一族の名で、二千八十六点——ウィドナー・コレクション

女性が上半身で描かれる。
顔はやや右を向き、目はこちらを見る。
髪は短く巻かれ、額の左右で膨らむ。
首には真珠の首飾りが二重に回る。
衣は明るい赤で、光沢がある。
肩から胸へ、白い布が渡る。
その上に、灰褐色の外套が掛かる。
外套の襞は、大きな面として置かれる。
右手には、白と桃色の花束を持つ。
花は薔薇のように見える。
背景は暗い褐色で、右下に署名がある。
赤い衣の光沢だけが、画面の中心を作る。
正方形に近い画面
九点の縦横の比を計算すると、一点だけ特別なものがある。
《キリストの洗礼》である。
縦129.5センチ、横132センチ。ほぼ正方形だ。
横がわずかに二センチ半ほど長い。
正方形に近い画面は、絵画では多くない。
縦長なら人物、横長なら風景というのが基本である。
正方形は、そのどちらにも寄らない。
この絵では、三人の人物が縦にも横にも広がる。
中央の人物が立ち、左右に一人ずつ。
背後の風景が、余った隅を埋める。
正方形は、中心の強い構図に向く。
視線が四隅から中央へ集まるからだ。
館の記録は、比までは書かない。
しかし二つの数字を並べれば、比は自分で計算できる。
数字を読むとは、そういうことでもある。
顔の向きを、数えてみる
九点の人物画で、顔の向きを数えてみる。
こちらを見るものが四点。
視線を外すものが二点。
真横を向くものが一点。
顔を伏せるものが一点。
そして人物が小さすぎて向きが定まらないものが一点。
真横を向いた一点は、十五世紀のイタリアの肖像である。
側面像は、当時の硬貨や記念章の形式を引き継いでいる。
顔の輪郭を、いちばんはっきり写せる向きだ。
十七世紀の肖像になると、こちらを見る顔が増える。
見る者との関係が、絵の中に組み込まれていく。
九点は、その移り変わりの中に散らばっている。
同じ受入番号の中で、二百年ぶんの変化が並ぶ。
二千点の中の、九点
九点を通して見ると、種類がまるでそろわない。
肖像が五点、宗教画が一点、風景と海が二点、風俗が一点。
イタリア、フランドル、スペイン、英国。
十五世紀から十九世紀の入口まで。
支持体も、板とカンヴァスと革に分かれる。
寸法も、縦51センチから縦129.5センチまで。
そろっているのは、出所の行だけである。
これは、二千点規模の群では当然のことでもある。
数が増えるほど、群の中身は雑多になる。
雑多なものを一つの名でまとめるのが、コレクションという語だ。
館の記録は、その語をそのまま行に使っている。
名だけを書くという判断
出所の行に動詞がないことを、もう一度考えたい。
寄贈とも遺贈とも書かない。
書かなければ、どうやって館に入ったかは分からない。
分からないまま、名だけが残る。
これは不親切に見えるかもしれない。
しかし別の見方もできる。
動詞を書けば、それは一回の行為を指すことになる。
二千点が一度に贈られたわけではないとすれば、動詞は選べない。
複数の世代、複数の経緯をまとめて書くなら、名だけを置くほかない。
名詞だけの行は、経緯を捨てているのではなく、束ねている。
そして経緯は、一点ずつの来歴の欄に書かれる。
出所の行と来歴の欄で、粗さと細かさを分担している。
集めた人と、渡した人
一族の名で残るコレクションには、複数の人が関わる。
集め始めた人、買い足した人、館へ渡すことを決めた人。
同じ人であることもあれば、違うこともある。
出所の行は、そのどれも区別しない。
家の名を一つ置くだけである。
区別しないことで、誰かを立てすぎずに済む。
同時に、誰が何をしたかも消える。
その細かい話は、来歴の欄と、館の内部の記録に残る。
公開されている行だけを見ると、一族の名しか見えない。
見えないところに、いくつもの判断があったはずだ。
どの絵を残し、どの絵を手放すか。
館へ渡すか、売るか、家に置き続けるか。
その判断の結果だけが、二千点という数になっている。
数は、判断の跡である。
一点だけを見ないために
美術館で一点の絵の前に立つとき、番号は目に入らない。
札には作者と題と年が書かれ、番号は小さく添えられる。
しかし記録に戻れば、番号がいちばん先に来る。
そして番号は、その絵が属する群を指している。
群を知らずに一点だけを見ると、見落とすことがある。
同じ群の中に、対になる絵があるかもしれない。
同じ工房の別の作品があるかもしれない。
側面を向いた肖像なら、対になる相手が描かれていた可能性もある。
そういう情報は、番号の近くを探すと見つかることがある。
番号は、そのための道しるべである。
一行の出所と、四桁の年と、枝番の数字。
三つを並べれば、群の輪郭が見えてくる。
一行の下に、二千の枝がある
出所の行を読むとき、その下にどれだけの点数があるかを想像するとよい。
九点を見ているつもりで、実は二千点の入口に立っている。
番号の頭の1942.9が、その入口の名である。
枝番の4番から95番までを見ただけで、これだけの幅があった。
残る二千点の中には、彫刻も工芸も含まれる。
一行の名の下に、館の一部門ほどの規模が収まっている。
記録の一行は、短いほど広い範囲を指すことがある。
短い行を見たら、その広さを疑ってかかるとよい。
そして番号の枝を数えてみる。
枝の数が、その一行の重さを教えてくれる。










