同じ木が、花と実に分かれる——若冲・高鳳翰・ヴァライエ=コステルほか九点

白い紙に、枝が一本描かれている。
背景は塗られていない。
枝は細く、上へ向かって伸びる。
葉は細長く、先が尖る。
葉脈が薄い緑で描かれている。
その葉のあいだに、実が付いている。
実は小さく、丸い。
色は赤と黄が混じる。
一つずつに、光の当たる面と影の面がある。
先の図版と違い、この枝には一種類の実しか付いていない。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
前の回で見た蝶の名を持つ菫は、同じ画家の手による。
そちらでも、背景は白いままだった。
一株ずつ、白い紙の上に置く。
その作りが、この画家の記録の方法である。
そして先の図版とは、目的が違う。
図版は品種を比べるためのもので、枝は作られていた。
こちらは、その場にあった一枝を写している。
だから実の数も、葉の付き方も、整っていない。
一つの実だけが、ほかより赤い。
熟し方の差が、そのまま残されている。
作られた枝と、あった枝。
同じ実を描きながら、紙の上での扱いが分かれている。
実の木は、道具の材になる
最後の一点で、木は材になる。

小型の弩である。
長さ56.4センチ、幅43センチしかない。
台の部分は木でできている。
木は褐色で、細かい木目が走る。
その表面に、白い象嵌が施されている。
象嵌は渦を巻く模様で、細かく入り組む。
前方には、鋼の弓が横に張られている。
弓は湾曲し、両端が前へ反る。
弦は麻を撚ったものである。
台の後ろには、握るための部分がある。
金色の金具が要所に付く。
館の記録では、この弩はおそらく女性か子供のために作られた。
材の欄には、木について注記がある。
果樹の材で、おそらく李か桜だという。
つまり、どちらの木かは決まっていない。
九点のうち、木の種類が確定していないのは、この一点である。
材の欄には、七種類の材料が並ぶ。
鋼、木、鹿角、麻、羊毛、金、角。
そのうち種類が定まらないのは、木だけである。
金属も、角も、繊維も、見れば分かる。
木だけが、加工されると見分けにくくなる。
花も実も付いていないので、材だけからは見分けにくい。
果樹の材が選ばれるのには理由がある。
きめが細かく、硬く、狂いが少ない。
彫りを施すのにも向いている。
つまりこの木は、花や実のためではなく、幹のために伐られている。
そして白い象嵌が、その面を埋めている。
材の木目は、象嵌のあいだからのぞくだけである。
長さ56.4センチという小ささも、記録の言うとおりの用途を示す。
大人の力では引きにくい弓を、小さく作っている。
数えてみると
九点を並べ直す。
花として描かれているのは、四点である。
月の前の白梅、烏のとまる枝、巻子の前半、そして茶入の面。
実として描かれているのは、四点である。
籠に盛られた実、静物の六分の一、図版の作られた枝、そして白い紙の上の一枝。
そして一点では、木は弩の台になっている。
もう一つ数えておく。
花として描かれた四点には、葉が一枚もない。
実として描かれた四点には、すべて葉が付いている。
花のときは葉がなく、実のときは葉がある。
これは季節の順序そのままである。
しかし絵の側から見れば、葉の有無が二つの主題を分ける印になっている。
色についても数えておく。
花の四点は、白と黒と青しか使っていない。
実の四点には、赤、紫、黄、緑が入る。
つまり色の数も、花と実で分かれている。
寒い季節の花には色が要らず、熟した実には色が要る。
言えることと、言えないこと
言えるのは、同じ木の仲間が、土地によって別の部分を見られてきたということである。
東アジアでは、葉のない枝と白い花が主題になる。
西洋では、葉の付いた枝と色づいた実が主題になる。
九点のうち、花の四点はすべて東アジアの作である。
実の四点はすべて西洋の作である。
例外は一点もない。
言えないのは、どちらかが正しい見方だという話である。
同じ木が、冬には花を、夏には実を付ける。
どちらも本当のことである。
選ばれているのは、季節のほうである。
そして見る目的も違う。
花は眺めるためのものであり、実は食べるためのものである。
眺めるなら、枝ぶりと余白が要る。
食べるなら、色と手触りが要る。
九点の作りの差は、その目的の差から来ている。
最後に、はじめの一幅へ戻る。
白い花には、輪郭線だけがあった。
月には、輪郭線がなかった。
線を引くか引かないかで、近いものと遠いものが分かれている。
そして花は、まだ実になっていない。
九点を数え終えて残るのは、その実になる前の白さのほうである。









