馬は、人を高くするための台になる——デューラー・カルル・ヴェルネ・ナダールほか九点
中庭に、鞍だけを置いた馬
四点目は、馬だけの素描である。

横長の小さな紙である。
紙は15.8×24.2センチしかない。
中央に、馬が一頭だけ立っている。
体は横向きで、頭は左を向く。
首は細く、脚も細い。
背には鞍が置かれ、その下に厚い布が敷かれている。
鞍の後ろには、丸めた布が結わえ付けられている。
手綱は前へ垂れ、地面に届きそうになっている。
馬の左には、白い柱のようなものが立つ。
背景には、低い建物と、丸い屋根が見える。
右端には、細い木が数本伸びている。
館の記録では、作者は戦いの場面と動物、とくに馬の描写に長けていた。
本人も乗馬の名手であり、さまざまな品種と馬装を正確に描いたという。
そして記録は、注意深い一行を添えている。
この画家は、フランスからイタリアより遠くへは旅をしなかった。
それにもかかわらず、この素描はその土地で馬を見たかのように見える。
独特の鞍を記録し、背景に異国風の建築を置き、右に椰子の木を添えたからである。
館の記録は、そう読む。
そして、パリでも品種や装いを研究できたと付け加える。
軍の部隊と競馬場が、その場所だったという。
前の回で見た小さな習作の紙葉は、この画家の父の手になるものだった。
父は海の風景で知られ、子は戦いと馬で知られた。
同じ姓の三代が、それぞれ別の主題を持っている。
そしてこの紙の裏には、別の記録も残っている。
館の記録によれば、台紙の裏の四辺の中央に、切手が貼られていたという。
二十世紀の初めのもので、四枚のうち一枚は失われている。
そこから、この一枚がある国の収集家の手にあった可能性が読まれている。
紙の表には馬が立ち、裏には郵便の跡がある。
馬の素描が、どこをどう運ばれたかは、裏側にしか残っていない。
写真では、馬が動いてしまう
五点目は写真である。

灰色がかった一枚である。
背景に、大きな石の壁がある。
壁には文字を刻んだ板がはめ込まれている。
その壁の前に、馬が一頭立っている。
体は横向きで、頭は右を向く。
脚は四本とも地面に着いている。
背に、男がひとり座っている。
黒い上着に、白い帽子。
背筋を伸ばし、正面を見ている。
手綱は短く握られている。
地面は白く、影が薄く落ちている。
館の記録では、騎馬の肖像という形式は古代の彫刻にさかのぼる。
支配者を描き、力と地位を示すために使われたという。
そして館は、この写真ならではの事情を書いている。
1860年代の写真の装置は、長い露光を必要とした。
馬をそのあいだ完全に静止させるのは難しかった。
つまり、この一枚で馬が止まっているのは、それ自体が達成である。
はじめに見たインドの馬は、前脚を上げたまま止まっていた。
絵ならその姿勢を保てる。
写真では保てない。
技法の違いが、馬の姿勢の選び方を決めている。
壁の板に文字が刻まれていることも、この一枚の効果を作っている。
石の面と、彫られた文字と、その前に立つ馬。
三つとも、動かないものとして写っている。
もし馬が少しでも動けば、その部分だけがぼやける。
ぼやけていないということは、露光のあいだ馬が止まっていたということである。
写真は、そこにあったものだけでなく、そこで止まっていた時間も写している。
写真の技法の欄については、写真の技法で扱った。
馬のいない馬上槍試合
六点目には、馬がいない。

鋼の甲冑が、台の上に立っている。
兜は丸く、額のあたりに細い覗き穴がある。
胸当ては大きく張り出し、中央に一本の稜が走る。
その胸当ての左側に、四角い板が重ねられている。
肩から腕、肘、手甲まで、部品が順に連なる。
腰から下は、帯状の板を重ねた腿当てになる。
膝当ては丸く、脛当てがその下へ続く。
足先までは作られていない。
金属の表面は磨かれ、灰色に光っている。
館の記録では、これは馬上槍試合のための甲冑である。
作られたのは1580年ごろ、アウクスブルクという町である。
高さは174.6センチ、重さは36.8キロある。
大人の背丈と、その三分の二ほどの重さになる。
胸の左側の四角い板は、槍を受けるための部品である。
つまりこの甲冑は、馬に乗って向かい合うことを前提に作られている。
しかし館に立っているのは、鋼の人型だけである。
馬はいない。
馬がいないと、この甲冑の重さの意味が分からなくなる。
36.8キロを着て歩くのは難しい。
乗るのなら、耐えられる。
甲冑の部品の数も見ておきたい。
館の番号は、一つの通し番号にたくさんの枝番が付いた形をしている。
兜、胸当て、肩、腕、腿、膝、脛。
それぞれが別の部品として数えられている。
一領の甲冑は、一点であると同時に、二十を超える点でもある。
数え方が二通りあることが、番号の付け方に残っている。
甲冑が装いとして扱われる事情については、衣装としての甲冑で扱った。