れる絵を描く必要があった。

この事情は、後年の主題の選び方に影響していると考えたい。

売れる絵を描くことは、しばしば妥協の同義語として語られる。

だが、売れる必要のある人にとっては、それが生活の条件そのものである。

コローは実家の援助で、売れなくても描けた。別のコラムで扱ったとおりだ。

同じ時代の画家でも、置かれた条件はまるで違う。作品を比べる前に、条件を見ておきたい。

皿に花を描く仕事から

出発点は重要だと思う。

磁器の絵付けは、決まった図案を、決まった手順で、速く正確に描く仕事である。

美術学校の課程が、石膏像を写し、人体を描き、それから色に進むものだったこととは大違いだ。その課程については別のコラムで扱っている。

ルノワールが最初に身につけたのは、きれいな色を手早く置く技術だった。

この出自は、生涯にわたって作品に残ったと考えたい。

彼の絵には、装飾的な心地よさがある。それは思想からではなく、手の癖から来ている部分がある。