洗うとは、見えなくすること——アーフェルカンプ・ピサロ・スローンほか九点

大きな織物である。
全体は122.6×180.7センチある。
地は濃い青である。
その上に、文様が隙間なく並ぶ。
大きな花が、規則正しく散る。
花は赤と桃色で、丸く開く。
そのまわりに、細い葉が渦を巻く。
葉は緑と黄土である。
花と花のあいだに、小さな花がある。
小さな花は青紫で、五弁である。
すみれである。
文様は左右に繰り返す。
繰り返しの単位は、大きい。
縁のところで、文様が切れる。
切れ方から、繰り返しの幅が分かる。
裏を見れば、経糸の色も分かるという。
館の記録は、そこまで書いている。
館の記録では、この作者はこうした織物が重い襞をなして掛かることを思い描いていた。
豊かな色と流れる文様が、庭の壁を思わせるという。
そして館は、染料について書いている。
作者は、当時標準になっていた派手な化学染料ではなく、自然の染料で試すことを強く好んだ。
自然の染料は高く、手に入りにくく、染める人に古い方法を復活させることを求めた。
しかし光の中でも、洗うあいだでも、褪せにくかったという。
そして、より繊細な階調を出せたという。
館の記録は、そう説明している。
つまりここでは、洗うことは色の敵である。
洗えば、色が落ちる。
落ちない色を選ぶことが、材料の選択になる。
洗えない布は、掛けておくしかない。
この織物は、壁に掛けるためのものである。
洗うことを前提にしない布である。
それでも、色は褪せる。
光が当たり続けるからである。
館の記録は、その二つを並べて書いている。
九点のうち、洗うことが避けるべき力として書かれるのは、この一点である。
洗うことが、儀式の名になる
最後の一点で、洗うは名前になる。

小さな碗である。
全体は9.9×13.1センチしかない。
胴は丸く、浅い。
左右に、把手が一つずつ付く。
把手は輪の形で、桃色である。
上に、蓋が載る。
蓋は丸く盛り上がる。
蓋の頂きに、摘みがある。
摘みは花の形である。
花は桃色で、幾重にも重なる。
地は白い。
その上に、花の束が描かれる。
花は赤と桃色と青である。
葉は緑で、細い。
蓋の縁には、青い帯が回る。
帯の中には、小さな点が並ぶ。
胴の面にも、同じ帯がある。
装飾は、これだけである。
把手の桃色は、花の桃色と同じである。
色を合わせて、全体をまとめている。
館の記録では、この時代のこの国の上流の人びとは、洗うことと装うことの長い儀式に加わった。
その儀式は、髪と化粧とともに進み、演じることに近かったという。
そして、そのあいだに食べる時間も取られた。
こうした把手の二つある小さな碗は、寝間や私室で一人が飲むための出汁や汁に使われたという。
館の記録は、そう説明している。
つまり洗うことは、ここでは儀式の名の一部である。
碗そのものは、洗うための道具ではない。
洗うあいだに使う、別の道具である。
儀式の名が、道具の分類を決めている。
館は、この碗をその儀式の項目に置いている。
洗う道具でないものが、洗うの記録に入る。
九点のうち、洗うが儀式の名なのは、この一点である。
そして、その儀式の名は前の回でも出た。
身支度の場面を指す語と、同じである。
洗うことと装うことが、一つの語にまとめられている。
数えてみると
九点を並べ直す。
布を洗っているのは、二点である。
氷の穴と、庭の桶。
洗った布を干しているのが、一点。
洗う場所だけが描かれるのが、一点。
足を洗うのが、二点。
馬を洗うのが、一点。
洗うことが色を落とす力なのが、一点。
洗うが儀式の名なのが、一点である。
もう一つ数える。
九点のうち、水が見えるのは四点である。
氷の穴、洗濯船の川、馬のいる渓流、そして庭の桶。
ただし桶の水は、布に隠れている。
水面が見えるのは、三点だけである。
足を洗う二点でも、器の中は見えない。
洗う場面で、水はしばしば隠れている。
さらに数える。
九点のうち、洗う人が膝をつくか、しゃがんでいるのは三点である。
言えることと、言えないこと
言えるのは、洗う姿が「低い姿勢になる」ということである。
水は下にある。
だから手を下げ、腰を落とす。
九点のうち三点で、人は膝をつくかしゃがんでいた。
立ったままなのは、桶が台に載る一点だけである。
台の高さが、姿勢を変えている。
道具が体を起こしている。
干す場面では、腕が上がる。
洗うと干すで、体の向きが逆になる。
下を向く仕事と、上を向く仕事である。
九点は、その両方を含んでいる。
洗う三点と、干す一点である。
足を洗う二点では、その低さが意味を持っていた。
洗う人が、洗われる人より下にいる。
言えないのは、洗う場面に汚れが描かれるという話である。
九点のどこにも、汚れは描かれていない。
布は白く、水は澄んでいる。
落とされたものは、画面に残らない。
汚れを描けば、洗う前の場面になる。
洗っている最中は、すでに落ち始めている。
だから、どちらも描けない。
洗うとは、見えなくする仕事である。
落ちたものは、水の中で散る。
描こうとすれば、水を濁らせるしかない。
九点のどの水も、濁っていない。
氷の穴の水も、暗いだけである。
川の水も、灰色のまま静かである。
最後に、はじめの一枚へ戻る。
氷に開いた穴の縁で、手だけが水に入っている。
その手のあたりに、赤い色が置かれている。
冷たさは、描けない。
かわりに、手の色が変わっている。
九点を数え終えて残るのは、その赤い一点のほうである。
青い紙の上で、赤はよく目立つ。
画面でいちばん強い色が、手にある。
洗う仕事の重さが、そこに置かれている。









