獅子は、たてがみと開いた口でできている——山口雪渓・カンパニョーラ・スタティほか九点
九点の獅子を数えると、骨格の描き方はばらばらだった。共通しているのは渦を巻くたてがみと、開いた口の二つだけである。見たことがなくても、その二つがあれば獅子になる。一点では葉から頭だけが生えていた。口を開けた姿が、この獣の標準になっている。

金地の屏風に、獅子と虎が向かい合う
二隻の屏風が並んでいる。
地は一面の金である。
その金の上に、獣と草木が描かれている。
右隻には、獅子がいる。
体は白く、たてがみが赤い。
たてがみは渦を巻いて幾重にも重なり、房の先が跳ね上がる。
顔は丸く、目が大きく見開かれている。
口は開き、歯が並ぶ。
前脚を踏み出し、体をひねっている。
そのそばに、白い花が咲いている。
花は幾重にも花びらが重なり、葉が濃い緑をしている。
牡丹である。
左隻には、虎がいる。
体は黄褐色で、黒い縞が背から腹へ流れる。
一頭は前を向き、口を開けている。
もう一頭は背後の岩の上にいる。
その周囲には、細い竹が何本も立つ。
竹の葉は上へ向かって尖っている。

館の記録では、作者は京都で狩野派の工房に学んだ。
その工房は、十六世紀以来の日本の絵の中心だったという。
そして館は、金箔の使い方について実際的なことを書いている。
金箔は背景として飾りになるだけではない。
日本の伝統的な部屋には窓がなかった。
室内の明かりは、持ち運ぶ油の灯りと蝋燭から来ていた。
その光の効果を、反射する面が大きくしたという。
館の記録は、そう説明している。
つまりこの金地は、暗い部屋で光を返すために選ばれている。
獅子と虎は、その光の中に浮かぶことになる。
そして獅子には牡丹が、虎には竹が添えられている。
この取り合わせは、東アジアの絵で決まった組である。
獣一頭に草木一種を割り当て、二隻を左右に対にする。
つまり画面の構成は、獣の生態ではなく、対にする決まりから来ている。
牡丹の花びらは白く、金地の上でいっそう明るい。
竹の葉は濃い緑で、金地の上に鋭く立つ。
明るい花と鋭い葉が、たてがみの渦と縞の直線に対応している。
草木のほうも、獣に合わせて選ばれている。
館の記録は、その対応までは書いていない。
書いてあるのは、金箔と灯りの関係だけである。
獅子は、見られたことのある獣か
この一双を出発点に、獅子の絵を九点数えていく。
獅子は、東アジアでは唐獅子と呼ばれ、虎と対にされてきた。
前の回で虎が見ずに描かれてきたことを見た。
獅子はさらに遠い。
東アジアの獅子は、生きた獣というより、たてがみと渦でできた形である。
一方、ヨーロッパの獅子は、動物園と見世物を通して実際に見られていた。
先に言ってしまうと、九点のうち、体の作りが写生にもとづくのは三点である。
三点では、獅子は模様や装飾の一部になっている。
一点では聖人のそばで戯れ、一点では人に組み伏せられている。
そして一点では、葉のあいだから顔だけが生えている。
聖人の足もとで、二頭が戯れる
二点目は、木版の風景である。

横長の画面いっぱいに、風景が広がる。
左には大きな木が数本立ち、幹がねじれている。
葉は細かい線の塊で表されている。
中景には岩山が重なり、頂が尖る。
右奥には低い丘が続き、その向こうに雲がわく。
画面の左下、木のかげに、人がひとり座っている。
裸に近い姿で、体を前へかがめている。
そのそばに、洞窟の口が黒く開いている。
そして画面の中央、川のほとりに、獅子が二頭いる。
一頭は仰向けに転がり、前脚を上げている。
もう一頭はその上にのしかかる。
じゃれ合っているように見える。
たてがみは短い線を重ねて描かれている。
館の記録では、作者は木版を主に自分の素描に似せるために作った。
集める人の市場が広がっていたからだという。
そして、この聖人の図では十字架や聖書への信心ではなく、自然への観照に焦点が置かれている。
館の記録は、そう読む。
さらに、旅人や羊飼いといった田園の要素があり、変化に富むと書く。
川、山の頂、洞窟、木立、そして二頭の獅子のじゃれ合い。
館の記録は、それらを並べて挙げている。
つまり獅子は、風景を構成する要素の一つとして数えられている。
九点のうち、獅子が遊んでいる場面は、この一点だけである。
木版という技法も見ておきたい。
館の記録では、この作者は自分のペンと墨の素描に似せるために木版を作った。
つまり版画でありながら、目指したのは素描の見え方である。
線はすべて細く、太さの変化が少ない。
葉も岩も雲も、同じ太さの線の密度だけで描き分けられている。
獅子のたてがみも、同じ細さの線でできている。
素描に似せるという目的が、獣の毛の描き方まで決めている。
図と紙の寸法が同じであることも、記録に書かれている。
つまりこの一枚は、余白なしに断ち切られている。
葉のあいだから、獅子の頭が生える
三点目では、獅子は植物の一部になる。

横に長い紙である。
灰色の地に、線だけで形が描かれている。
中央に、細長い獣が身をよじっている。
体は蛇のようで、鱗が細かく刻まれる。
頭は左上を向き、口が開いている。
龍である。
その前脚が、二本の枝をつかんでいる。
枝からは葉が伸び、大きな花が開く。
葉の形は先が細く、縁が波打つ。
その葉のあいだから、頭が二つ突き出ている。
一つは獅子の頭で、口を開き、龍の首に噛みついている。
もう一つは鳥の頭で、冠羽が後ろへ伸びる。
画面の右には、丸い印がある。
館の記録では、龍は真珠に向かって身を躍らせている。
その真珠は、聖典の一節を刻んだ印の形をしている。
そして龍は前の爪で二本の花咲く枝をつかんでいる。
その枝は不思議な花を次々に咲かせ、その中に獅子と不死鳥が生じるという。
獅子は龍の首を噛み、不死鳥は真珠を争う。
館の記録は、そう説明している。
さらに館は、獅子と鳳凰の頭が葉叢の一部であり、幻の花のようだと書いている。
つまりこの獅子は、獣として歩いていない。
枝から咲いた花として、頭だけがある。
九点のうち、獅子に体がないのは、この一点だけである。
器の肩を、獅子とスフィンクスが回る
四点目は、紀元前のアンフォラである。

赤褐色の胴を持つ壺である。
首は円錐形に広がり、口が開く。
両側には、幅の広い平たい取っ手が付く。
胴の上のほうには、横に走る筋が何本も入る。
黒い絵が三段に分かれて描かれている。
首の段には、若者たちが踊る。
腕を上げ、脚を交差させている。
肩の段には、獣が並ぶ。
翼のある獣が二体、向かい合う。
そのあいだに、四つ足の獣がいる。
たてがみが首のまわりに刻まれ、尾が上へ跳ねる。
獅子である。
胴の段には、踊る人々が輪になって続く。
館の記録では、この形は特定の陶工の商標にあたる。
幅の広い取っ手、円錐形の首、胴の上を回る筋。
その人は、現存する百五十ほどの壺に名を記している。
名の分かる陶工や絵付師の中で、いちばん多いという。
そして、これはアテナイで作られたが、買い手はエトルリアの人々を想定していた。
館の記録は、そう書いている。
つまりこの獅子は、輸出用の器の肩を回る模様である。
そして館は、この器の作りにもう一つ触れている。
絵付けをした人は、使える面のほとんどを埋め尽くした。
模様のない取っ手の部分は、後世の補修だという。
つまり本来は、隙間なく埋まっていた。
獅子は、その埋め尽くしの一部である。
一頭だけを取り出して見ることはできない。
翼のある獣と交互に並び、肩の帯を一周する。
数えれば、獅子は左右に一頭ずつ、合わせて二頭になる。
模様として使われる獣は、必ず偶数で並ぶ。
人が獅子の背に座る
五点目は、磁器の像である。

緑の草地をかたどった台の上に、獅子が伏せている。
体は淡い茶色で、前脚を前へそろえている。
たてがみは頭のまわりを取り囲み、一房ずつ彫られている。
顔は正面を向き、目が丸く見開かれている。
口は閉じられている。
その背に、人がひとり座っている。
青い上着に、細かい花模様が散る。
頭には緑の帽子をかぶる。
片手を獅子の頭に置き、もう一方の手を膝に置く。
顔は小さく、目と口が細い線で描かれている。
全体は30.5センチの長さしかない。
館の記録では、異国の獣は地位と富を示すものとして強く求められた。
それらを一か所に集めて飼う習慣は、王の動物園から広まったという。
そしてこの獅子は、工場を興した公の動物園にいた生きた個体をもとにしているかもしれない、と記録は書く。
かもしれない、という書き方である。
つまり、この獅子は生きた獅子を見て作られた可能性がある。
しかし顔の作りは、写生というより人形に近い。
目は左右対称に丸く、たてがみは規則正しく並ぶ。
生きた個体を見たとしても、それをそのまま写してはいない。
型に流し込んで作る磁器では、形を単純にする必要がある。
複雑な凹凸は、抜くときに壊れやすい。
つまり材料と工程が、獅子の顔を丸くしている。
背に乗る人物のほうも、同じくらい単純化されている。
異国の獣に異国の衣装の人を乗せる。
その組み合わせ自体が、当時の好みを示している。
頭だけの獅子が、吠える
六点目は、油彩の習作である。

暗い緑の地から、獅子の頭が浮かび上がる。
首から下は描かれていない。
顔はやや右を向き、上を見上げている。
目は見開かれ、右の目に白い光が入る。
口は大きく開き、下の歯と舌が見える。
鼻先は湿って光っている。
口のまわりの毛は白く、束になって垂れる。
たてがみは頭のまわりに大きく広がる。
いちばん外側は黒く、面として塗られている。
顔に近づくにつれ、栗色の明るい調子になる。
館の記録では、この習作は短い筆触の重なりでできている。
そしていちばん目を引くのは、厚く豊かなたてがみだという。
黒い面は輪郭がはっきりしないが、栗色の部分には影と光がある。
それが写実の感じを与えている。
鼻と口の濡れた明るい部分、右目のきらめきが、生きている感じを伝えると記録は続ける。
さらに館は、署名についても書いている。
右下に小さな署名があり、ある動物画家の名を示している。
しかし館は、作者を別の人として登録している。
つまり署名と、記録の作者名が食い違っている。
署名のある名は、この時代の名高い動物画家のものである。
その名があれば、絵の値打ちは上がる。
しかし館は、別の画家の作として登録している。
来歴の欄には、十八世紀のデンマークの伯爵の名も並ぶ。
つまりこの獅子の頭は、名前を取り違えられたまま何代も持ち主を変えてきた。
描かれているのは獣だが、争われているのは人の名である。
九点のうち、署名と作者名が食い違うのは、この一点だけである。
帳面の隅に、獅子が二頭
七点目は、素描である。

灰色の紙に、人と獣が散らばって描かれている。
左には、体をひねる人物が数体。
腰かけたり、身をかがめたりしている。
いずれも輪郭線だけで、顔は描かれていない。
右上には、獣が一頭いる。
うずくまり、頭を上げている。
たてがみが首を取り巻く。
その下、紙の中ほどにも、もう一頭いる。
こちらは横たわり、前脚を伸ばしている。
体の陰は、薄い淡彩で示されている。
館の札は「人体」と「獅子」の二つである。
前の回で見た鷲の一葉は、同じ帳面の別の紙だった。
同じ画家が、同じ道具で、鷲と獅子を写している。
肖像画を仕事にしていた人が、帳面には獣を描き溜めていた。
この画家の帳面については、使われなかった頁でも扱った。
紙の上での置き方も見ておきたい。
人物は左に寄り、獣は右に寄っている。
そのあいだに、白い紙が残されている。
つまり人と獣は、同じ紙の上で別の区画に住んでいる。
一枚の紙を、主題ごとに分けて使っている。
帳面は高価な品だったから、余白を残さず使うのが普通である。
その節約が、こうした混在した紙面を作った。
獅子は、柄になり、組み伏せられる
最後の二点で、獅子は人の手の中に入る。

まっすぐな刃を持つ剣である。
全体の長さは68.5センチある。
柄は太く、上へ向かってわずかに広がる。
その先端が、獣の頭になっている。
たてがみが後ろへ流れ、口が開き、牙が見える。
目は深く彫り込まれている。
獅子である。
柄の下には、金の帯が巻かれている。
さらにその下、刃の付け根には、色の付いた飾りが並ぶ。
青、赤、緑のエナメルが、細かい区画に埋め込まれている。
中央には白い石が置かれている。
館の札は「獅子」の一語である。
つまり館は、この剣を獅子の付いた道具として登録している。
握れば、手のひらのすぐ上に獣の頭が来る。
そして獣の頭は、下を向いている。
つまり剣を吊り下げたとき、獅子は前を向く。
腰に下げて歩けば、獅子の顔が横を向いて進むことになる。
材料の一覧も長い。
鋼、金、エナメル、瑪瑙、木、革。
六種類の材料が、一本の剣に集められている。
そのうち獅子の頭がどの材料でできているかは、記録に書かれていない。
見えるのは、たてがみに金の光があることだけである。

白い大理石の群像である。
高さは210センチある。
人の背丈を超える。
男がひとり、腰を落として立っている。
上体をひねり、右腕を高く上げている。
顔は下を向き、視線が足もとへ落ちる。
その足もとに、獅子がいる。
体は男の膝の下にねじ込まれている。
頭は上を向き、口が開いている。
たてがみが渦を巻いて彫られている。
前脚は地面をかき、後ろ脚は伸びている。
男の左手が、その頭を押さえつけている。
大理石は一つの塊から彫られている。
つまり人と獣は、もとから一つの石だった。
彫ることによって、二つの体に分けられている。
九点のうち、獅子が人と直接に組み合っているのは、この一点だけである。
そして彫刻の高さは、見る人の位置を決める。
210センチあるので、獅子の頭は目の高さより下にある。
男の顔は、こちらの見上げる位置にある。
つまり見る人は、獅子と同じ高さから男を見上げることになる。
台座を含めれば、さらに高くなる。
奥行きは84センチある。
正面からだけでなく、横へ回って見ることを想定した形である。
横から見れば、押さえつける腕と、ねじれた獅子の胴が重なる。
数えてみると
九点を並べ直す。
獅子の体つきが写生にもとづくと見えるのは、三点である。
吠える頭部、帳面の二頭、そして風景の中の二頭。
模様や装飾の一部になっているのは、三点である。
器の肩を回る一頭、剣の柄頭、そして葉から生えた頭。
磁器の像を加えると四点になるが、そこでは生きた個体をもとにした可能性がある。
人と組み合っているのが一点、金地の屏風で虎と対をなすのが一点である。
もう一つ数えておく。
九点のうち、獅子が口を開けているのは六点である。
閉じているのは、磁器の像と、器の模様と、素描の一頭だけである。
口を開けた姿が、獅子の標準になっている。
牙を見せることが、この獣の記号になっている。
言えることと、言えないこと
言えるのは、獅子が「たてがみと口」でできているということである。
九点のどれを見ても、その二つは必ず描かれている。
体の骨格や脚の筋肉は、点によって大きく違う。
しかしたてがみの渦と、開いた口は共通している。
見たことがなくても、この二つがあれば獅子になる。
言えないのは、東西で写実の度合いが分かれるという単純な話である。
金地の屏風の獅子は様式化されていたが、同じ屏風の虎は骨格が正確だった。
一方、ヨーロッパの器の獅子も、模様として様式化されていた。
分かれたのは土地ではなく、使われ方である。
最後に、はじめの一双へ戻る。
暗い部屋の中で、金箔が灯りを返す。
その光の中に、赤いたてがみと黒い縞が浮かび上がる。
見る人は、生きた獣を見ているのではない。
光を返す面の上の、形を見ている。
九点を数え終えて残るのは、その光り方のほうである。


