美術史・技法

十二か月の絵は、一枚ずつ旅をする——ゴブラン工房・ベーハム・国貞ほか九点

八月(果実の十二か月より)
ヘンリー・フレッチャー《八月(果実の十二か月より)》1732年。館の記録では、エングレーヴィングに手彩色。番号は1945.243。クリーヴランド美術館蔵。ヘンリー・フレッチャー《八月(果実の十二か月より)》クリーヴランド美術館蔵

棚に、桃と杏と葡萄がぎっしり並んでいる。

実には番号が振られ、下の枠に品種の名が記されている。

じつはこれ、商品の目録である。

館の記録では、ロンドンの著名な植木商ファーバーが出版した。

1730年に《花の十二か月》、1732年に《果実の十二か月》。

イングランドで初めての、豪華な販売カタログだったという。

花およそ400種、果実およそ370種を、咲く月と熟す月で分けて載せた。

アメリカ大陸の植物も二十数種まじる。

植民地の植物が、早くもヨーロッパの店先に届いていたことが分かる。

八月の一枚は、八月に熟す果実の棚である。

よく見ると、実の一つ一つに小さな番号が振ってある。

下の枠には、番号に対応する品種の名の一覧。

客はこの絵を眺め、番号で苗木を注文した。

暦の絵は、ここでは商いの道具になった。

いつ咲くか、いつ実るかは、そのまま、いつ買えるかである。

十二か月という区切りが、注文表の区切りとして働いている。

彫版のあとに、筆で一枚ずつ色が差されている。

桃は桃色に、葡萄は緑に。

売り物の絵は、白黒では務まらなかったのだろう。

美しい目録は、そのまま額に入れて飾られもした。

だからこうして、美術館の版画室に残っている。

ボクシング(十二のスポーツ暦より)
ウィリアム・ニコルソン《ボクシング(十二のスポーツ暦より)》1897年。館の記録では、リトグラフ。紙は31.3×24.3センチ。番号は2012.281。クリーヴランド美術館蔵。ウィリアム・ニコルソン《ボクシング(十二のスポーツ暦より)》クリーヴランド美術館蔵

時代が下ると、月の中身も変わる。

黒い輪郭の太い線で、二人の拳闘士が向かい合う。

下に、月の名が一語。

十一月である。

館の記録では、《十二のスポーツ暦》という組物の一枚である。

イギリスの伝統的な運動と遊びを、月に一つずつ割り当てた。

ニコルソンはその前年、文字の組物《アルファベット》を当てていた。

二匹目の企画がこの暦で、批評も売れ行きも良かったという。

批評家は、現代的な様式と健全な中身の組み合わせを新しいと評した。

版元から出るとすぐに売り切れたとある。

技法の欄には、少し引っかかることがある。

欄はリトグラフと書き、解説の文は木版で作ったと書く。

木版で原画を作り、石版で刷って部数を増やしたと考えられる。

売れる組物は、刷りやすい技法へ乗り換えて増える。

技法の欄の書かれ方は、それ自体が版画の来歴である。

耕す、刈る、氷の上で働く。

月の絵はもともと、労働の絵だった。

十九世紀の終わり、それが観戦する遊びの絵に置き換わっている。

月の中身は、その時代の一年の中身である。

だから月のそろいは、時代ごとに作り直され続けた。

暦そのものが、絵になる国

ここまでの五点は、月を絵にしたものだった。

日本には、もう一歩進んだ形がある。

暦そのものを絵にしてしまうのである。

重陽後の月の宴(十二月のうち)
歌川国貞《重陽後の月の宴(十二月のうち)》1854年。館の記録では、木版の三枚続、紙に墨と色。全体で37.1×76.5センチ。番号は1999.457.1。メトロポリタン美術館蔵。歌川国貞《重陽後の月の宴(十二月のうち)》メトロポリタン美術館蔵

まずは、月のそろいの日本版から。

三枚続の錦絵に、宴の座敷が広がる。

紅葉の枝がのぞき、女たちが酒器と杯を運ぶ。

《十二月のうち》と組物の名があり、この一枚は九月を受け持つ。

主題は、重陽の節句のあとの月見の宴である。

九月十三日の「後の月」を眺める集まりだ。

三枚続という判型が、宴の横の広がりに合っている。

一枚では座敷の一隅しか入らない。

三枚並べて、ようやく宴の全員が入る。

ここにも「そろい」の仕組みがある。

十二枚の組物の一枚が、それ自体三枚のそろいでできている。

そろいの中のそろいである。

満月の描き方については、満月は円い空白だという回で扱った。

ここでは月ではなく、月を待つ人の側が描かれている。

戌年の暦摺物
魚屋北渓《戌年の暦摺物》1814年。館の記録では、摺物、紙に墨と色。20.5×17.8センチ。メトロポリタン美術館蔵。魚屋北渓《戌年の暦摺物》メトロポリタン美術館蔵

こちらが、暦そのものの絵である。

白い犬がじゃれ、模様の入った手鞠が転がり、梅が咲く。

紙の上部には、狂歌が書き込まれている。

題は《戌年の暦摺物》。

1814年は戌の年だった。

犬は、その年の干支の当番である。

つまりこの絵は、絵柄そのものが年の名乗りになっている。

江戸の暦では、月の長さが年ごとに変わった。

三十日の大の月と、二十九日の小の月の並びが、毎年組み替えられたのである。

その並びを絵柄の中に忍ばせた私家版の摺物が、絵暦と呼ばれる。

どこに数字が隠れているかを探し当てるのが、贈られた側の楽しみだった。

正月の挨拶に配る、知恵くらべの暦である。

売り物ではないから、紙も摺りも惜しみなく贅沢にできた。

この一枚にも、犬の毛並みに空摺りの起伏が見える。

ヨーロッパの月暦絵が壁に掛かる公の絵だとすれば、絵暦は手から手へ渡る私の絵である。

同じ十二か月が、かたや綴織になり、かたや判じ物になる。

梅の盆栽と磁石と暦模様の懐中日時計(春雨摺物帖より)
柳々居辰斎《梅の盆栽と磁石と暦模様の懐中日時計(春雨摺物帖より)》1806年。館の記録では、摺物帖に貼られた私家版の木版。14×18.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。柳々居辰斎《梅の盆栽と磁石と暦模様の懐中日時計(春雨摺物帖より)》メトロポリタン美術館蔵

同じ摺物でも、こちらは道具づくしである。

碁盤の目の暦模様、方角を知る磁石、ふところに入る日時計。

そして春を告げる梅の盆栽。

時間を測る道具と、時間を告げる花が、一枚に同居する。

暦は、読むものであると同時に、持ち歩くものでもあった。

題にある《春雨摺物帖》は、のちに摺物を貼り集めた画帖の名である。

一枚ずつ配られた摺物が、集める人の手で帖に綴じ直された。

配って散り、集めて綴じる。

そろいの反対の運動が、ここでは同じ紙に起きている。