五点が組物で、三点は欠けている——アルトドルファー・栄之・安堅の周辺ほか九点
寺や聖堂の絵は、組で作られることが多い。九点で数えると五点が組物で、そのうち三点は組が欠けていた。四十枚のうち一枚、三枚続きの左、四枚組の写し二枚。階段を上る場面が二点ある。堂の全体が入る画面は三点しかない。

少女が、階段を上っていく
一枚の木版に、階段のある建物が彫られている。
画面の上半分は、大きな丸天井である。
天井には細かい斜線が刻まれ、暗く沈む。
その下に、幅の広い階段がある。
段は十段以上あり、奥へ上っていく。
階段の上に、白い衣の人物が四人いる。
いずれも頭に布をかぶっている。
階段の中ほどに、小さな人影が一つある。
こちらへ背を向け、上を向いている。
幼い少女らしい。
画面の下には、大人が四人いる。
一人は身をかがめ、床の何かを拾っている。
一人は本を広げている。
床には敷石の線が引かれている。
線は奥へ向かって、細かく詰まっていく。
館の記録の題は、聖母の神殿奉献という。
幼い聖母が神殿に連れて行かれる場面である。
館の記述には、この版画の作られ方が細かく書かれている。
これは四十枚の連作の一枚である。
刷りの効率と質のために、八枚ぶんの版木を一枚の紙に刷った。
五枚の紙に、合わせて四十枚が並んでいたことになる。
しかも、場面の順番どおりには並んでいなかった。
売る前に、紙は八つに切り分けられた。
館が持っている紙は、半分にしか切られていない。
つまり四枚ぶんが一枚の紙に残っている。

寺や神殿は、人が集まるために建てられる。
そして、たいてい町でいちばん大きい建物になる。
だから絵に描かれると、画面を占める割合が大きい。
九点を並べて、その扱われ方を数えたい。
同じ場面が、二点あった
集めかたは、館の記録の題によっている。
寺、神殿、聖堂、堂にあたる語が入るものを拾った。
九点のうち、二点が同じ場面だった。
聖母の神殿奉献である。
一点は、いま見た木版。
もう一点は、それより百十年ほど古い板絵である。
板絵は、テンペラで描かれている。
描かれた面は44×32.3センチ。
板ごと測ると45.7×33.8センチ、厚みは0.6センチしかない。
六ミリの板である。
画面の中央に、三段か四段の階段がある。
段は赤と白で塗り分けられている。
その上に、白い髭の人物が立つ。
金の冠のような帽子をかぶっている。
階段の下に、赤い衣の少女がいる。
こちらは正面を向いて立つ。
左には、青い衣の女性と、髭のある男がいる。
右には、光の輪をつけた人が三人並ぶ。
背景は金地である。
上には、青い天蓋を持つ建物の一部が描かれる。
同じ場面が、まったく違う画面になっている。
木版は奥行きを線で作り、板絵は金地で奥行きを消す。
木版の少女は背を向け、板絵の少女は正面を向く。
百十年の差が、そのまま画面の作り方の差になっている。

聖堂の内部で、儀式が行われる
九点のうち一点は、二枚組の油彩である。
館の記録では、二枚で一つの番号を持つ。
題も長く、二枚ぶんの場面が並べて書かれている。
額なしで51.4×68.8センチ。
上の一枚には、細長い広間が描かれる。
奥行きが深く、天井は丸い。
床には、赤い衣の人が二列に並ぶ。
その列が、奥へまっすぐ伸びる。
下の一枚は、同じ建物の別の場面である。
こちらは柱が太く、天井が高い。
中央に赤い天蓋があり、その下に人が集まる。
上のほうに、桟敷のような場所が見える。
館の記述によれば、1782年に教皇がヴェネツィアを訪れた。
十八世紀では唯一の訪問だったという。
その様子を、四枚の大きな絵に描かせた人がいた。
館が持つ二点は、それより小さい写しである。
画家が、市場に出すため、あるいは別の注文で描いたものらしい。
つまり、同じ場面の絵が複数ある。
そのうちの小さいほうが、ここにある。

聖堂の内部を扱った例は、もう一点ある。
こちらは素描で、紙は48.5×65.8センチ。
横長の大きな紙である。
画面には、聖堂の内部を飾る仮設の装置が描かれる。
大きなアーチがあり、その上に渦巻きの飾りが載る。
飾りのあいだに、骸骨と髑髏が並ぶ。
天使らしい姿と、花綱も見える。
右側には、別の案らしい図が並んで描かれている。
一枚の紙に、二通りの案が載っている。
館の記述によれば、これは葬礼のための装置の習作である。
皇帝の追悼の儀が、フィレンツェの聖堂で行われた。
その際、黒い布を掛けて堂内を作り替えたという。
館は、そうした作りものが劇場の舞台装置に近いとも書く。
つまり聖堂は、一時的に別の空間へ作り替えられた。
その設計図が、紙の上に残っている。

寺は、外から撮られる
十九世紀末の写真がある。
プラチナで焼いた印画で、画面は28.8×24.2センチ。
台紙まで含めると50.8×40.6センチになる。
写っているのは、白い寺院である。
正面に階段があり、その上に柱の並ぶ堂がある。
屋根は幾重にも重なり、上へ細くなる。
いちばん上には、細い尖塔が伸びる。
手前には、石の欄干と敷石の広場がある。
左手前に、円い屋根の小さな亭がある。
その下に、彫像が背を向けて立っている。
館の記述によれば、それは寺を建てた人物の像である。
宝石商だった人物が、北インドから移り住んで建てさせたという。
完成は1867年と記録にある。
館の記述は、この寺で行われる年ごとの祭にも触れている。
写本が飾られ、行列で運ばれ、読み上げられるという。
写真には、その祭の様子は写っていない。
写っているのは、人のいない昼間の境内である。