美術史・技法

五点が組物で、三点は欠けている——アルトドルファー・栄之・安堅の周辺ほか九点

寺や聖堂の絵は、組で作られることが多い。九点で数えると五点が組物で、そのうち三点は組が欠けていた。四十枚のうち一枚、三枚続きの左、四枚組の写し二枚。階段を上る場面が二点ある。堂の全体が入る画面は三点しかない。

聖母の神殿奉献(人類の堕罪と救済より)
アルブレヒト・アルトドルファー《聖母の神殿奉献(人類の堕罪と救済より)》クリーヴランド美術館蔵

少女が、階段を上っていく

一枚の木版に、階段のある建物が彫られている。

画面の上半分は、大きな丸天井である。

天井には細かい斜線が刻まれ、暗く沈む。

その下に、幅の広い階段がある。

段は十段以上あり、奥へ上っていく。

階段の上に、白い衣の人物が四人いる。

いずれも頭に布をかぶっている。

階段の中ほどに、小さな人影が一つある。

こちらへ背を向け、上を向いている。

幼い少女らしい。

画面の下には、大人が四人いる。

一人は身をかがめ、床の何かを拾っている。

一人は本を広げている。

床には敷石の線が引かれている。

線は奥へ向かって、細かく詰まっていく。

館の記録の題は、聖母の神殿奉献という。

幼い聖母が神殿に連れて行かれる場面である。

館の記述には、この版画の作られ方が細かく書かれている。

これは四十枚の連作の一枚である。

刷りの効率と質のために、八枚ぶんの版木を一枚の紙に刷った。

五枚の紙に、合わせて四十枚が並んでいたことになる。

しかも、場面の順番どおりには並んでいなかった。

売る前に、紙は八つに切り分けられた。

館が持っている紙は、半分にしか切られていない。

つまり四枚ぶんが一枚の紙に残っている。

聖母の神殿奉献(人類の堕罪と救済より)
アルブレヒト・アルトドルファー《聖母の神殿奉献(人類の堕罪と救済より)》1515年。館の記録では、木版。番号は1952.38.c。クリーヴランド美術館蔵。アルブレヒト・アルトドルファー《聖母の神殿奉献(人類の堕罪と救済より)》クリーヴランド美術館蔵

寺や神殿は、人が集まるために建てられる。

そして、たいてい町でいちばん大きい建物になる。

だから絵に描かれると、画面を占める割合が大きい。

九点を並べて、その扱われ方を数えたい。

同じ場面が、二点あった

集めかたは、館の記録の題によっている。

寺、神殿、聖堂、堂にあたる語が入るものを拾った。

九点のうち、二点が同じ場面だった。

聖母の神殿奉献である。

一点は、いま見た木版。

もう一点は、それより百十年ほど古い板絵である。

板絵は、テンペラで描かれている。

描かれた面は44×32.3センチ。

板ごと測ると45.7×33.8センチ、厚みは0.6センチしかない。

六ミリの板である。

画面の中央に、三段か四段の階段がある。

段は赤と白で塗り分けられている。

その上に、白い髭の人物が立つ。

金の冠のような帽子をかぶっている。

階段の下に、赤い衣の少女がいる。

こちらは正面を向いて立つ。

左には、青い衣の女性と、髭のある男がいる。

右には、光の輪をつけた人が三人並ぶ。

背景は金地である。

上には、青い天蓋を持つ建物の一部が描かれる。

同じ場面が、まったく違う画面になっている。

木版は奥行きを線で作り、板絵は金地で奥行きを消す。

木版の少女は背を向け、板絵の少女は正面を向く。

百十年の差が、そのまま画面の作り方の差になっている。

聖母の神殿奉献
アンドレア・ディ・バルトロ《聖母の神殿奉献》1400〜05年頃。館の記録では、テンペラ・ポプラ板。描かれた面44×32.3センチ。全体45.7×33.8×0.6センチ。番号は1939.1.41。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。アンドレア・ディ・バルトロ《聖母の神殿奉献》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

聖堂の内部で、儀式が行われる

九点のうち一点は、二枚組の油彩である。

館の記録では、二枚で一つの番号を持つ。

題も長く、二枚ぶんの場面が並べて書かれている。

額なしで51.4×68.8センチ。

上の一枚には、細長い広間が描かれる。

奥行きが深く、天井は丸い。

床には、赤い衣の人が二列に並ぶ。

その列が、奥へまっすぐ伸びる。

下の一枚は、同じ建物の別の場面である。

こちらは柱が太く、天井が高い。

中央に赤い天蓋があり、その下に人が集まる。

上のほうに、桟敷のような場所が見える。

館の記述によれば、1782年に教皇がヴェネツィアを訪れた。

十八世紀では唯一の訪問だったという。

その様子を、四枚の大きな絵に描かせた人がいた。

館が持つ二点は、それより小さい写しである。

画家が、市場に出すため、あるいは別の注文で描いたものらしい。

つまり、同じ場面の絵が複数ある。

そのうちの小さいほうが、ここにある。

ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂でドージェに別れを告げる教皇ピウス六世と、同聖堂の教皇儀礼(一対)
フランチェスコ・グアルディ《ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂の教皇儀礼(一対)》1783年頃。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで51.4×68.8センチ。番号は1949.187。クリーヴランド美術館蔵。フランチェスコ・グアルディ《ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂でドージェに別れを告げる教皇ピウス六世と、同聖堂の教皇儀礼(一対)》クリーヴランド美術館蔵

聖堂の内部を扱った例は、もう一点ある。

こちらは素描で、紙は48.5×65.8センチ。

横長の大きな紙である。

画面には、聖堂の内部を飾る仮設の装置が描かれる。

大きなアーチがあり、その上に渦巻きの飾りが載る。

飾りのあいだに、骸骨と髑髏が並ぶ。

天使らしい姿と、花綱も見える。

右側には、別の案らしい図が並んで描かれている。

一枚の紙に、二通りの案が載っている。

館の記述によれば、これは葬礼のための装置の習作である。

皇帝の追悼の儀が、フィレンツェの聖堂で行われた。

その際、黒い布を掛けて堂内を作り替えたという。

館は、そうした作りものが劇場の舞台装置に近いとも書く。

つまり聖堂は、一時的に別の空間へ作り替えられた。

その設計図が、紙の上に残っている。

神聖ローマ皇帝フェルディナント二世追悼葬礼のための習作(一六三七年、フィレンツェ、サン・ロレンツォ聖堂)
アルフォンソ・パリージ《神聖ローマ皇帝フェルディナント二世追悼葬礼のための習作》1637年。館の記録では、ペンと茶インクと茶の淡彩、黒鉛、桃色・紫灰色・濃紺の差し色。紙は48.5×65.8センチ。番号は2011.192。クリーヴランド美術館蔵。アルフォンソ・パリージ《神聖ローマ皇帝フェルディナント二世追悼葬礼のための習作(一六三七年、フィレンツェ、サン・ロレンツォ聖堂)》クリーヴランド美術館蔵

寺は、外から撮られる

十九世紀末の写真がある。

プラチナで焼いた印画で、画面は28.8×24.2センチ。

台紙まで含めると50.8×40.6センチになる。

写っているのは、白い寺院である。

正面に階段があり、その上に柱の並ぶ堂がある。

屋根は幾重にも重なり、上へ細くなる。

いちばん上には、細い尖塔が伸びる。

手前には、石の欄干と敷石の広場がある。

左手前に、円い屋根の小さな亭がある。

その下に、彫像が背を向けて立っている。

館の記述によれば、それは寺を建てた人物の像である。

宝石商だった人物が、北インドから移り住んで建てさせたという。

完成は1867年と記録にある。

館の記述は、この寺で行われる年ごとの祭にも触れている。

写本が飾られ、行列で運ばれ、読み上げられるという。

写真には、その祭の様子は写っていない。

写っているのは、人のいない昼間の境内である。