作品を知る

手は、顔の次に情報を持つ——カリアーリ・ロートレック・ウィーリクスほか九点

手の大きさは、体に合っているか

九点の手を、体の大きさと比べた。

顔の縦の長さと、手の縦の長さは、実際にはほぼ同じである。

指先から手首までが、顎から額までとだいたい等しい。

絵の中で、その比が守られているかを見た。

守られているのは五点だった。

守られていないものが三点ある。

いずれも、手が小さく描かれている。

小さい画面のものが多い。

版画の一点では、画面が8.7センチしかない。

その中で、手を正確な比で描くのは難しい。

指は、線一本より細くなる。

だから、手は簡略になり、結果として小さくなる。

逆に、手が大きく描かれる例もある。

前の回で見た老女の一点は、手が体に比べて大きかった。

老いた顔の話で書いたとおり、

手の大きさは、意図して変えられることがある。

大きくすれば、そこに目が行く。

小さくすれば、目立たなくなる。

九点のなかで、手をいちばん大きく描いているのは、習作の紙である。

体がないので、手が画面いっぱいになる。

比の問題そのものが、そこでは消えている。

手を描く順序

手の描き方には、決まった手順があると言われる。

まず、掌を平たい形として取る。

次に、親指を別の方向に付ける。

そして、残る四本を扇のように並べる。

冒頭の習作を見ると、その手順の跡が読める。

いくつかの手は、輪郭だけで止まっている。

指の間の線が、まだ入っていない。

別の手は、白いチョークで甲の高いところが起こされている。

同じ紙の中に、進み具合の違う手が並ぶ。

一つの手を仕上げてから次へ行く、という描き方ではない。

全部を並行して進めている。

これは、時間をかけずに数をこなすやり方である。

工房で使う材料なら、それでよい。

必要なのは、角度の見本だからだ。

あとで大きな絵を描くとき、この紙を見て手の形を決める。

そういう使い方をされたと考えられる。

ただし、館の記録はそこまでは書いていない。

工房の仕組みに触れるだけである。

こちらが読めるのは、仕上がり具合が揃っていない、という事実までだ。

そして、それは記録の欄には現れない。

手は、どこに置かれるか

手の位置も数えた。

胸より上にあるものが四点。

鏡を持つ手、握る手、洗う手、そして遊びの手である。

腰のあたりにあるものが二点。

体の前で合わされた手と、噛まれた手である。

手が高い位置にあると、画面の中で目立つ。

顔と同じ高さに来るからだ。

そして、顔と手が近いと、両方を一度に見ることになる。

鏡を持つ一点では、顔と手鏡がほぼ同じ高さにある。

見ている顔と、見られている顔が並ぶ。

洗う一点でも、顔と手が近い。

顔をこちらへ向けたまま、手を器に入れている。

行為と表情が、同時に見える。

これは、構図の選択だと思う。

手を低い位置に置くと、顔から目を離さなければならない。

高い位置に置けば、一度に読める。

九点のうち、手が画面の下端にあるものは一つもなかった。

九点を並べて、数えられたこと

手が描かれているのは、九点のうち八点である。

一点は、題にだけ手がある。

手が何をしているかを数えた。

持つ、遊ぶ、握る、噛まれる、縛られる、洗う。

そして、何もしていない手が一点。

習作の紙に並ぶ手である。

手の数も数えた。

いちばん多いのは、拳遊びの一点である。

三人が両手を出しているので、六本が同時に働く。

いちばん少ないのは、習作の一点。

体につながっていない手が、五つ以上ある。

数え方が違うので、比べにくい。

材料も数えた。

紙が六点、陶器が一点、布が一点、そして紙の一点は掛軸である。

最後に、九点の題を並べておきたい。

「手の習作」「手鏡を持つ女」「拳遊び」「鉄の手を握る」。

「手を噛む」「手を縛られた」「手を洗う」「右の手に」「手織りの布」。

すべての題に、手の語がある。

これは、選び方がそうだったからである。

記録の中の手の語で拾った。

だから、当然そうなる。

だが、逆のことも言える。

手が主題になるとき、記録はそれを題に書く。

顔の向きや、視線や、切る位置は書かれなかった。

手だけは、書かれる。

行為として名指せるからだと思う。

「洗う」「握る」「縛る」は、動詞で書ける。

「斜めを向いている」は、動詞にしにくい。

記録に載るかどうかは、言葉にしやすいかどうかで決まっている。

記録に書かれていないこと

館の記録は、手の形を書かない。

書くのは、行為だけである。

「手を洗う」「手を噛む」「手を縛る」。

指がどう曲がっているかは、記録に載らない。

だが、絵の中では、そこがいちばん難しい部分である。

指の角度が少し違えば、意味が変わる。

開いた手は差し出すことを示し、閉じた手は拒むことを示す。

その差は、記録の語では書き分けられない。

九点を見比べて、はっきり分かったことがある。

手は、顔の次に情報を持つ。

顔が見えない絵でも、手が見えれば何をしているか分かる。

冒頭の習作は、そのことを裏から証明している。

手だけを並べても、絵として成立する。

そしてもう一つ、記録が書かないことがある。

誰の手をもとに描いたか、である。

冒頭の習作の手は、誰かの手を見て描かれたはずだ。

弟子か、家族か、自分の手か。

鏡を使えば、自分の手も写せる。

だが、そのどれかは記録にない。

九点のどれについても、手の持ち主は書かれていない。

次の回は、足と履物を見る。

手ほど働かない部位が、どう扱われてきたかを数えたい。

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