作品を知る

空は、塗るか、残すか——ブーダン・池大雅・ルドンほか九点

晴れていく空

日本の屏風を見たい。

二曲一隻で、画面は163.2×182.6センチ。

九点のなかで、いちばん大きい。

地は紙で、墨だけで描かれている。

画面の左右に、竹が生えている。

竹は細く、葉が上のほうに広がる。

中央には、岩の塊がある。

岩は輪郭線で描かれ、内側は薄い。

その奥に、山と川が霞んで見える。

さらに奥、右のほうに、小さな家並みがある。

手前には、平らな岩がある。

館の記述によれば、その岩は見る人を画面へ招く。

そして、この題は雨の後の景色と気分を示すという。

雨で満ちた川が、山から流れ下る。

竹のあいだに、村がある。

館の記録によれば、題は画家自身が書き付けている。

印も二つ、各扇に押されている。

つまり、空という語は題にあるが、画面の空は白い紙である。

雲も、青も描かれていない。

晴れていく、という状態が、余白として示されている。

晴れゆく空の竹と岩
池大雅《晴れゆく空の竹と岩》十八世紀半ば。館の記録では、二曲一隻の屏風。紙に墨。画面163.2×182.6センチ。番号は1958.337。クリーヴランド美術館蔵。池大雅《晴れゆく空の竹と岩》クリーヴランド美術館蔵

空が、ほとんど見えない三点

空の狭い三点を見たい。

一点目は、版画である。

紙は20.9×17.1センチ。

縦長の画面で、全体が暗い。

左右に、細い木が立ち並ぶ。

枝と葉は、無数の細かい線で描かれる。

その線が、画面のほとんどを埋める。

中央の上のほうだけが、明るい。

木のあいだから、空が見えている。

だが、その面積は画面の十分の一もない。

下のほうには、水面と、牛らしい影がある。

館の記録によれば、これは特殊な技法で作られている。

ガラスの板に絵を描き、それを陰画として印画紙に焼く。

つまり、版画と写真の中間にあたる方法である。

そして館は、原版が1862年、この刷りが1921年と書いている。

六十年近く後に刷られたことになる。

林間の空き地の小川
シャルル・フランソワ・ドービニー《林間の空き地の小川》原版1862年、1921年刷り。館の記録では、クリシェ・ヴェール。紙は20.9×17.1センチ。版の面20×16.5センチ。番号は1925.566。クリーヴランド美術館蔵。シャルル・フランソワ・ドービニー《林間の空き地の小川》クリーヴランド美術館蔵

二点目は、素描帖の一葉である。

紙は12.1×19.7センチ。

黒鉛が薄く、画像ではほとんど読めない。

上のほうに、水平の線が一本ある。

その上に、短い縦線が数本立つ。

館の記録の題によれば、空と山の素描である。

つまり、空を描いた素描である。

だが、線がないので空が空として見えない。

紙が白いことと、空が白いことの区別がつかない。

この帖からは、これで九枚目になる。

からまで、八つの回で取り上げた。

同じ一冊が、九つの番号で公開されている。

空と山の素描(スケッチブックより)
アルバート・ビアスタット《空と山の素描(スケッチブックより)》1890年。館の記録では、網目紙に黒鉛。12.1×19.7センチ。番号は1995.379.4g表。メトロポリタン美術館蔵。アルバート・ビアスタット《空と山の素描(スケッチブックより)》メトロポリタン美術館蔵

名前の一致で入った二点

三点目と、最後の一点が外れである。

一点は、写真である。

画面は19.3×13.5センチ。

画面の中央に、人が一人立っている。

上半身は裸に近く、飾りの付いた帯を胸に巻く。

下は、幅の広い薄い衣である。

左腕を高く上げ、右腕を横へ伸ばす。

顔は上を向き、目を閉じている。

背景は、灰色の霞である。

雲のようにも、幕のようにも見える。

床は見えず、足もとが宙に浮いて見える。

館の記録の題は、ある舞台作品と、踊り手の名である。

その名の綴りに、空を意味する語が入っている。

背景が空に見えるのは、偶然である。

写真館の幕を、そう撮っただけだろう。

『シェエラザード』のヴァーツラフ・ニジンスキー
オーギュスト・ベール《『シェエラザード』のヴァーツラフ・ニジンスキー》1913年。館の記録では、網目版のフォトグラヴュール。画面19.3×13.5センチ。紙は20.5×14.4センチ。番号は2019.43。クリーヴランド美術館蔵。オーギュスト・ベール《『シェエラザード』のヴァーツラフ・ニジンスキー》クリーヴランド美術館蔵

もう一点は、磁器である。

全体で高さ9.6センチ。

二つで一組になっている。

台は白く、渦を巻いた形をしている。

その上に、浅い鉢が載る。

鉢の縁は波打っている。

表面には、小さな花と実が描かれる。

赤、黄、緑の色である。

館の記録の題によれば、これは塩を入れる器である。

ある食器の組物の一部だという。

その組物の名に、一族の姓が使われている。

そして、その姓の綴りに空を意味する語が入る。

館の記録には、工房の名と、原型を作った人の名がある。

空とは、まったく関係がない。

塩入れ一対
マイセン磁器工房《塩入れ一対》1736年頃。館の記録では、硬質磁器。全体で高さ9.6センチ。番号は1917.624。クリーヴランド美術館蔵。マイセン磁器工房《塩入れ一対》クリーヴランド美術館蔵

地平線を、どこに引くか

空の広さは、地平線の高さで決まる。

九点で、その位置を見たい。

画面の下から四分の一のところに引くのが、二点。

三分の一のところが、二点。

半分のところが、一点。

地平線がないのが、四点である。

低い位置に引くほど、空が広くなる。

パステルの一点では、線が下から四分の一にあった。

だから空が四分の三を占める。

これは、当時の風景画では新しい配分だったと思われる。

それ以前は、地面を広く取るのが普通だった。

前に扱った十七世紀の風景画では、空は半分ほどだった。

十九世紀に入って、空の比率が上がっている。

九点だけでは確かめられないが、そういう流れがある。

地平線のない四点では、空の広さが測れない。

顔だけの石版画、竹の屏風、素描、そして写真である。

いずれも、地面が描かれていない。

地面がなければ、空も空として成立しない。

にもかかわらず、そこが空に見えることがある。

写真の背景の霞が、その例である。

館の記録は、それを空とは呼んでいない。

呼んでいるのは、こちらの目のほうである。