作品を知る

首は、くびれの名である——スミバート・歌麿・チェザーティほか九点

頸部の断片が、一センチ残る

土器の破片である。

1.2×0.7センチ。

爪の先ほどしかない。

地は、赤みがかる。

図は、黒い。

上のほうに、垂れ下がる形が並ぶ。

舌のような形が、横一列に並ぶ。

その下に、人の顔がある。

左に、髭のない顔。

右に、髭のある顔。

どちらも、横向きである。

髭は、細かく刻まれる。

二つの顔のあいだに、細い棒がある。

棒の先が、鉤爪の形になっている。

割れ口は、鋭い。

まわりは、何も残っていない。

パナテナイア型黒絵式頸部アンフォラ(貯蔵器)の断片 アポロンとゼウス
アンティメネスの画家《パナテナイア型黒絵式頸部アンフォラの断片 アポロンとゼウス》紀元前520年ごろ。館の記録では、陶。全体で1.2×0.7センチ。番号は1915.533.a。クリーヴランド美術館蔵。アンティメネスの画家《パナテナイア型黒絵式頸部アンフォラ(貯蔵器)の断片 アポロンとゼウス》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、失われた部分を補っている。

保存のよい他の壺や、有名な宝庫の彫刻と比べると、場面が読める。

この壺には、ある争いが描かれていた。

神託の三脚台をめぐる、二人の争いである。

いま残るのは、三脚台の脚が一本だけである。

それが、髭のある人物の胸を横切っている。

髭のある人物は、二人の息子の争いを止めに入った父である。

髭のない左の人物が、一方の息子。

もう一人は、割れ口の向こうにいたはずである。

この器の名に、首の語が入っている。

頸部アンフォラという。

胴と口のあいだの、細くなった部分を頸と呼ぶ。

この破片は、その頸の一部である。

全体の大きさは、わからない。

わかるのは、この一センチだけである。

一センチの中に、三人の神が残っている。

岬を、首と呼ぶ

油彩である。

45.7×91.4センチ。

横に、たいへん長い。

画面の左半分は、水である。

水面は、ほとんど平らである。

わずかな波が、砂に寄せる。

砂浜が、右下から中景へ伸びる。

白く、細い帯になる。

その先に、土地が出る。

低い崖である。

崖の上は、暗い緑である。

木が、密に生える。

崖は、左へ回り込む。

そして、水の中へ消える。

空は、灰色がかった水色である。

雲は、薄く水平に伸びる。

人も、舟もない。

イートンズ・ネック、ロングアイランド
ジョン・フレデリック・ケンセット《イートンズ・ネック、ロングアイランド》1872年。館の記録では、油彩・カンヴァス。45.7×91.4センチ。番号は74.29。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・フレデリック・ケンセット《イートンズ・ネック、ロングアイランド》メトロポリタン美術館蔵

館の札は「浜辺」と「風景」の二つである。

首の札はない。

しかし、地名に首の語が入っている。

細長く突き出た陸地を、そう呼ぶ。

日本語では、岬である。

首とは言わない。

しかし、細くくびれた部分という発想は同じである。

本土から、首のように伸びる。

そして、その先に頭のような土地がある。

前の二点では、器物と鳥の首だった。

ここでは、土地の首である。

九点の最後にして、体は完全に消えた。

残っているのは、細くくびれた形だけである。

数えてみると

九点を数え直す。

人の首が画面に見えるのは、四点である。

肖像の女、遊び舟の女、彫玉の王、花輪を受ける妃。

守る道具が、一点。

切られる首が、一点。

これは、人ではなく蛇の首である。

器物と生きものの形が、二点。

地形が、一点。

人の首の四点を、働きで分ける。

長さが様式になっているのが、一点。

開けて涼むのが、一点。

鎖を掛けるのが、一点。

花輪を掛けるのが、一点。

四点のうち二点で、首には何かが掛かっている。

掛けるという動作が、首の主な用途である。

そして掛けたものが、身分や関係を示す。

金羊毛の鎖は、王であることを示す。

花輪は、選ばれたことを示す。

言えることと、言えないこと

言えるのは、首がくびれだということである。

太いものと太いものを、細いものがつなぐ。

その細い部分を、首と呼ぶ。

頭と胴のあいだが、人の首。

胴と口のあいだが、壺の首。

本土と先端のあいだが、土地の首。

どれも、両側が広く、真ん中が狭い。

この形があれば、首と呼べる。

そして、細いということは、掛けられるということでもある。

太い胴には、輪を掛けられない。

細いところにだけ、輪が留まる。

言えないことも、いくつかある。

まず、細いことは弱いことでもある。

九点のうち一点で、首は切られていた。

その一点は、人ではなく蛇だった。

人の首が切られる絵は、この九点には入らなかった。

首の語で探すと、掛けるほうが多く出てくる。

守る防具も、切られることを前提にしている。

つまり、切られる場面そのものは記録に残りにくい。

次に、頸部アンフォラの断片は1.2センチしかなかった。

首の部分だけが残ったのではない。

たまたま、その部分が拾われた。

残ったものから全体を推すしかない。

この破片は、頸の一部というだけでもわかることがある。

頸は、胴より薄く作られる。

薄いから、割れやすい。

割れやすい部分ほど、小さな破片で残る。

館は、他の壺と比べて場面を補っている。

補ったものは、記録には書かれるが、画面にはない。

最後に、岬を首と呼ぶのは英語である。

日本語では、岬か崎である。

くびれの発想は同じでも、選ぶ体の部分が違う。

英語は首を選び、日本語は突端を選んだ。

同じ地形を見て、別のものを思い出している。

九点を通して、この食い違いが何度も出た。

腕が武器になり、指が水指になり、口が河口になった。

首も、そうである。

体の名は、言語ごとに違う方向へ伸びていく。

伸びた先で、もとの体とは切れてしまう。

切れたあとも、名だけが残って働き続ける。

そして、首は隠しやすい部分でもある。

襟を立てれば、消える。

髪を下ろせば、消える。

九点のうち、首がはっきり見えるのは二点しかない。

肖像の女と、彫玉の王である。

どちらも、首を見せるために衣を工夫している。

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