体は、どこで切られるか——ヴェロッキオ・コルディエ・ドラクロワほか九点の胸像
平面では、画面の縁が切る
ここから、彫刻でない五点に移る。
彫刻は、体を実際に切る。
平面では、切るのは画面の縁である。

褐色の地の上に、白と黒で男が刷られている。
髭が胸まで届く。
毛皮で縁取られた衣を着ている。
顔はやや左を向き、目はこちらへ来る。
そして、画面の下の縁で、体が切れる。
切り口は見えない。
縁に隠れているからである。
刷りの色は三段階に見える。
いちばん暗い線、中間の褐色、そして白。
白い部分は、紙の色ではない。
明るい色の版で刷られているように見える。
髭の一本一本は、白い線として抜かれている。
暗い版を彫り落とした跡である。
館の記録によれば、この版画は四つの版木から刷られている。
そして、そのうち一つだけでは輪郭が出ないという。
四枚を重ねて、はじめて像になる。
明暗を分けて刷る技法である。
地の色を刷り、その上に暗い色を重ね、明るい部分を白く残す。
第十九回で、版画の白は紙を残した部分だと書いた。
白を残す話と、原理は同じである。
ただしここでは、紙そのものではなく、地色の版が背景になる。

題に「後ろから見た」と入っている。
胸像でありながら、顔が見えない。
前の回で、こちらを見る顔を数えた。
視線の話で扱ったのは、目が合うかどうかだった。
この一点には、合わせる目そのものがない。
それでも、館は肖像の一種として記録している。
背中と帽子だけで、人が分かるという判断である。
これは、後ろから見た胸像である。
女が椅子に掛け、こちらへ背を向ける。
つばの広い帽子をかぶる。
帽子の縁が、光を受けて明るい。
首の後ろに、束ねた髪が見える。
耳に、小さな飾りが下がる。
そして顔は、右の頬がわずかに見えるだけである。
肩から下は、暗い上着で覆われる。
椅子の背も描かれている。
館の記録は、技法をかなり細かく書いている。
大工が使う平たい芯の鉛筆を用いたという。
そして、丸めた紙や革でこすってぼかしたとある。
太い芯を寝かせれば、広い面が一度に塗れる。
先を立てれば、細い線が引ける。
一本の道具で、二通りの描き方をしている。
館の記録によれば、作者は晩年にこうした頭部の習作を多く残した。
そして、それ自体を独立した作品と考えていたという。
これは館の見解である。
こちらで言えるのは、署名と年が画面の中に入っている、ということだ。
左のあたりに、小さく書き込まれている。

小さな一葉である。
横14.1センチ、縦11.6センチしかない。
そして、この一枚に三つの絵が入っている。
上には、立って何かを持つ人物と、机のようなもの。
下の左には、帽子をかぶった女の顔が大きく描かれる。
下の右には、小さな全身の男が一人立つ。
同じ紙の上で、切り方が三通りある。
顔だけ。
半身。
全身。
そして、それぞれ大きさが違う。
素描帳の一葉とは、こういうものである。
思いついた順に、余白へ描き足していく。
第十七回で、写生帖の一葉が一点として数えられる話を書いた。
ここでも同じことが起きている。
三つの絵が、一つの番号で数えられている。

最後の一点は、題に切り方が書いてある。
半身、側面と記されている。
描かれているのは、裸の男の背中である。
腰のあたりで、画面が終わる。
背骨の窪みと、肩甲骨の張りが塗り分けられている。
顔は右を向き、うつむき加減である。
髪は短く、耳の形が見える。
背景は暗い茶色で、布のようなものが掛かる。
これは、画塾で描かれた習作だと考えられる。
裸の人を前に置き、体の作りを写す練習である。
館の記録は、支持体の履歴も書いている。
もとは紙に描かれ、のちに板へ貼られたという。
かつては布に貼られていた、とも書かれている。
つまり、この一点は二度、下地を替えられている。
紙に油彩で描くと、紙は傷みやすい。
補強のために、別の板や布へ貼る。
その作業を、二度受けたことになる。