戸口が、人を切り抜く——欧米絵画・版画・素描ほか九点

小さな画面である。
四十四掛ける三十九・五センチ。
画面の右に、農家の壁がある。
煉瓦と漆喰で、傷んでいる。
上に、窓が二つ。
木の鎧戸が付く。
その壁の手前に、木の柵。
板が縦に並び、隙間が空いている。
柵の上に、白い布が掛けられている。
洗濯物である。
柵の手前に、人が数人。
大人が二人と、子どもが三人。
一人は樽に向かって座る。
足もとに、犬が一匹。
地面には、桶や道具が散らばる。
左上に、木の葉と、青い空。
前庭という中間の場所
題に、前庭とある。
家の中でも、道でもない。
柵で囲まれた、家の前の空間である。
そして、そこで仕事が行われている。
洗い、干し、子どもが遊ぶ。
つまり、入口の外側も、生活の場である。
第三回で、橋の下で人が働く絵を読んだ。
同じことが、門の外でも起きている。
そして、この絵では柵が画面の中央にある。
その柵の手前に人がいる。
つまり、見る人は柵の外にいる。
家の中は見えない。
窓は暗く、戸口も見えない。
家の外側だけを描いた絵である。

横長の版画である。
第十七回で扱った浮絵の系統である。
画面の右から中央にかけて、大きな座敷が奥へ伸びる。
天井の梁と、床の縁が、奥の一点へ収束する。
座敷には、女性が十数人いる。
いずれも立ち姿か、座り姿。
衣は淡い色である。
天井から、丸い提灯が下がる。
そして、画面の左端に、門がある。
黒い枠で、格子が付く。
その門の外に、男が一人立っている。
黒い笠をかぶり、こちらに背を向ける。
中を覗いている姿勢である。
門の外から、中を見る
この一点では、門が画面の左端にある。
そして、そこに一人だけ男が立つ。
中には、大勢いる。
つまり、門が内と外を分け、人数の差を作っている。
内は賑わい、外は一人である。
そして、見る人の位置は中にある。
門の外の男を、内側から見ている。
第十四回で、窓辺の絵では見る位置が内か外に決まると書いた。
門の絵でも、同じである。
そして、この一点では、外の一人が主題である。
題にも、門の外に立つ男、とある。
大勢いる室内ではなく、一人のほうが題になっている。
港の入口

ここから、入口が建物ではなくなる。
横長の画面である。
下三分の一が、水である。
穏やかで、波がほとんどない。
そこに、船が何隻も浮かぶ。
手前の一隻は大きく、帆をたたんでいる。
船体が黒く、細部が描かれる。
その右に、帆柱の高い船が二隻。
さらに右にも、小さな舟。
水面に、船の影が映る。
そして、上三分の二が空である。
白い雲が大きく盛り上がる。
下のほうは明るく、上は灰色。
陸の入口は、見えない
題に、港の入口とある。
しかし、画面に門も、堤防も見えない。
水と船と空だけである。
つまり、この入口は、通り抜ける場所ではあるが、目に見える構造物ではない。
海から港へ入る、その水路のことである。
そして、その位置は船の集まり方で分かる。
船が集まっているところが、入口である。
第二回で、船が水面の位置を示すと書いた。
ここでは、船が場所の性格を示している。
そして、この絵では空が画面の三分の二を占める。
第十一回で、地平線が低いと空が広いと書いた。
海の絵では、この構成が定型である。

横長の画面である。
第十八回で読んだ収集の、一点である。
画面の左と中央に、木が数本立つ。
葉が密で、暗い緑。
その根もとに、土の道が広がる。
手前で広く、奥で細くなる。
第四回で読んだ道の形である。
道の右手に、藁葺きの家が数軒。
低く、木に半ば隠れている。
さらに右奥に、細い塔が立つ。
教会だろう。
道の上に、小さな人影が数人。
空は、上のほうが青く、下に白い雲。
入口に、門はない
この村にも、門がない。
道が村へ入っていくだけである。
つまり、村の入口とは、家が始まる場所である。
そして、その境目は曖昧である。
どこからが村なのか、決まっていない。
前の一点の港も、同じだった。
自然の地形が、入口と呼ばれている。
一方、最初の三点には、はっきりした構造物があった。
石の扉、高い門、木の柵。
つまり、入口には二種類ある。
作られた入口と、そう呼ばれているだけの場所である。

第十八回で読んだ寄贈の画家の、別の一点である。
小さな水彩である。
十三・二掛ける十七・六センチ。
画面の上を、木の枝が覆う。
葉が密で、空がほとんど見えない。
中央から右にかけて、倒れた木の幹が横たわる。
太く、白っぽい。
その下に、細い水の流れ。
岩のあいだを落ちている。
そして、左に、人が一人立つ。
黒い上着で、こちらに背を向ける。
森のほうを向いている。
奥は暗く、木立が続く。
森の入口も、境目である
この一点でも、門はない。
木が密になり始める場所が、入口である。
そして、そこに人が一人立っている。
これから入るところなのか、出てきたところなのか。
分からない。
第十三回で、森の内部も室内と呼ばれると書いた。
内部があるなら、入口もある。
そして、その入口には扉がない。
木が減れば外、増えれば中である。
境目は、連続的である。