美術史・技法

祭りの絵は、行列の顔でやって来る——グアルディ・石鋭・ジローほか九点

中秋節に月を待つ
石鋭《中秋節に月を待つ》15世紀。館の記録では、巻子・絹に墨と彩色、金。画面は27.5×155センチ。番号は1973.72。クリーヴランド美術館蔵。石鋭《中秋節に月を待つ》クリーヴランド美術館蔵

館の題は、中秋節に月を待つ、である。

中秋節は、秋の半ばの満月の夜に、月を眺める祭りである。

だが、巻物のどこに月があるのか、この目では決めかねる。

祭りの名は、まず題の行に宿っている。

巻物の右端には、大きな字の外題が付いている。

読めるのは、僊山樓觀の四文字。

仙人の山の楼閣、というほどの意味である。

館の記録では、この題字は1849年に書かれた。

しかもそこでは、この巻は唐の将軍李氏の絵と呼ばれている。

館はいっぽうで、絵を15世紀、明の石鋭の筆と記録する。

同じ一巻が、片方では仙人の山、片方では中秋の月見になる。

祭りは、絵の中よりも先に、題の行に出たり入ったりする。

暦の月のことは、天体の月と暦の月を分けた回で数えた。

巻には、作者の印が二顆ある。

石氏以明、游戯翰墨と読めると記録は書く。

翰墨に遊ぶ、という言葉が印になっている。

来歴の欄には、19世紀の中国の収集家の名が三人分並ぶ。

巻はそこから海を渡り、1973年に館の基金で買われた。

明の筆と、清の題字と、清の収集家の印。

一巻の上に、四百年ぶんの手が積み重なっている。

月を待つ、という題の言葉だけが、この巻を祭りの絵にしている。

行列のために、作られた絵

金色の十字架が、台の上に立っている。

中央に、十字架にかけられたキリストが描かれる。

腕木の左右の飾りには、うつむく女の人と、頬づえの若者。

いちばん下には、茶色い修道服の聖人がいる。

行列用十字架
サンタ・キアラの画家《行列用十字架》1320年ごろ。館の記録では、板に張ったカンヴァスに油彩。61.3×44.2センチ。番号は1943.280。クリーヴランド美術館蔵。サンタ・キアラの画家《行列用十字架》クリーヴランド美術館蔵

館の記録では、これはもともと長い竿の先に取り付けられていた。

信仰の行列で、掲げて運ばれた十字架である。

だから、裏と表のほぼ同じ位置に、ほぼ同じ像が描かれている。

行列は、道の両側から見られる。

どちら側の人にも像が見えるように、両面に描いたと記録は読む。

中央はキリスト、左右は聖母と聖ヨハネ。

下の聖人は、面によって聖フランチェスコと聖キアラである。

二人はどちらも、アッシジで修道会を興した人である。

この十字架も、アッシジのフランチェスコ会のために作られたらしい。

これは、祭りを描いた絵ではない。

祈りの行列の中で働くために作られた、動く絵である。

信仰の行列を、祭りという言葉で気安くくくることはできない。

ただ、決まった日に人が集まり、絵が高く掲げられて道を動く。

その形は、ここまで見てきた行列と確かに重なっている。

祈りの場所の絵は、寺と社を数えた回で見た。

建物が祈りの器なら、この十字架は祈りの旗である。

上の端には、それぞれ天使がいる。

一方は見上げ、一方は見下ろしていると記録は書く。

どちらの顔にも身ぶりにも、はげしい嘆きが表れているという。

豆知識の欄には、両面はまったく同じではない、とある。

同じ像を二度描いて、少しずつ違えたことになる。

作者の名は伝わらない。

アッシジで数点の作品を残したこの画家を、館はサンタ・キアラの画家と呼ぶ。

来歴の欄には、フィレンツェの収集家から始まる長い連なりがある。

新聞王ハーストの手を経て、1943年に館へ入った。

絵の側から数えれば、行列の日は一年でいちばん多くの目に会う日になる。

王の行列と、名のない行列

赤い縁取りの紙に、馬の群れがひしめいている。

中央の一頭だけが大きく、黒い。

白い装束の若者がまたがり、ターバンの端が後ろへ飛んでいる。

まわりの騎手たちは、進みながら顔だけを王へ振り向ける。

一族と廷臣を従えて行列するラトラムのマハラジャ、バルワント・シン
クシャーラ《一族と廷臣を従えて行列するラトラムのマハラジャ、バルワント・シン》1825年。館の記録では、紙にガム・テンペラ、金と銀。27.9×32.7センチ。番号は2018.152。クリーヴランド美術館蔵。クシャーラ《一族と廷臣を従えて行列するラトラムのマハラジャ、バルワント・シン》クリーヴランド美術館蔵

1825年、インド、ラトラムの王の行列である。

館の記録では、飛ぶターバンの端は馬の速さを示す。

騎手たちが振り返るのは、王の栄光をたたえるためだという。

後ろの一団は、王にならって従い進む。

付記には、王はまだ十代の初めだったろう、とある。

騎手たちの馬は茶や白で、王の馬だけが濃い色である。

館の記録は、その一頭を大きく描いたことも書き留めている。

少年の王を真ん中にひときわ大きく置き、全員の顔を王へ向けさせる。

誰の日の行列なのかを、絵の作りが告げている。

もう一点の行列は、逆に、名を失っている。

湖畔の行列
中国、清朝(作者不詳)《湖畔の行列》19世紀。館の記録では、油彩・布。76.2×111.8センチ。番号は1969.12.2。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。中国、清朝(作者不詳)《湖畔の行列》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

湖のほとりの道を、行列が進んでいく。

飾りの付いた輿のうしろに、棒に載せた大きな魚の作り物が続く。

赤い丸のうちわ、長い柄の傘。

行列の先頭は、板の桟橋を渡り始めている。

遠くの石橋の上にも、人の列が見える。

水辺の建物からは、人々が身を乗り出して見物する。

記録の欄は、19世紀の清の絵、布に油彩、とあるだけである。

何の行事の行列なのか、ひと言も書かれていない。

魚の作り物が何のしるしなのかも、分からない。

それでも、これが祭りの絵であることは、たぶん誰の目にも分かる。

作り物があり、担ぐ人がいて、見物する人がいる。

日付を失っても、行列の形だけで、祭りは祭りに見えるのである。

作者の名も、記録にはない。

19世紀の清で、西洋の絵の具と布を使って描かれた一枚である。

輸出のために描かれた絵かもしれないが、記録はそこまで言わない。

分かるのは、誰かが行列を見て、油彩で残したということだけだ。

そして、絵はいまワシントンにある。

行列の日は失われ、行列の絵だけが半球を越えて残った。