十二か月の絵は、一枚ずつ旅をする——ゴブラン工房・ベーハム・国貞ほか九点
暦の字は、器にも住んでいた
九点目は、白状すれば、探し物の外れである。

青い染付の鉢に、野苺が山と盛られている。
縁には赤いカーネーションが一輪。
手前の卓に、さくらんぼと白すぐりが転がる。
苺のつぶの一粒一粒に、光の点が置かれている。
銅板に描かれた油彩で、筆あとはなめらかである。
十七世紀フランドルの、卓上の静物画だ。
十二か月とは、何の関係もない静物画である。
今回の九点は、記録の中の暦の語で集めた。
この絵は、題の「万暦」に暦の字が入っていたために網にかかった。
万暦は、中国明代の年号である。
鉢は、万暦年間に焼かれた染付というわけだ。
外れとして落としかけて、思いとどまった。
年号もまた、時間の数え方だからである。
万暦は皇帝の在位で年を数え、十二か月は太陽と月で年を刻む。
数え方は違っても、どちらも時間に名前を付ける仕組みである。
ヨーロッパの卓の上の中国の鉢に、暦の名が焼き付いている。
月を描かなくても、器が年代を名乗っている。
そして、盛られているのは野苺とさくらんぼ、つまり初夏の実である。
月の名こそないが、この卓にも季節は写っている。
静物画は、日付を書かない暦なのかもしれない。
言葉で絵を探すことの危うさと面白さが、一枚に同居している。
来た月と、来ない月を数える
ここで、九点を数え直す。
十二枚そろいの一枚として作られたものは、題や組物の名から六点と数えられる。
果実の八月、農民の一月と二月、水路の十二月、祭りの五月、宴の九月、拳闘の十一月。
来た月を並べると、一月、二月、五月、八月、九月、十一月、十二月。
六点で、七つの月が来ていた。
三月と四月、六月と七月、そして十月は、今回の網には来なかった。
そろいの中のどの一枚が海を渡るかは、偶然が決める。
暦としてそのまま使えるものは、二点あった。
戌年の絵暦と、暦模様の摺物である。
そして、暦の字だけが一致した鉢が一点。
月の中身も数えられる。
働く絵が二点、遊ぶ絵と宴の絵が四点、売り物の絵が一点。
月の絵は、労働の絵として始まり、楽しみの絵へ寄っていった。
少なくともこの九点では、遊びが労働の倍ある。
素材も数えておく。
紙が七点、布が一点、銅板が一点だった。
人の姿で数えると、人のいる絵が五点、いない絵が四点である。
月は人の営みでも示せるし、果実と道具と犬でも示せる。
大きさも比べておこう。
摺物の二点は、14センチから20センチほどの、手のひらの紙である。
版画の数点も、おおむね30センチ前後の紙に収まる。
大きさの分かる紙もので最大なのは、国貞の三枚続の横76.5センチだった。
その横に、桁の違う綴織が立つ。
壁の暦と、手の暦。
十二か月は、宮殿の壁面から、ふところの中まで、どの大きさにもなれた。
画題の寿命の長さは、この身軽さと無縁ではないだろう。
寸法の欄には、不思議も一つ残った。
五月の綴織の記録は、全体の寸法を2841.9×454.3センチと書く。
横28メートルという値である。
一枚の壁掛けとしては、いかにも長い。
組物全体の長さか、欄の書き誤りか、記録からは決められない。
寸法の欄がそもそもない記録の回もあった。
欄は、あっても謎を残すことがある。
数えて言えるのは、ここまでである。
十二枚のそろいが十二枚のまま残っているかどうかは、九点からは分からない。
ただ、九点のうち六点が「そろいの一枚」だったという事実は重い。
そろいは、ばらばらになって世界を旅するのが常態なのである。
版画なら、事情はまだ穏やかである。
同じ版から何枚も刷られるから、別の街に別の一そろいが残りうる。
綴織は、そうはいかない。
一枚を織るのに年単位の時間がかかり、同じものは容易に作れない。
だから、そろいの散らばりは、布のほうがずっと取り返しがつかない。
一年は、十二分の一ずつ運ばれる
そろいがばらばらになるのは、悲しいことばかりではない。
六曲一双の屏風に番号が二つ付いた回で見たように、組物の単位は記録の悩みの種である。
一枚ずつなら、一枚ずつ旅ができる。
五月はクリーヴランドへ、別の月はまた別の街へ。
そろいで生まれた絵は、散らばることで、かえって多くの壁に掛かる。
九十七枚が一件に数えられた画帖の回とは、ちょうど逆の運命である。
冊子に綴じられた絵は一つの番号にまとまり、そろいの版画は番号を分けて散る。
考えてみれば、この仕組みは今も生きている。
壁のカレンダーは、月ごとに一枚の絵をめくる。
十二枚の絵で一年を囲む発想は、五月の綴織と何も変わらない。
祈祷書の暦絵から数えて、およそ六百年続く画題である。
これほど長く注文が絶えなかった画題は、そう多くない。
一年が十二である限り、絵は十二枚ひと組で求められ続ける。
最後に、記録に残らないことを一つ。
この九点を注文した人、贈られた人は、みな一年を十二に区切って暮らした。
種を選ぶ植木屋の客も、絵暦を解いた江戸の趣味人も、五月祭を待つ宮廷も。
その区切り方だけは、五百年たっても変わっていない。
わたしたちも、同じ十二分の一の中でこの絵を見ている。
来月になれば、また別の月の絵がふさわしくなる。
十二か月の絵は、いつ見ても十二分の一だけが正しい。
残りの十一枚は、来年もその先も、順番を待ち続けている。










