空は、塗るか、残すか——ブーダン・池大雅・ルドンほか九点
空の描き方は三つに分かれる。塗る、紙の地を残す、線を引かない。九点で数えると、空が半分以上を占めるのは四点だった。姓の綴りに空の語が入っていた二点も混じる。空はどの画面でも地面より明るい。雲がないのは二点だけだった。

雲が、画面の四分の三を占めている
一枚のパステルに、空がある。
紙は21.5×28.7センチ。
横長の画面である。
画面の下、四分の一のあたりに、水平の線が引かれる。
その線より下は、海である。
海は淡い灰色と青で、細い横の筆が並ぶ。
右のほうに、小さな白い帆が一つ見える。
線より上は、すべて空である。
空の下のほうは、灰色の帯が幾重にも重なる。
その上に、白い雲が二つ大きく盛り上がる。
雲は明るく、縁が丸い。
雲と雲のあいだに、青い部分が広がる。
青は上へ行くほど濃くなる。
紙は灰色である。
その灰色を残したところが、雲の影になっている。
館の記述によれば、この画家はこうした空の絵を生涯にわたって描いた。
その場で描くために、パステルを選んだという。
持ち運べて、直接描けるからである。
館はさらに、当時の批評家の言葉も引いている。
その人は、これらの空の絵を「気象の美」と呼んだ。

空は、画面の上半分にある。
そして、たいてい何も置かれていない。
だから空は、余白として扱われることが多い。
だが、余白の広さが画面の印象を決める。
九点を並べて、その配分を数えたい。
名前に「空」が入っていた二点
集めかたは、館の記録の題によっている。
空、天空にあたる語が入るものを拾った。
英語の題も見た。
すると、思わぬ二点が混じった。
どちらも、人名の綴りに空の語が入っている。
一点は、舞踊家の姓である。
もう一点は、食器の組物の名になった一族の姓である。
いずれも、同じ三文字で終わる姓だった。
その部分が、空を意味する語と同じ綴りである。
機械で語を探すと、こういう一致が起きる。
前の回では、広いという語に道が入っていた。
炭素の語に港が入っていた例もあった。
今回は、人名である。
外れの二点は、後半で扱う。
九点のうち、空が主題として扱われているのは五点だった。
空が広い画面、狭い画面
空の占める面積を数えたい。
画面の半分以上が空なのは、四点。
三分の一ほどが空なのは、二点。
空がほとんど見えないのが、三点である。
いちばん空の広いのは、いま見たパステルだった。
四分の三が空である。
次が、油彩の一点である。
38.2×48.5センチ。
画面の下の五分の一に、暗い土地がある。
丘と木立らしいが、細部は見えない。
その上は、すべて雲である。
雲は灰色と茶色で、厚く重なる。
中央のやや上に、明るい部分がある。
そこだけ、雲が薄い。
黄色と白の光が漏れている。
上のほうには、青緑の空がわずかに見える。
館の記録の題は、無題である。
括弧のなかに、風景、曇り空、と書かれている。
制作年も記録にない。
この画家の作品は、これで五点目になる。
いずれも無題で、括弧に説明が付いている。

三点目は、嵐の空を描いた油彩である。
27.6×35.7センチと小さい。
画面の右に、大きな木が立つ。
葉は暗い緑と茶で、塊になっている。
その左に、小さな小屋がある。
屋根は低く、壁は暗い。
小屋の前に、赤い衣の人影が一つある。
道は右へ延びていく。
空は、画面の上半分を占める。
雲は灰色と青で、渦を巻いている。
右上のほうは暗く、左は明るい。
嵐が近づいているのか、去ったのかは分からない。
館の記録によれば、署名の綴りが記録に写されている。
その綴りは、画家の名と一字違っている。
館は、そのまま書いている。

空に、顔が浮かぶ
九点のうち一点は、空そのものが主題である。
石版画で、画面は29.1×23.9センチ。
画面の中央に、大きな顔がある。
男の顔で、髭と口髭がある。
頭には、布らしいものを巻いている。
目は見開かれ、こちらを見ている。
顔の周りは、暗い斜線で埋められている。
その斜線は、上のほうで丸く渦を巻く。
つまり、この顔は空に浮かんでいる。
背景に、地面も建物もない。
画面の下に、文字が刷られている。
館の記録は、その文面を写している。
わが夢のなかで、私は空に神秘の顔を見た、という一文である。
上には、図版の番号も刷られている。
館の記述によれば、これは六枚組の一枚である。
十八世紀のスペインの画家への献辞として作られたという。
そして、六つの図は互いに関係がないように見える。
だが、まとめると内省と孤立を示す、と館は書いている。
