作品を知る

幹は縦、葉は塊——ルグロ・ロイスダール・探幽ほか九点の森

葉を一枚ずつ描いた森は九点に一つもない。幹だけが一本ずつ描かれ、葉は塊として扱われる。森の中に入った四点は暗く、外から見た三点は明るい。「林檎」の林の字で、二点が混じった。木の数を数えられるのは二点だけである。

コントヴィルの森で
アルフォンス・ルグロ《コントヴィルの森で》クリーヴランド美術館蔵

二本の大木が、光の前に立っている

一枚の銅版画に、森がある。

館の記録に、寸法の欄はない。

画面は横長で、全体が暗い。

左と中央に、太い幹が二本立つ。

幹は画面の上端で切れている。

樹皮は細かい線で刻まれ、凹凸が見える。

その上に、葉の塊が広がる。

葉は無数の短い線で埋められている。

一枚ずつは描かれていない。

幹と幹のあいだ、画面の中央だけが白い。

そこには線がほとんど引かれていない。

奥の空か、開けた場所らしい。

その白さがあるので、手前の暗さが暗さとして読める。

地面には、低い草と倒れた枝がある。

画面の下のほうは、また暗い。

人は描かれていない。

館の記録の制作年は、およそ1857年から1911年とある。

これは、この画家の活動期のほぼ全体である。

つまり、いつ作られたか分かっていない。

コントヴィルの森で
アルフォンス・ルグロ《コントヴィルの森で》1857〜1911年頃。館の記録では、エッチング。番号は1920.537。クリーヴランド美術館蔵。アルフォンス・ルグロ《コントヴィルの森で》クリーヴランド美術館蔵

森は、木の集まりである。

一本なら木、たくさんあれば森になる。

境目は決まっていない。

そして森の中に入ると、遠くが見えなくなる。

見えるのは、手前の幹と、上の葉と、下の地面である。

九点を並べて、その閉じ方を数えたい。

「林」の字が、思わぬものを連れてきた

集めかたは、館の記録の題によっている。

森、林、杜にあたる語が入るものを拾った。

日本語の題も、英語の題も両方見た。

すると、思わぬものが二点混じった。

どちらも、林檎を描いた作品である。

日本語の「林檎」には、林の字が入る。

だから、林の語で引くと集まってくる。

もとの英語の題に、森の語はない。

翻訳した日本語の側だけで起きた一致である。

前の回でも、似たことが何度かあった。

広いという語の中に道が入っていた例。

炭素の語の中に港が入っていた例。

今回は、日本語の側で起きた。

漢字は一字が意味を持つので、こういう一致が出やすい。

外れの二点は、後半で扱う。

森の中は、暗い

森が描かれた六点で、明るさを見たい。

画面全体が暗いのが、四点。

明るい部分のほうが広いのが、二点である。

暗いのは、森の中に入った画面である。

明るいのは、森を外から見た画面である。

森の中に入ると、光は上から少ししか届かない。

葉が幾重にも重なるからだ。

だから画面は暗くなる。

そして、どこか一か所だけが明るくなる。

木のあいだの隙間である。

その隙間を、絵は必ず描く。

隙間がないと、画面が真っ暗になってしまう。

最初に見た銅版画では、中央が白かった。

油彩の一点でも、同じ処理が使われている。

その一点を見たい。

127.6×101.9センチ。

九点のなかで、いちばん大きい。

縦長の画面である。

画面の右に、女性が座っている。

長い髪を垂らし、白っぽい衣を着ている。

腕に、幼い子どもを抱いている。

その左に、白い鹿が横たわる。

鹿は首を上げ、女性のほうを見ている。

三者の背後には、岩と木の幹がある。

木は太く、上へ伸びて画面の外へ出る。

葉は暗い緑で、光をほとんど通さない。

左上のわずかな隙間だけが明るい。

館の記録の題によれば、これは伝説の場面である。

森に隠れて暮らした人の物語だという。

館の記録に、記述の欄はない。

制作年は1860年代とだけ書かれている。

森の中のブラバントの聖ゲノヴェーファ
ジョージ・フレデリック・ベンセル《森の中のブラバントの聖ゲノヴェーファ》1860年代。館の記録では、油彩・カンヴァス。127.6×101.9センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。ジョージ・フレデリック・ベンセル《森の中のブラバントの聖ゲノヴェーファ》スミソニアン協会蔵

森を、外から見る

森を外から見た二点を見たい。

一点目は、油彩である。

額なしで51.6×59.4センチ。

画面の上半分は、空である。

雲が大きく、白と灰色で厚く描かれる。

青い部分もわずかにある。

下半分に、丘と木立がある。

木は数本ずつ、塊になって立つ。

葉は細かい筆で、暗い緑に描かれる。

手前には、低い土手と水たまりがある。

水面は明るく、空を映している。

その岸に、人が数人いる。

館の記述によれば、母と子と犬が道を歩いている。

その前方から、旅人が一人近づいてくるという。

人はいずれも小さく、指の先ほどしかない。

館の記述は、この小ささが自然の大きさを強めると書く。

そして、この画家が森の場面で知られていることにも触れている。

つまり、外から見た森でも、人は小さく描かれる。

森と丘の風景
ヤーコプ・ファン・ロイスダール《森と丘の風景》1660年代。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで51.6×59.4センチ。番号は1963.575。クリーヴランド美術館蔵。ヤーコプ・ファン・ロイスダール《森と丘の風景》クリーヴランド美術館蔵

二点目も、油彩である。

全体で57×48センチ。

縦長の画面である。

中央に、枯れた木が一本立つ。

幹は白く、枝が数本しか残っていない。

その左に、葉の茂った木がある。

葉は赤みを帯びていて、秋らしい。

さらに左、画面の下のほうに、人が数人いる。

赤い服の人が座り、他の人が立っている。

荷物らしいものも見える。

右のほうは、開けた土地である。

奥に、低い山と青い空が見える。

雲は白く、明るい。

館の記録の題によれば、旅人のいる森の風景である。

森は画面の左半分だけを占める。

右半分は、森の外である。

つまりこの画面は、森の縁を描いている。

旅人のいる森の風景
アダム・ピナッカー《旅人のいる森の風景》1640年代後半。館の記録では、油彩・カンヴァス。全体57×48センチ。番号は1979.27.1。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。アダム・ピナッカー《旅人のいる森の風景》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵