十二か月の絵は、一枚ずつ旅をする——ゴブラン工房・ベーハム・国貞ほか九点

棚に、桃と杏と葡萄がぎっしり並んでいる。
実には番号が振られ、下の枠に品種の名が記されている。
じつはこれ、商品の目録である。
館の記録では、ロンドンの著名な植木商ファーバーが出版した。
1730年に《花の十二か月》、1732年に《果実の十二か月》。
イングランドで初めての、豪華な販売カタログだったという。
花およそ400種、果実およそ370種を、咲く月と熟す月で分けて載せた。
アメリカ大陸の植物も二十数種まじる。
植民地の植物が、早くもヨーロッパの店先に届いていたことが分かる。
八月の一枚は、八月に熟す果実の棚である。
よく見ると、実の一つ一つに小さな番号が振ってある。
下の枠には、番号に対応する品種の名の一覧。
客はこの絵を眺め、番号で苗木を注文した。
暦の絵は、ここでは商いの道具になった。
いつ咲くか、いつ実るかは、そのまま、いつ買えるかである。
十二か月という区切りが、注文表の区切りとして働いている。
彫版のあとに、筆で一枚ずつ色が差されている。
桃は桃色に、葡萄は緑に。
売り物の絵は、白黒では務まらなかったのだろう。
美しい目録は、そのまま額に入れて飾られもした。
だからこうして、美術館の版画室に残っている。

時代が下ると、月の中身も変わる。
黒い輪郭の太い線で、二人の拳闘士が向かい合う。
下に、月の名が一語。
十一月である。
館の記録では、《十二のスポーツ暦》という組物の一枚である。
イギリスの伝統的な運動と遊びを、月に一つずつ割り当てた。
ニコルソンはその前年、文字の組物《アルファベット》を当てていた。
二匹目の企画がこの暦で、批評も売れ行きも良かったという。
批評家は、現代的な様式と健全な中身の組み合わせを新しいと評した。
版元から出るとすぐに売り切れたとある。
技法の欄には、少し引っかかることがある。
欄はリトグラフと書き、解説の文は木版で作ったと書く。
木版で原画を作り、石版で刷って部数を増やしたと考えられる。
売れる組物は、刷りやすい技法へ乗り換えて増える。
技法の欄の書かれ方は、それ自体が版画の来歴である。
耕す、刈る、氷の上で働く。
月の絵はもともと、労働の絵だった。
十九世紀の終わり、それが観戦する遊びの絵に置き換わっている。
月の中身は、その時代の一年の中身である。
だから月のそろいは、時代ごとに作り直され続けた。
暦そのものが、絵になる国
ここまでの五点は、月を絵にしたものだった。
日本には、もう一歩進んだ形がある。
暦そのものを絵にしてしまうのである。

まずは、月のそろいの日本版から。
三枚続の錦絵に、宴の座敷が広がる。
紅葉の枝がのぞき、女たちが酒器と杯を運ぶ。
《十二月のうち》と組物の名があり、この一枚は九月を受け持つ。
主題は、重陽の節句のあとの月見の宴である。
九月十三日の「後の月」を眺める集まりだ。
三枚続という判型が、宴の横の広がりに合っている。
一枚では座敷の一隅しか入らない。
三枚並べて、ようやく宴の全員が入る。
ここにも「そろい」の仕組みがある。
十二枚の組物の一枚が、それ自体三枚のそろいでできている。
そろいの中のそろいである。
満月の描き方については、満月は円い空白だという回で扱った。
ここでは月ではなく、月を待つ人の側が描かれている。

こちらが、暦そのものの絵である。
白い犬がじゃれ、模様の入った手鞠が転がり、梅が咲く。
紙の上部には、狂歌が書き込まれている。
題は《戌年の暦摺物》。
1814年は戌の年だった。
犬は、その年の干支の当番である。
つまりこの絵は、絵柄そのものが年の名乗りになっている。
江戸の暦では、月の長さが年ごとに変わった。
三十日の大の月と、二十九日の小の月の並びが、毎年組み替えられたのである。
その並びを絵柄の中に忍ばせた私家版の摺物が、絵暦と呼ばれる。
どこに数字が隠れているかを探し当てるのが、贈られた側の楽しみだった。
正月の挨拶に配る、知恵くらべの暦である。
売り物ではないから、紙も摺りも惜しみなく贅沢にできた。
この一枚にも、犬の毛並みに空摺りの起伏が見える。
ヨーロッパの月暦絵が壁に掛かる公の絵だとすれば、絵暦は手から手へ渡る私の絵である。
同じ十二か月が、かたや綴織になり、かたや判じ物になる。

同じ摺物でも、こちらは道具づくしである。
碁盤の目の暦模様、方角を知る磁石、ふところに入る日時計。
そして春を告げる梅の盆栽。
時間を測る道具と、時間を告げる花が、一枚に同居する。
暦は、読むものであると同時に、持ち歩くものでもあった。
題にある《春雨摺物帖》は、のちに摺物を貼り集めた画帖の名である。
一枚ずつ配られた摺物が、集める人の手で帖に綴じ直された。
配って散り、集めて綴じる。
そろいの反対の運動が、ここでは同じ紙に起きている。