作品を知る

戸口が、人を切り抜く——欧米絵画・版画・素描ほか九点

コーンウォールのハイランドの門、1871年(写生帖より)
ダニエル・ハンティントン《コーンウォールのハイランドの門、1871年(写生帖より)》1870年ごろ。館の記録では、紙に鉛筆。14×22.2センチ。番号は36.124のfの裏。メトロポリタン美術館蔵。ダニエル・ハンティントン《コーンウォールのハイランドの門、1871年(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

第五回と第八回でも、同じ写生帖の頁を読んだ。

画像には、開いた帳面が写っている。

見開きの二頁である。

そして、線がきわめて薄い。

右の頁の中ほどに、稜線が横に伸びる。

小さな起伏が続く。

その下に、水平の線が一本。

左の頁は、ほとんど白い。

下端に、手書きの文字が二行。

地名と、日付である。

地名としての「門」

この題にある門は、建物ではない。

地名である。

川が山のあいだを抜ける場所を、そう呼ぶことがある。

つまり、地形の名前である。

そして、その名は比喩から来ている。

山が両側に立ち、そのあいだを通り抜ける。

門のように見えるからである。

第十二回で、火という語が別のものを指す例を見た。

ここでは、門という語が地形を指している。

そして、記録を語で絞ると、こういうものが混ざる。

九点のうち、建物の入口は四点だけだった。

残る五点は、港、村、森、そして地名である。

十七世紀オランダの三点

九点のうち三点が、十七世紀のオランダ絵画である。

港の入口、農家の前庭、村の入口。

いずれも一六六五年から七三年ごろの作である。

そして、いずれも入口を題に持つ。

これは偶然ではないだろう。

この時期のオランダでは、身近な場所を描く絵が大量に作られた。

第十八回で読んだ絵画も、その系統だった。

家、村、港、農家。

いずれも、特別な出来事のない場所である。

そして、そこに人が働き、動物がいる。

つまり、入口という題は、日常の場所を指す便利な言い方だった。

村の入口、港の入口、家の前庭。

どれも、そこで何かが起きているわけではない。

場所そのものが主題である。

第十八回で読んだ風俗画と、同じ流れにある。

そして、この三点はいずれも小ぶりである。

四十四センチ、六十五センチ、七十四センチ。

家に飾るための大きさである。

第一回で、絵の大きさが用途を示すと書いた。

大きな祭壇画とは、まるで別の商品である。

九点を、入口の種類で分ける

九点を、入口の種類で分けたい。

作られた構造物が四点。

石の扉、街区の門、木の柵、屋敷の門。

自然の地形が三点。

港の入口、村の入口、森の入口。

そして、地名が一点。

もう一点、農家の前庭は、その中間である。

柵はあるが、家そのものの入口ではない。

つまり、入口という語は、はっきりした構造物から、ただの場所の名前まで広がっている。

誰が、そこに立っているか

九点のうち、入口のそばに人がいるものは五点である。

街区の門には、数人が通っている。

木の柵のそばには、人とロバ。

屋敷の門の外には、男が一人。

農家の前庭には、五人と犬。

森の入口には、一人。

そして、人がいないものが四点。

石の扉、港、村の入口、そして写生帖の頁。

人がいる場合、その人は入口に対して三通りの関係を持つ。

通っている。

外で待っている。

そして、その場所で働いている。

街区の門は、通っている人である。

屋敷の門は、外で待つ人である。

農家の前庭は、そこで働く人である。

森の入口の一人は、判別しにくい。

立ち止まっているように見える。

入るかどうかを決めかねている姿勢である。

そして、その曖昧さが、この小さな水彩の要になっている。

入口は、その先を隠す

最後に、入口の働きをまとめたい。

入口は、通り抜ける場所である。

そして、通り抜けるまで、その先は見えない。

九点のうち、入口の向こうが見えるものは四点である。

街区の門、木の柵、屋敷の門、そして村の入口。

見えないものが五点。

石の扉の奥、港の先、森の奥、そして地名の二点。

見えないほうが多い。

そして、見えないことが、入口を入口らしくしている。

もし全部見えるなら、それは境界ではない。

第十四回で、窓が見る位置を確定させると書いた。

入口は、逆である。

その先が分からないので、位置が定まらない。

見る人は、まだ入っていない。

次の回では、布を見たい。

布は、掛けることで空間を仕切る。

そして、人の体の代わりに動く。

入口の向きと、画面の向き

九点の画面の形を見たい。

縦長が三点、横長が五点、写生帖の見開きが一点。

そして、縦長の三点はいずれも、はっきりした構造物の入口である。

石の扉、街区の門、木の柵。

横長の五点は、地形や場所の入口が多い。

港、村、森、そして屋敷の門と前庭。

これには理由がある。

構造物の入口は、縦に立つ。

柱と、その上の横木。

だから、縦の画面に収まりやすい。

一方、地形の入口は、横に広がる。

港の水面、村の道、森の縁。

だから、横の画面が向く。

画面の形と、描くものの形が対応している。

第十七回で、判型と構図の関係を何度も扱った。

同じことが、入口という主題にも当てはまる。

何を入口と呼ぶかで、画面の向きまで決まってしまう。

記録の題が、場所の名になる

九点の題を並べたい。

いずれも、場所の名前である。

そして、そのうち四点には固有の地名が入っている。

フィラエのイシス神殿、コーンウォールのハイランド。

残る五点は、一般名詞だけである。

村の入口、港の入口、森の入口、農家の前庭、大きな家の門。

固有の地名がある絵は、その場所の記録として作られている。

第十六回で読んだ都市の図画と、同じ性格である。

一般名詞だけの絵は、どこでもよい。

そういう場所の典型を描いている。

つまり、題を見れば、その絵が記録か典型かが分かる。

そして、記録の絵は現地で描かれることが多い。

写生帖の頁と、神殿の水彩がそうである。

いずれも、日付か、細かい観察が伴う。

典型の絵は、室内で組み立てられる。

第五回で、写生と構成の違いについて書いた。

題の付け方に、その差が現れている。

RELATEDあわせて読みたい

作品を知るの記事一覧