美術史・技法

十二か月の絵は、一枚ずつ旅をする——ゴブラン工房・ベーハム・国貞ほか九点

暦の字は、器にも住んでいた

九点目は、白状すれば、探し物の外れである。

万暦の鉢に盛られた野苺とカーネーション
ヤーコプ・ファン・フルスドンク《万暦の鉢に盛られた野苺とカーネーション》1620年ごろ。館の記録では、銅板に油彩。銅板は28.3×36.2センチ。番号は2013.1.1。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ヤーコプ・ファン・フルスドンク《万暦の鉢に盛られた野苺とカーネーション》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

青い染付の鉢に、野苺が山と盛られている。

縁には赤いカーネーションが一輪。

手前の卓に、さくらんぼと白すぐりが転がる。

苺のつぶの一粒一粒に、光の点が置かれている。

銅板に描かれた油彩で、筆あとはなめらかである。

十七世紀フランドルの、卓上の静物画だ。

十二か月とは、何の関係もない静物画である。

今回の九点は、記録の中の暦の語で集めた。

この絵は、題の「万暦」に暦の字が入っていたために網にかかった。

万暦は、中国明代の年号である。

鉢は、万暦年間に焼かれた染付というわけだ。

外れとして落としかけて、思いとどまった。

年号もまた、時間の数え方だからである。

万暦は皇帝の在位で年を数え、十二か月は太陽と月で年を刻む。

数え方は違っても、どちらも時間に名前を付ける仕組みである。

ヨーロッパの卓の上の中国の鉢に、暦の名が焼き付いている。

月を描かなくても、器が年代を名乗っている。

そして、盛られているのは野苺とさくらんぼ、つまり初夏の実である。

月の名こそないが、この卓にも季節は写っている。

静物画は、日付を書かない暦なのかもしれない。

言葉で絵を探すことの危うさと面白さが、一枚に同居している。

来た月と、来ない月を数える

ここで、九点を数え直す。

十二枚そろいの一枚として作られたものは、題や組物の名から六点と数えられる。

果実の八月、農民の一月と二月、水路の十二月、祭りの五月、宴の九月、拳闘の十一月。

来た月を並べると、一月、二月、五月、八月、九月、十一月、十二月。

六点で、七つの月が来ていた。

三月と四月、六月と七月、そして十月は、今回の網には来なかった。

そろいの中のどの一枚が海を渡るかは、偶然が決める。

暦としてそのまま使えるものは、二点あった。

戌年の絵暦と、暦模様の摺物である。

そして、暦の字だけが一致した鉢が一点。

月の中身も数えられる。

働く絵が二点、遊ぶ絵と宴の絵が四点、売り物の絵が一点。

月の絵は、労働の絵として始まり、楽しみの絵へ寄っていった。

少なくともこの九点では、遊びが労働の倍ある。

素材も数えておく。

紙が七点、布が一点、銅板が一点だった。

人の姿で数えると、人のいる絵が五点、いない絵が四点である。

月は人の営みでも示せるし、果実と道具と犬でも示せる。

大きさも比べておこう。

摺物の二点は、14センチから20センチほどの、手のひらの紙である。

版画の数点も、おおむね30センチ前後の紙に収まる。

大きさの分かる紙もので最大なのは、国貞の三枚続の横76.5センチだった。

その横に、桁の違う綴織が立つ。

壁の暦と、手の暦。

十二か月は、宮殿の壁面から、ふところの中まで、どの大きさにもなれた。

画題の寿命の長さは、この身軽さと無縁ではないだろう。

寸法の欄には、不思議も一つ残った。

五月の綴織の記録は、全体の寸法を2841.9×454.3センチと書く。

横28メートルという値である。

一枚の壁掛けとしては、いかにも長い。

組物全体の長さか、欄の書き誤りか、記録からは決められない。

寸法の欄がそもそもない記録の回もあった。

欄は、あっても謎を残すことがある。

数えて言えるのは、ここまでである。

十二枚のそろいが十二枚のまま残っているかどうかは、九点からは分からない。

ただ、九点のうち六点が「そろいの一枚」だったという事実は重い。

そろいは、ばらばらになって世界を旅するのが常態なのである。

版画なら、事情はまだ穏やかである。

同じ版から何枚も刷られるから、別の街に別の一そろいが残りうる。

綴織は、そうはいかない。

一枚を織るのに年単位の時間がかかり、同じものは容易に作れない。

だから、そろいの散らばりは、布のほうがずっと取り返しがつかない。

一年は、十二分の一ずつ運ばれる

そろいがばらばらになるのは、悲しいことばかりではない。

六曲一双の屏風に番号が二つ付いた回で見たように、組物の単位は記録の悩みの種である。

一枚ずつなら、一枚ずつ旅ができる。

五月はクリーヴランドへ、別の月はまた別の街へ。

そろいで生まれた絵は、散らばることで、かえって多くの壁に掛かる。

九十七枚が一件に数えられた画帖の回とは、ちょうど逆の運命である。

冊子に綴じられた絵は一つの番号にまとまり、そろいの版画は番号を分けて散る。

考えてみれば、この仕組みは今も生きている。

壁のカレンダーは、月ごとに一枚の絵をめくる。

十二枚の絵で一年を囲む発想は、五月の綴織と何も変わらない。

祈祷書の暦絵から数えて、およそ六百年続く画題である。

これほど長く注文が絶えなかった画題は、そう多くない。

一年が十二である限り、絵は十二枚ひと組で求められ続ける。

最後に、記録に残らないことを一つ。

この九点を注文した人、贈られた人は、みな一年を十二に区切って暮らした。

種を選ぶ植木屋の客も、絵暦を解いた江戸の趣味人も、五月祭を待つ宮廷も。

その区切り方だけは、五百年たっても変わっていない。

わたしたちも、同じ十二分の一の中でこの絵を見ている。

来月になれば、また別の月の絵がふさわしくなる。

十二か月の絵は、いつ見ても十二分の一だけが正しい。

残りの十一枚は、来年もその先も、順番を待ち続けている。

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