止まった画面に、時計が立っている——ブール・スリンゲラント・歌麿ほか九点
描かれた時計は、手の中にある
ここからは、絵のなかの時計である。
とはいえ、次の一枚も小さい。

8.9×7センチ。
卵形の時計と、ほとんど変わらない大きさの肖像画である。
楕円の画面のなかで、赤い上着の男がこちらを見ている。
その右手が、小さな丸い時計をつまんで見せている。
背景の右手には、丸屋根の建物がのぞく。
ライデンの町でよく知られた建物、マーレケルクだと豆知識の欄にある。
館の記録では、こうした細密な肖像は手に取って間近に見るためのものだった。
壁に掛けるのではなく、私的な部屋で、手の中で眺める絵である。
画家は、細密な描写で知られたライデンの精密画家の一人だとある。
同じ土地の仲間として、記録はドウの名を挙げている。
画面には、組み文字の署名も入っているという。
来歴の欄によれば、館に入ったのは2017年、ごく新しい収蔵品である。
そして時計について、記録はこう書いている。
手にした時計は、しばしば死すべき身と、過ぎゆく時の象徴とされる、と。
「しばしば」であって、「この絵では」ではない。
この男がなぜ時計をつまんで見せるのか、記録はそれ以上を決めていない。
だから、ここでも決めずにおく。
分かっているのは、時計を見せたがっている、ということだけである。
同じ題の絵が、もう一枚ある。

《時計を持つ男性の肖像》。
日本語の題が、先ほどの一枚とそっくり同じである。
黒い服に白い襟の男が腰かけ、手元で小さな時計を扱っている。
こちらは1657年の作。
大きさは83.8×70.5センチで、先ほどの肖像の十倍近い。
手の中で見る時計の絵と、壁に掛けて見る時計の絵があったことになる。
この作品の記録は数行で、解説の文はない。
分類の札に、時計、男性、肖像、と並ぶだけである。
出所の欄には、1941年に、亡き人をしのぶ家族の寄贈で入ったとある。
それでも、二枚並べると分かることがある。
同じ題が二度現れるほど、時計を手にした男の肖像は型になっていた。
開いた本と閉じた本を数えた回で見たように、肖像の手には物を持たせるものである。
本なら学のしるし、では時計なら——と、つい読みたくなる。
それに、二人の男はどちらも、時計を巻くでも読むでもなく、ただ持っている。
その先を埋める言葉は、どちらの記録にもない。
読みたさだけが、手元に残る。
実物より小さい絵もある
ここで、寸法の欄を数え直しておく。
九点のうち、寸法の欄が空なのは一点だけである。
残る八点でいちばん大きいのは、ティファニーの247.3センチ。
いちばん小さいのは、エルビエの5.8センチ。
最大も最小も、絵ではなく実物の時計である。
絵と版画は、みなその間に収まっている。
面白いのは、スリンゲラントの肖像である。
8.9センチの絵は、ブールの置時計よりはるかに小さい。
卵形の時計と比べても、一回り大きいだけである。
時計を描いた絵が、時計という実物の大きさに負けることがある。
しかも絵のなかの時計は、その画面のさらに何分の一かで描かれている。
米粒ほどの円で、文字盤が示されているわけである。
精密画家という呼び名は、伊達ではない。
塔の時計と、砂の時計
時計の置き場所は、手の中だけではない。

石畳の通りに、人と荷と屋台がひしめいている。
売り買いの立ち話があちこちで起きている、市の日のような賑わいである。
その頭上に、白い塔が高くそびえる。
題によれば、フランスの町エヴルーの大時計塔である。
時計の名を持つ塔が、町の空を受け持っている。
イギリスの画家ボニントンが、古きフランスを巡る叢書のために描いた石版画である。
叢書の名は《古きフランス紀行》、この一枚はノルマンディーの巻に入る。
この記録には、寸法の欄がない。
技法と年と叢書の名だけで、絵の大きさは分からないままである。
記録の生没年を引き算すると、ボニントンの生涯は二十六年しかない。
この版の四年後に、画家は亡くなっている。
塔は一本で立つと数えた回があるとおり、塔は画面の縦を使い切る。
この版でも、塔は画面の上の縁まで伸び上がっている。
通りの群衆に、塔を見上げている人がいるかどうかは、決めにくい。
ただ、見上げてもらえなくても、塔の時計は町のために立ち続ける。
手の中の時計は、持ち主ひとりのものである。
塔の時計は、通りにいる全員のものである。
肖像の時計には持ち主の顔が付くが、塔の時計に持ち主の名は要らない。
同じ道具が、私物にも設備にもなる。
針のない時計も、一点ある。