丸い胴に、絵をどう置くか——永樂保全・ティファニーほか九点の器

九点のなかで、いちばん高い。
三二・四センチ。
胴は卵の形である。
下が細く、上がすぼまる。
そして、両側に把手がつく。
把手は金色で、複雑な形をしている。
輪と渦が組み合わさる。
上のほうで、口の両側に立ち上がる。
胴の色は、緑と灰色である。
まだらに混じっている。
そして、胴の正面に人物が描かれている。
女性である。
体を斜めに向け、片手を上げている。
薄い布をまとう。
背景は淡い色で、木のようなものが見える。
つまり、絵が一か所にある。
前に見た水差しと同じ考え方である。
だが、区画の線がない。
絵の周囲が、地の色にぼやけて溶けている。
第十三回で、輪郭の消し方について書いた。
主題と背景の色を近づけると、境が消える。
この一点では、それが器の面で行われている。
だから、絵が浮いて見えない。
そして、正面が明確に決まっている。
把手が両側にあるからである。
把手と把手のあいだが、正面である。
つまり、形が絵の位置を指定している。
白黒が三点
九点のうち三点は、白黒写真である。
龍の壺、花形の鉢、そして急須である。
いずれも古い記録写真だろう。
前の回でも、白黒の椅子が二点あった。
そして、白黒だと分からないことがある。
龍の壺は、館の記録が色を書いている。
鉄赤の地に、金の装飾。
だから、写真になくても色が分かる。
花形の鉢は、上絵付けとだけある。
何色かは書かれていない。
つまり、この一点の色は分からない。
急須は、金属だから色の問題が小さい。
銀に似た灰色である。
第十七回で、記録の項目について書いた。
材料の欄に色が書かれていれば、白黒でも読める。
書かれていなければ、読めない。
そして、館は色を書く義務を負っていない。
材料を書けば、色は推測できる場合が多いからである。
だが、上絵付けのような技法では、色が決まらない。
赤も緑も青も、上絵付けである。
五つの解き方
九点を並べて、曲面の解き方をまとめたい。
第一に、一周させる。
龍の壺である。
絵に始まりと終わりを作らない。
第二に、区画を作る。
水差しと双耳花瓶である。
平らな絵を、一か所に置く。
第三に、散らす。
枝の花瓶である。
小さな図を、面のあちこちに配る。
第四に、形と一体にする。
硝子の花瓶、京焼の壺、型押しの蓋物。
模様が、器の形に沿って流れるか、面ごとに変わる。
第五に、置かない。
花形の鉢と、金属の急須である。
輪郭や光で見せる。
つまり、九点で五つの答えが出ている。
そして、どれが優れているという話ではない。
材料と用途が、それぞれの答えを選ばせている。
磁器なら、細い絵が描ける。
硝子なら、素地に模様を作れる。
金属なら、磨いて映す。
陶器なら、彫るか散らすか。
高さを並べる
九点の高さを並べたい。
いちばん低いのが、花形の鉢で八・六センチ。
次が龍の壺で九・二センチ。
次が枝の花瓶で一四・四センチ。
蓋物が一四センチ。
硝子の花瓶が二〇・六センチ。
急須が二一・七センチ。
水差しが二三・七センチ。
京焼の壺が二五・七センチ。
そして、双耳花瓶が三二・四センチ。
つまり、九センチから三二センチまで、三倍以上の幅がある。
そして、高さと装飾の関係がある。
低い器では、絵が小さくなる。
龍の壺は九・二センチしかない。
そこに、龍と雲と帯が入っている。
つまり、非常に細かい仕事である。
高い器では、絵に余裕がある。
双耳花瓶の人物は、十センチ以上あるだろう。
部門と年代
九点の部門を確かめたい。
米国部門が四点。
枝の花瓶、硝子の花瓶、蓋物、双耳花瓶。
アジア部門が三点。
龍の壺、京焼の壺、花形の鉢。
そして、急須も米国部門である。
つまり、米国部門が五点。
欧州彫刻装飾美術部門は、水差しの一点だけである。
年代も並べたい。
いちばん古いのが、十八世紀の京焼の壺。
次が一七六五年ごろの水差し。
次が一八二〇年の龍の壺。
次が一八三〇年からの蓋物。
次が一八四〇年の花形の鉢。
次が一八五四年からの急須。
次が一八八六年からの枝の花瓶。
次が一八九三年からの硝子の花瓶と双耳花瓶。
つまり、百三十年ほどの幅がある。
そして、後半に米国の品が集まる。
第十七回で、館の収蔵の傾向について書いた。
米国部門は、自国の産業の記録でもある。
器はいつも空である
最後に、前の回と同じことを書いておきたい。
九点の写真に、中身がない。
花瓶に花はない。
水差しに水はない。
急須に茶はない。
鉢にも蓋物にも、何も入っていない。
館の記録の写真は、器だけを撮る。
第十五回で、この作法について書いた。
用途を示す物を入れると、器そのものが見えにくくなる。
だから、空で撮る。
そして、空の器を見ると、装飾だけが残る。
龍も、枝も、孔雀の羽も、人物も。
いずれも、使われているときには半分隠れる。
水差しを持てば、把手を握った手が絵の一部を覆う。
花瓶に花を挿せば、上部の模様が見えなくなる。
つまり、記録の写真が見せているのは、使われていない状態である。
作った人が意図した見え方とは、少し違う。
だが、装飾を読むには、この状態がいちばんよい。
作者が分かるか
九点の作者の欄を見たい。
個人の名があるものが五点。
龍の壺、京焼の壺、花形の鉢、硝子の花瓶、急須。
会社や工房の名だけのものが四点。
枝の花瓶、水差し、蓋物、双耳花瓶。
つまり、およそ半々である。
そして、分かれ方に傾向がある。
アジア部門の三点は、すべて個人名である。
米国部門の五点は、四点が会社名である。
例外は硝子の花瓶で、これは設計者の名がある。
館の記録は、その役を設計者と書いている。
作った人ではなく、意匠を決めた人である。
第十七回で、作者の欄について書いた。
工房や工場で作られた品は、個人名が残りにくい。
大勢が分業で作るからである。
そして、名が残るのは、意匠を決めた人か、工房の主である。
つまり、作者の欄の形が、生産の形を示している。
一人が作る品と、会社が作る品。
その差が、記録の一行に出ている。










