美術史・技法

技法の欄に、合金の配合が書かれる——刀の鐔九点

「おそらく」が、括弧の中に入る

九点のうち一点は、技法の欄に留保がある。

銅と金の合金、括弧して、おそらく赤銅。

呼び名のほうに「おそらく」が掛かっている。

成分は分かるが、その呼び名で呼んでよいかは断定しない。

赤銅と呼ぶには、金の割合に幅がある。

分析していなければ、割合は分からない。

館は、分からないことを分からないままにしている。

推測を書いたうえで、推測だと明示する。

これは、書かないことより誠実な扱いである。

鐔
美濃派《鐔》17世紀後半から18世紀初め。館の記録では、赤銅とみられる銅と金の合金、金。縦6.5センチ、横5.9センチ、厚さ0.5センチ、重さ104.9グラム。番号は2018.833.24。メトロポリタン美術館蔵。美濃派《》メトロポリタン美術館蔵

四方の辺が内側に窪んだ輪郭である。

いわゆる木瓜の形に近い。

地は黒く、細かい粒が立つ。

その上に、菊の花が七つほど散る。

花はすべて金で、厚く盛られる。

花のあいだを、金の葉と蔓がつなぐ。

葉脈まで細い線で刻まれている。

黒と金の二色しか使われていない。

中央の穴は縦に長く、上下が細くすぼまる。

面の全体が、隙間なく埋められている。

真鍮の一点

最後の一点は、地が黄色い。

技法の欄の先頭に、真鍮とある。

銅と亜鉛の合金だが、記録は成分を書かず、名だけを置く。

赤銅や四分一と扱いが違う。

呼び名だけで通じると判断されたのだろう。

同じ欄の中で、書き方が揃っていない。

記録は、いつも一つの規則で書かれるわけではない。

寒山拾得図鐔
ヨシテル《寒山拾得図鐔》18世紀なかば。館の記録では、真鍮、金、銀、赤銅。縦7.3センチ、横6.7センチ、厚さ0.6センチ、重さ172.9グラム。番号は91.1.777。メトロポリタン美術館蔵。ヨシテル《寒山拾得図鐔》メトロポリタン美術館蔵

角の丸い方形である。

地は真鍮の黄色で、鈍く光る。

右に、人がひとり岩に寄りかかる。

上半身をひねり、口を開けて笑う。

衣は赤銅で表され、黒く沈む。

左下に、もうひとりが低く座る。

こちらは巻物らしいものを抱える。

二人のあいだに、中央の穴が入る。

穴の左右に、小さな穴がもう二つある。

小刀と笄を通すための穴である。

銘の位置が、面の中にある

九点のうち、銘が写真で確かめられるものが数点ある。

いずれも、中央の穴の脇に細く刻まれている。

面の隅ではなく、図の中に入り込む位置である。

絵画の署名は、たいてい隅か縁に寄る。

鐔の銘は、鑑賞する面の真ん中近くにある。

刀に取り付ければ、この面は表から見える。

つまり銘は、持ち主にも見える場所にある。

隠すためでも、証明のためだけでもない。

図の一部として、そこに置かれている。

館の記録には、銘記の欄がある作品とない作品がある。

九点では、銘の内容までは欄に写されていない。

作者の名が分かっているのは、その銘によるはずだ。

しかし、記録はその経路を書かない。

結論だけが、作者の欄に置かれている。

同じ図を、二度作るということ

九点のうち四点が、対になった作品である。

大小の二点と、一対とされる二点。

いずれも、同じ人が同じ図を二度作っている。

絵画では、同じ絵を二枚描くことは特別な出来事だ。

複製や模写として、別の言葉で呼ばれる。

鐔では、それが最初から前提になっている。

刀は二本で一組だから、鐔も二枚要る。

二枚目は、一枚目の複製ではない。

寸法を変え、図の細部も変えて作られる。

同じであることと、違うことが同時に求められる。

前の回の記事で、同じ版から摺られた二枚の版画を見た。

あちらは、同じであることが原理だった。

こちらは、揃えたうえでずらすことが原理である。

反復の意味が、作り方によって変わる。

技法の欄は、配合の記録である

九点の技法の欄を並べ直すと、こうなる。

鉄が二点、真鍮が一点、赤銅を含むものが七点。

四分一を含むものが三点。

そして、赤銅と四分一を両方使う一点がある。

金属を混ぜ、色を作り分けている。

黒くしたければ赤銅、灰色にしたければ四分一。

絵具を選ぶのと同じことを、金属でやっている。

ただし、絵具と違って、混ぜるのは作り手ではない。

合金は、それを専門にする人が作る。

呼び名が付いているのは、配合が共有されていた証拠である。

一人が思いつきで混ぜたものに、名は付かない。

一点に、何人が関わったか

館の記録は、作り手の名をローマ字で書く。

漢字が併記されている作品と、そうでない作品がある。

ここでは、漢字が確かめられない名を、かなで示した。

九点の作者の欄には、七通りの名が並ぶ。

個人の名が七点、一派の名が二点。

そして二点には、二人の名が並ぶ。

しかし、欄に出てくる名がすべてではない。

合金を作った人の名は、どこにも書かれない。

粒の立った地を打った人も、書かれない。

刀身に合わせて穴を削った人も、書かれない。

記録に残るのは、銘を切った人だけである。

銘を切る権利を持つ人が、作者として残る。

それが、この欄の実際の意味である。

九点を並べて分かるのは、そこまでだ。

その先は、記録の外にある。

九点を通して見えるのは、材料の話ではない。

配合に名が付き、その名が記録に残るという話である。

名が付くのは、何度も同じものが作られたからだ。

一度きりのものに、呼び名は要らない。

技法の欄の短い括弧は、その反復の跡である。

記録の欄は、書かれたことしか語らない。

しかし、書かれ方の癖は語る。

成分を先に置き、呼び名を括弧に入れる。

その順序は、読む人を限定しないための工夫である。

呼び名だけで済ませた真鍮の一点が、その工夫を裏返しに見せている。

揃っていない書き方が、規則の存在を教えてくれる。

九点を並べなければ、そのずれには気づけない。

一点だけを見ているかぎり、記録はただ正しく見える。

並べることは、比べることである。

比べてはじめて、欄の書き方に幅があると分かる。

その幅こそが、記録を書いた人たちの判断の跡である。

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