作品を知る

獅子は、たてがみと開いた口でできている——山口雪渓・カンパニョーラ・スタティほか九点

九点の獅子を数えると、骨格の描き方はばらばらだった。共通しているのは渦を巻くたてがみと、開いた口の二つだけである。見たことがなくても、その二つがあれば獅子になる。一点では葉から頭だけが生えていた。口を開けた姿が、この獣の標準になっている。

牡丹に獅子、竹に虎
山口雪渓《牡丹に獅子、竹に虎》クリーヴランド美術館蔵

金地の屏風に、獅子と虎が向かい合う

二隻の屏風が並んでいる。

地は一面の金である。

その金の上に、獣と草木が描かれている。

右隻には、獅子がいる。

体は白く、たてがみが赤い。

たてがみは渦を巻いて幾重にも重なり、房の先が跳ね上がる。

顔は丸く、目が大きく見開かれている。

口は開き、歯が並ぶ。

前脚を踏み出し、体をひねっている。

そのそばに、白い花が咲いている。

花は幾重にも花びらが重なり、葉が濃い緑をしている。

牡丹である。

左隻には、虎がいる。

体は黄褐色で、黒い縞が背から腹へ流れる。

一頭は前を向き、口を開けている。

もう一頭は背後の岩の上にいる。

その周囲には、細い竹が何本も立つ。

竹の葉は上へ向かって尖っている。

牡丹に獅子、竹に虎
山口雪渓《牡丹に獅子、竹に虎》1668年。館の記録では、六曲一双の屏風・金地に墨と彩色。番号は1972.10。クリーヴランド美術館蔵。山口雪渓《牡丹に獅子、竹に虎》クリーヴランド美術館蔵

館の記録では、作者は京都で狩野派の工房に学んだ。

その工房は、十六世紀以来の日本の絵の中心だったという。

そして館は、金箔の使い方について実際的なことを書いている。

金箔は背景として飾りになるだけではない。

日本の伝統的な部屋には窓がなかった。

室内の明かりは、持ち運ぶ油の灯りと蝋燭から来ていた。

その光の効果を、反射する面が大きくしたという。

館の記録は、そう説明している。

つまりこの金地は、暗い部屋で光を返すために選ばれている。

獅子と虎は、その光の中に浮かぶことになる。

そして獅子には牡丹が、虎には竹が添えられている。

この取り合わせは、東アジアの絵で決まった組である。

獣一頭に草木一種を割り当て、二隻を左右に対にする。

つまり画面の構成は、獣の生態ではなく、対にする決まりから来ている。

牡丹の花びらは白く、金地の上でいっそう明るい。

竹の葉は濃い緑で、金地の上に鋭く立つ。

明るい花と鋭い葉が、たてがみの渦と縞の直線に対応している。

草木のほうも、獣に合わせて選ばれている。

館の記録は、その対応までは書いていない。

書いてあるのは、金箔と灯りの関係だけである。

獅子は、見られたことのある獣か

この一双を出発点に、獅子の絵を九点数えていく。

獅子は、東アジアでは唐獅子と呼ばれ、虎と対にされてきた。

前の回で虎が見ずに描かれてきたことを見た。

獅子はさらに遠い。

東アジアの獅子は、生きた獣というより、たてがみと渦でできた形である。

一方、ヨーロッパの獅子は、動物園と見世物を通して実際に見られていた。

先に言ってしまうと、九点のうち、体の作りが写生にもとづくのは三点である。

三点では、獅子は模様や装飾の一部になっている。

一点では聖人のそばで戯れ、一点では人に組み伏せられている。

そして一点では、葉のあいだから顔だけが生えている。

聖人の足もとで、二頭が戯れる

二点目は、木版の風景である。

聖ヒエロニムスと二頭の獅子のいる風景
ドメニコ・カンパニョーラ《聖ヒエロニムスと二頭の獅子のいる風景》1530年から35年ごろ。館の記録では、木版。図は28.7×41.8センチ。番号は1952.271。クリーヴランド美術館蔵。ドメニコ・カンパニョーラ《聖ヒエロニムスと二頭の獅子のいる風景》クリーヴランド美術館蔵

横長の画面いっぱいに、風景が広がる。

左には大きな木が数本立ち、幹がねじれている。

葉は細かい線の塊で表されている。

中景には岩山が重なり、頂が尖る。

右奥には低い丘が続き、その向こうに雲がわく。

画面の左下、木のかげに、人がひとり座っている。

裸に近い姿で、体を前へかがめている。

そのそばに、洞窟の口が黒く開いている。

そして画面の中央、川のほとりに、獅子が二頭いる。

一頭は仰向けに転がり、前脚を上げている。

もう一頭はその上にのしかかる。

じゃれ合っているように見える。

たてがみは短い線を重ねて描かれている。

館の記録では、作者は木版を主に自分の素描に似せるために作った。

集める人の市場が広がっていたからだという。

そして、この聖人の図では十字架や聖書への信心ではなく、自然への観照に焦点が置かれている。

館の記録は、そう読む。

さらに、旅人や羊飼いといった田園の要素があり、変化に富むと書く。

川、山の頂、洞窟、木立、そして二頭の獅子のじゃれ合い。

館の記録は、それらを並べて挙げている。

つまり獅子は、風景を構成する要素の一つとして数えられている。

九点のうち、獅子が遊んでいる場面は、この一点だけである。

木版という技法も見ておきたい。

館の記録では、この作者は自分のペンと墨の素描に似せるために木版を作った。

つまり版画でありながら、目指したのは素描の見え方である。

線はすべて細く、太さの変化が少ない。

葉も岩も雲も、同じ太さの線の密度だけで描き分けられている。

獅子のたてがみも、同じ細さの線でできている。

素描に似せるという目的が、獣の毛の描き方まで決めている。

図と紙の寸法が同じであることも、記録に書かれている。

つまりこの一枚は、余白なしに断ち切られている。

葉のあいだから、獅子の頭が生える

三点目では、獅子は植物の一部になる。

獅子と鳳凰の頭を伴う葉叢の中の龍
シャークル《獅子と鳳凰の頭を伴う葉叢の中の龍》1500年代半ば。館の記録では、紙にインク、ガム・テンペラ、金。紙は17.3×40.2センチ。番号は1944.492。クリーヴランド美術館蔵。シャークル《獅子と鳳凰の頭を伴う葉叢の中の龍》クリーヴランド美術館蔵

横に長い紙である。

灰色の地に、線だけで形が描かれている。

中央に、細長い獣が身をよじっている。

体は蛇のようで、鱗が細かく刻まれる。

頭は左上を向き、口が開いている。

龍である。

その前脚が、二本の枝をつかんでいる。

枝からは葉が伸び、大きな花が開く。

葉の形は先が細く、縁が波打つ。

その葉のあいだから、頭が二つ突き出ている。

一つは獅子の頭で、口を開き、龍の首に噛みついている。

もう一つは鳥の頭で、冠羽が後ろへ伸びる。

画面の右には、丸い印がある。

館の記録では、龍は真珠に向かって身を躍らせている。

その真珠は、聖典の一節を刻んだ印の形をしている。

そして龍は前の爪で二本の花咲く枝をつかんでいる。

その枝は不思議な花を次々に咲かせ、その中に獅子と不死鳥が生じるという。

獅子は龍の首を噛み、不死鳥は真珠を争う。

館の記録は、そう説明している。

さらに館は、獅子と鳳凰の頭が葉叢の一部であり、幻の花のようだと書いている。

つまりこの獅子は、獣として歩いていない。

枝から咲いた花として、頭だけがある。

九点のうち、獅子に体がないのは、この一点だけである。