模様に沈む人物——エドゥアール・ヴュイヤール
卓と人が、同じ色になる

さらに小さい。縦21.5センチ、横28.8センチ。
卓を囲んで、二人が座っている。
卓の面は暗い緑で、白い皿と珈琲茶碗が置かれている。
右の椅子には花模様の布が掛かる。赤と黄の模様である。
左の人物は淡い褐色で、輪郭がほとんど無い。
右の人物は上半身が背景に溶けている。
つまり人物が色の面として処理されている。
見分けられるのは、白い皿と茶碗、そして頭の位置だけである。
白い皿の役目は大きい。
画面の中でもっとも明るい面であり、視線の起点になる。
そこから卓、人物、椅子の布へと目が動く。
暗い画面では、明るい小さな面が地図の目印として働く。
模様の中に人が沈む絵では、この目印が不可欠である。
誰を描いていたのか
描かれた人についても書いておきたい。
この画家は、家族と友人を繰り返し描いた。
母、姉、義兄、そして画家仲間とその家族である。
家の中で仕事をするなら、モデルは身近な人になる。
同じ条件は、他の画家にも見られる。
家族を描き続けた例は別のコラムでも扱った。
そして家族を描くと、絵は肖像であると同時に生活の記録になる。
食卓、縫い物、暖炉のそば。時刻と季節が細部に残る。
母を描いた一点

縦長の小品である。
女性が卓の前に座り、横を向いている。
服は淡い桃色で、体の輪郭が丸い。
髪は白く、頭に黒い飾りがある。
卓の上には白い皿と食器が並ぶ。
椅子は黄色。曲げ木の背もたれが弧を描く。
左には白い扉の枠。右奥に暗い家具が見える。
床は赤褐色である。
つまりここでは人物が明確である。
模様は椅子と床に限られ、背景は落ち着いている。
小品でも、密度の設計が作品ごとに違う。
暖炉のそばの人

横長の小品である。
左に黒い暖炉の縦の面がある。画面を垂直に切っている。
中央に女性が座っている。格子模様の服で、横を向いている。
背後の壁は淡い黄土色で、細かい模様が散る。
右には赤褐色の椅子か布。
下方は緑がかった褐色の面である。
つまり画面は、垂直と水平の色面に分割されている。
人物はその中の一つの形として置かれている。
誰の部屋を描いていたのか
描かれた場所についても書いておきたい。
この画家は長く母と同居し、その住居で制作した。
母は仕立ての仕事をしていたと伝えられる。
つまり家の中には布があり、型紙があり、縫い物の道具があった。
公開分の中に、縫い物をする女性を描いた作品が複数ある。
大きな装飾画も、その主題である。
家業の風景が、そのまま絵の主題になっていることになる。
同じ条件は、家族を描き続けた他の画家にも見られる。
家の中が仕事場である画家は、家族と生活を主題にせざるを得ない。
そしてその制約が、独自の主題を生む。
外の街路や酒場を描いた同時代の画家とは、対象が違う。
どちらが自由かではなく、置かれた場所が違うということである。
布と模様の多い画面は、仕立ての家の風景でもあった。
そう考えると、模様の密度に別の意味が出てくる。
装飾の趣味ではなく、家の仕事の道具が画面を埋めている。
帽子だけが、はっきりしている

女性の肖像である。
顔は褐色で、目と口がはっきり描かれている。
そして頭に大きな帽子がある。
つばは広く、青緑と黒の模様が渦を巻いている。
つまり帽子が画面の上半分を占め、模様として際立つ。
服は暗い青。背景は淡い桃色と灰色で、筆の跡が粗い。
左上に献辞らしい文字が書かれている。
顔よりも帽子が主題に見える構成である。
装いの模様が、人物の説明になっている。
仲間との活動
所属についても書いておきたい。
1890年代のパリで、この画家は若い画家たちの集まりに加わっていた。
彼らは装飾画と版画の仕事を積極的に手がけた。
劇場の舞台装置やプログラムの図案も引き受けている。
つまり絵画だけでなく、印刷物と舞台を含む活動だった。
その環境が、平面的な構成を後押ししたと考えられる。
舞台の書き割りは平面である。ポスターも平面である。
用途が平面を要求する仕事が、日常の仕事だった。
道具を描いた一点

卓の上の静物である。
左に褐色の壺があり、桃色の薔薇が数輪生けられている。
右には木の箱と、開いた本のような形。
箱は絵具箱である。蓋が開き、中に紙や道具が見える。
背景は淡い青灰色の板壁。縦の線が入っている。
卓の面は暗い褐色である。
つまり画室の一隅を描いた絵である。
人物はいない。しかし道具が人の存在を示している。