体は、どこで切られるか——ヴェロッキオ・コルディエ・ドラクロワほか九点の胸像
胸像は、体を胸の高さで切り落とす。現実にはありえない形である。それが二千年続いてきた。九点で、切る位置を測りたい。彫刻は胸で切り、紙の上ではもっと下で切れる。理由は、支え方の違いにある。記録の欄も、彫刻と平面で書き方が変わる。奥行きの欄があるかどうかで分かれる。

胸のところで、水平に切れている
彩色されたテラコッタの像がある。
上半身だけの姿である。
頭に金色の輪がつく。
長い髪が肩へ落ちる。
髭をたくわえ、目を伏せている。
衣は赤と青で塗り分けられ、上から緑の布が掛かる。
右手は胸の前に上がり、指が二本立つ。
そして、胸のいちばん下で、体が水平に切れている。
腹も、腰も、脚もない。
切り口は台のように平らである。

館の記録は、材料を二つ書いている。
彩色したテラコッタと、木である。
テラコッタは、焼いた粘土のことだ。
木がどこに使われているかは、記録に書かれていない。
台や芯に使われた可能性がある。
そして、表面には色が塗られている。
金、赤、青、緑。
焼き上げた土の上に、絵具が乗っている。
彫刻でありながら、絵でもある。
これを見て、不思議に思わない人は多いと思う。
胸像という形式に、見慣れているからである。
だが、よく考えると変な形をしている。
人の体を、胸の高さで切り落とす。
そして、その切り口を平らにして置く。
現実にはありえない姿である。
それなのに、二千年以上、この形が作られ続けてきた。
体は、どこで切ってもよいわけではない。
首で切るか、胸で切るか、腰で切るか。
その位置は、時代と用途で決まっている。
九点を並べて、切る位置を測りたい。
彫刻が四点、素描が二点、版画が一点、油彩が二点である。
切る位置は、二千年変わっていない
まず、いちばん古い一点を置く。

白い大理石である。
女性の頭と、首と、肩と、胸の上部だけがある。
髪は細かく巻かれ、頭の上でまとめられている。
顔はやや右を向く。
肩に布が掛かり、左の肩から胸へ斜めに落ちる。
そして胸の下で、体は円い断面になって終わる。
その下に、短い脚のような支えがついている。
台の上に置くための部分である。
ヴェロッキオの一点と比べたい。
切る高さは、ほとんど同じである。
胸の下、みぞおちのあたりで切れている。
作られた時期は、千三百年以上離れている。
材料も違う。
こちらは大理石、あちらは焼いた土である。
それでも、切る位置は動いていない。
理由は、たぶん単純である。
胸まであれば、肩の幅が分かる。
肩の幅が分かれば、体格が伝わる。
そして、首から下を長く取ると、置いたときに倒れやすい。
支える面積と、伝わる情報の釣り合いが、この高さにある。
館の記録は、寸法を三つ書いている。
高さ64.8センチ、幅47.6センチ、奥行き27.3センチである。
彫刻の記録には、奥行きの欄がある。
平面の作品には、この欄がない。
台座が、切り口を引き受ける
胸像には、たいてい台がついている。

女性の胸像である。
髪は高く結い上げられ、細かく波打つ。
顔は左へ、やや下向きに傾く。
肩から胸にかけて、布が寄せられている。
胸の前に、花の束が彫り込まれている。
そして下端は、黒い方形の台に載る。
館の記録は、寸法を「台を含めて」と断っている。
つまり、像そのものの高さは、この数字より低い。
台は作品の一部として数えられている。
台がなぜ要るのか。
切り口を、床につけないためである。
胸で切った体をそのまま置くと、切断面が見える。
台に載せると、切断面は台の中に隠れる。
見る側は、切られたことを意識しなくなる。
台は、この形式を成り立たせるための装置である。
館の記録によれば、この作者は宮廷から注文を受けた人である。
そして、特定の女性の顔を、いくつもの胸像に使ったという。
これは館の見解である。
こちらで確かめられるのは、顔がそこにある、ということだけだ。
背中には、作者の名が粘土に刻まれている。

九点でいちばん高い胸像である。
高さ82.5センチある。
黒い金属の表面が、光をよく返す。
男が頭に布を巻き、その端が背中へ垂れる。
肩に厚い布を掛け、胸の前で留め具が留める。
髭は短く刈られている。
顔はやや上を向く。
館の記録は、この人物の名を題に入れている。
九点のうち、名前が題に入っているのは三点だけである。
胸像の多くは「女性の胸像」「肖像胸像」と呼ばれる。
名を持たないまま、館に置かれている。
この一点は、そうではない。
誰を写したかが、記録に残っている。

同じ作者の、三年後の作である。
こちらも黒い金属で作られている。
女性が、肩から胸へ布をまとう。
耳に輪の飾りをつけている。
髪は細かく編まれ、頭に沿う。
顔はまっすぐ前を向く。
下端は円い台になり、その下にもう一段ある。
番号を見てほしい。
先の一点が1963.839、こちらが1963.840である。
連番になっている。
そして、受け入れの基金も同じ名である。
同じ年に、同じ経路で、二点そろって館に入った。
第十八回で、出所の行の読み方を並べた。
出所の行の話で見たとおり、
番号が連なるとき、二点は一括で動いていることが多い。
ただし、こちらの題には名前がない。
同じ作者が、同じ材料で作った二点である。
それでも、一方は名を持ち、他方は持たない。
記録に残るかどうかは、作品の側では決められない。