美術史・技法

祭りの絵は、行列の顔でやって来る——グアルディ・石鋭・ジローほか九点

祭りが、舞台に上がる

石の柱の頭に、花の冠をかぶった首が彫られている。

その柱を囲んで、大勢が踊り、楽を奏で、果物が山と積まれる。

やぎの脚をした半獣の者たちが、踊り手にまじっている。

下の余白には、飾り文字がひと筆。

バッカスの祭、サテュロスとバッカントらこれを祝う、と読める。

バッカスの祭(四つの祭より)
クロード・ジロー《バッカスの祭(四つの祭より)》1693年から1715年ごろ。館の記録では、エッチングとエングレーヴィング。紙は19.6×36.5センチ。番号は1985.97.2。クリーヴランド美術館蔵。クロード・ジロー《バッカスの祭(四つの祭より)》クリーヴランド美術館蔵

館の記録では、ジローの想の源はパリの民衆の劇場だった。

ルイ14世の治世の、終わりごろの仕事である。

この宴も、舞台のように組まれ、振り付けられているという。

音楽と踊りと酒と食べ物が、石柱を軸に左右対称に並ぶ。

記録は、ジローの時代の書物の説を引く。

古代ギリシアでは、この形の柱がバッカス祭祀の場所を示したとある。

右端の半獣が持つ杖は、ぶどうの葉とつたを巻いた豊穣のしるしだという。

古代の信仰の祭りが、二千年ののちのパリでは舞台の演目になっていた。

祭りは、その日が過ぎたあとも、演じ直すことができる。

次の一点は、その舞台を白い磁器に写した。

城の祝宴の群像
セーヴル磁器製作所《城の祝宴の群像》1766年。館の記録では、無釉の軟質磁器(ビスキュイ)。全体は21×16.5×15.9センチ。番号は1966.234。クリーヴランド美術館蔵。セーヴル磁器製作所《城の祝宴の群像》クリーヴランド美術館蔵

真っ白な、つやのない磁器の群像である。

若い男が身をかがめ、腰かけた女と額を寄せ合っている。

女の膝には花、足もとには花のかごが置かれている。

館の記録では、これは芝居の一場面である。

ファヴァール作とされる、城の祝宴、という劇だという。

庭師ジャコと恋人コレットが、再び結ばれる場面とある。

こうした磁器の人形は、パリの劇団の演目に取材して作られた。

1752年には、もう作られ始めていたという。

豆知識の欄には、その始まりの事情が書かれている。

初期の磁器人形の下絵を多く描いた画家と、劇団の座長との親交があったらしい。

舞台と工房が、人づきあいでつながっていた。

台には、Bの字がひとつ刻まれている。

記録はこれを、1766年からの一時期を示す印と読む。

祝宴という題なのに、台の上には二人しかいない。

祭りの名は、ここでは恋の場面の背景に退いている。

祭りの日付は、物語の中の日付にもなるのである。

そして、この群像には日付がない。

城の祝宴が何月何日なのかは、劇の中でも決められていないだろう。

暦から切り離された祭りは、いつでも上演できる。

数えて、分かったこと

九点を数え直す。

描かれた行列が、四点ある。

ヴェネツィアの車、虫の瓜、ラトラムの馬、湖畔の魚である。

行列で掲げるために作られた十字架を足せば、五点が行列にかかわる。

九点のうち、半分を超える。

祭りの絵は、行列の絵の顔をしてやってくる。

行列そのものは、行列だけを九点数えた回で見た。

あの回の言い方を借りれば、行列は途中しか描けない。

それでも祭りに見えるのは、行列が祭りの合図だと誰もが知っているからだろう。

何の日の絵か、日付や暦まで決められるものは三点ある。

1782年の祝典、三月の雛祭り、中秋の月見である。

一度きりの日付がひとつ、毎年帰ってくる暦がふたつ。

祭りの絵は、絵の外の暦とつながって、初めて何の日かを答える。

演じられた祭りが、二点ある。

ジローの舞台のバッカスと、磁器になった城の祝宴である。

祭りの絵というより、祭りという言葉から作られた絵である。

画材も数えておく。

紙に描かれたか摺られたものが五点、絹が一点。

布と板が二点、磁器が一点である。

国で分ければ、イタリアが二点、日本が二点、中国が二点。

インドが一点、フランスが二点。

年代は1320年ごろから19世紀まで、五百年以上に散らばる。

祭りの絵は、どの土地にも、どの時代にもあった。

大きさも見ておく。

いちばん大きいのは、横111.8センチの湖畔の行列である。

いちばん小さいのは、高さ21センチの白い磁器だった。

行列の絵は横に伸び、祭りの人形は手に載る。

祭りの絵の寸法は、進む方向を持つかどうかで決まっている。

音のことも数えておく。

記録に楽の音が書かれているのは、虫の笛と太鼓、バッカスの音楽の二点。

行列は音と一緒に進むのに、絵は音を持ち帰れない。

人の数も、ざっと数えられる。

いちばん多いのはグアルディの広場で、豆粒の人が数百は並ぶ。

いちばん少ないのはセーヴルの二人である。

祭りの絵は、大群衆から二人組まで、同じ言葉でくくられている。

言えないことも書いておく。

この九点は、祭りと行列の語を持つ記録から集めた。

縁日や市のにぎわいは、この中に一点もない。

にぎわう広場なら、同じ広場が三点あった回のほうが近い。

五点と四点という比率も、この九点の中の話にすぎない。

信仰の行事と、にぎわいの祝祭を、どこで線引きするか。

それはこの九点からは決められないし、軽々に決めるべきでもない。

最後に、日付のことへ戻る。

グアルディの祝典は、1782年のその日で終わった。

湖畔の魚の行列にいたっては、何の日だったかさえ伝わらない。

だが絵の中では、車も瓜も魚も、まだ運ばれている途中である。

祭りの絵は、終わった日付を、めくれる今日に付け替える。

祭りの日は、毎年めぐってきては、毎年終わる。

絵はその一日を、終わらない途中で止めておく。

次に祭りの絵に出会ったら、何の日の絵かを、記録の行に探してみてほしい。

日付が見つかったなら、その絵はもう、その日への招待状である。

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