画家を知る

顔だけを、大きく描く——喜多川歌麿の大首絵

ところが、実在の人物も描かれた

一方で、歌麿は実在の女性も描いている。

難波屋おきた
《難波屋おきた》1793年ごろ。茶碗を載せた盆を持つ。左上の短冊に狂歌が入る。喜多川歌麿《難波屋おきた》メトロポリタン美術館蔵

この一枚に描かれているのは、浅草の水茶屋で働いていたおきたという女性である。

茶碗を載せた黒い盆を、両手で捧げるように持っている。着物は淡い地に小花、下に黒地の柄。左上の短冊には狂歌が書かれている。

彼女は遊女ではない。町なかの茶屋の看板娘である。

同じころ、両国の煎餅屋の娘おひさや、芸者の豊雛も繰り返し描かれた。三人は後年まとめて呼ばれるほどの人気を得ている。

これは、江戸の版画史のなかで新しい事態だった。

それまで版画の「有名人」といえば、歌舞伎役者と吉原の遊女である。どちらも、そもそも人前に出ることを職業とする人たちだった。

町の茶屋で働く娘が、名前と顔で売れる。いまでいう一般人の有名人化に近い。

役者絵がどういう商品だったかは別のコラムで扱っている。舞台の顔を売るのと、町の顔を売るのとでは、意味がだいぶ違う。

名前を、書けなくなる

ところが、この商売はすぐに規制された。

1790年代、幕府は出版統制を強めていた。奢侈の禁止と風俗の取り締まりである。

その過程で、絵に実在の女性の名を書き入れることが禁じられた。

絵師と版元は、抜け道を考える。名前を書くかわりに、絵で示すのである。

茶屋の紋を着物に入れる。店にちなんだ持ち物を持たせる。文字を絵に置き換えた判じ物を画面の隅に入れる。

見る人は、それを読んで「これはおきただ」と分かる。当局には名前が書かれていない。

規制が表現を変えた例である。同じことが役者絵でも起きていた。

判じ絵という手法自体は、遊びとして以前からあった。絵と物の名前を組み合わせて、文字を当てさせる。

それが、禁令を回避する道具に転用された。

書けないことを書く方法を、絵師と読者が共有していたことになる。当局もおそらく気づいていただろうが、文字が無ければ形式上は違反にならない。

こういう抜け道が成立するのは、絵と読み手のあいだに共通の約束があるからだ。江戸の版画は、そういう読解の技術を前提に作られている。

いま私たちがそれを読めないのは、当時の常識を失っているからで、絵が不親切なわけではない。

背景を、光らせる

大首絵のもう一つの特徴が、背景の仕上げである。

無地といっても、白い紙のままとは限らない。雲母の粉を撒いて摺る技法——雲母摺が使われた。

光の角度で背景がわずかに輝き、人物が浮き上がる。手間も材料費もかかる贅沢な仕上げである。

いま残っている作品の多くは、雲母が失われたり変色したりして、地の色が沈んで見える。私たちが見ているのは、当時より地味な状態である可能性が高い。

版画が一枚ごとに違う顔を持つことについては、広重のコラムで詳しく扱っている。

湯上がりの女
《湯上がりの女》1795年ごろ。背景は無地。結い上げていない髪が、大きな黒の面として画面を占める。喜多川歌麿《湯上がりの女》メトロポリタン美術館蔵

もう一枚、大首絵を見ておきたい。

湯上がりの女を描いたこの一枚では、髪が結い上げられていない。濡れた髪をひとまとめにしただけの形である。

その黒い塊が、画面の上半分をほぼ占領している。顔は、その黒に食い込むように白く抜かれている。

黒と白の面積比が、この絵のすべてを決めている。背景を無地にしたのは、この対比を邪魔しないためだろう。

襟元にも黒が置かれ、顔の下側を締めている。上と下から黒に挟まれた白い面——それが顔である。

構成として見れば、これはきわめて単純な図形の問題になっている。

錦絵はいくらだったのか

商売の面も見ておきたい。

錦絵は、そば一杯ほどの値段で売られていたと言われる。庶民が土産や飾りとして買える価格である。

ただし、雲母摺や毛割を凝らした企画物は、それより高かったはずだ。工程が増えれば原価が上がる。

版元にとって、大首絵は投資である。手間をかけたぶん、確実に売れる顔でなければならない。

だから実在の人気者が選ばれた。おきたも、おひさも、すでに評判になっていた人である。

絵が有名人を作ったというより、有名人を絵にして回収した、という順序に近い。

もっとも、絵が評判をさらに広げた面も当然ある。両者は互いを押し上げていたと見るのが妥当だろう。

全身像を、やめたわけではない

顔ばかり描いた画家、という印象は正確ではない。

青楼十二時 続 丑ノ刻
《青楼十二時 続 丑ノ刻》1794年ごろ。深夜の遊郭。灯りを手にした女が、裾を引いて歩く。喜多川歌麿《青楼十二時 続 丑ノ刻》メトロポリタン美術館蔵

〈青楼十二時〉は、吉原の一日を十二の時刻に割り当てた シリーズ である。

丑の刻——深夜一時から三時——の一枚では、女がひとり、紙で包んだ灯りを持って歩いている。

背景はほとんど無地だが、左に屏風が立ち、足元に履物が脱ぎ捨てられている。時刻と場所が、最小限の小道具で示されている。

全身の姿勢で語る絵である。前かがみの首、引きずる裾、爪先立ちの足。

歌麿は、顔でも姿勢でも語れた。判型を主題に合わせて選び分けている。

この シリーズ の面白さは、時刻という枠を先に決めていることである。

十二の時刻に、それぞれ一つの場面を割り当てる。何を描くかではなく、いつを描くかで割っている。

同じ発想は、天候や季節を先に決める〈八景〉の型にも通じる。近江八景については広重のコラムで扱った。

日本の版画では、枠を先に決めて中身を埋める作り方が繰り返し使われている。企画として売りやすいからだろう。