作者の欄に、民族と地域が入る——シカゴ美術館のアフリカ美術

金の輪に、緑の石がはめられている。
輪は太く、断面が丸い。
両端は石の左右で留められる。
石は甲虫の形に彫られる。
背に、翅の分かれ目が線で刻まれる。
頭部には、細かい刻みが並ぶ。
色は深い緑で、表面は艶がある。
金は明るく、輪の表面に細い筋が入る。
上から見た画像が公開されている。
輪と石が、一つの平面に収まって見える。
石は軸で留められ、回転する作りだという。
裏側には印章が彫られていることが多い。
館の記録は、そこまでは書かない。

木を彫った頭部である。
首から下はない。
顔は下へ向かってすぼまり、顎が細い。
額は大きく張り出し、前へ突き出る。
眉から鼻筋へ、一本の稜線が通る。
目は細く、上から見下ろすように彫られる。
口は小さく、下の方に位置する。
髪は結い上げられ、後ろへ長く垂れる。
垂れた部分は、細い板状に彫られる。
表面は黒褐色で、艶がある。
こめかみのあたりに、金属の留め具が見える。
技法の欄には、木と銅と書かれる。
その銅が、どこに使われているかは書かれない。

背の高い椅子である。
背もたれは、座面の倍以上の高さがある。
上部は山形に尖り、透かし彫りが入る。
枠には、白い象牙の小片が埋め込まれる。
小片は四角く、規則的に並ぶ。
背もたれと座面には、繊維を編んだ面が張られる。
編み目は細かく、格子状に見える。
肘掛けは水平に伸び、先が四角い。
脚は太く、床に接する部分が広い。
前脚と後脚のあいだに、横木が渡る。
木は暗い褐色で、艶がある。
寸法の欄には、三つの数字が並ぶ。
家具なので、奥行きが要る。
場所の欄が、別に用意されている
館の記録には、作者の欄とは別に、場所の欄がある。
九点のそれを並べると、いずれも国の名だけである。
エジプトが五点。ガボン。コンゴ共和国。イケレ。ケニア。
作者の欄に書かれた民族名や地域名は、ここには入らない。
つまり、二つの欄で粒度が違う。
作者の欄は細かく、場所の欄は粗い。
なぜ分けるのか。
場所の欄は、検索や集計に使うためだろう。
国の名でそろえておけば、地図の上に置ける。
作者の欄は、その品の成り立ちを説明するためのものだ。
だから民族の名まで書く。
同じ情報を、目的の違う二つの欄に別々の粒度で置く。
前の回の記事で、欄が役割を分ける例をいくつも見た。
ここでも、同じ設計が働いている。
出所の行が、四人の連名
九点の出所の行を見ると、長いものがある。
エジプトの三点は、複数人の連名による寄贈である。
一点では、四人の名が読点で区切られて並ぶ。
別の一点では、三人。
いずれも館の設立に関わった人物たちである。
番号は1892年と1894年。
館が開いてまもない時期の受入である。
当時、古代エジプトの品は各地の館が競って集めていた。
一方、アフリカの四点の受入は1984年以降だ。
そのうち三点は、基金による購入である。
同じ部門の中で、受入の時期が九十年ずれている。
一つの部門に、二つの時間
九点は、同じ部門に属する。
しかし、館に入った時期が大きく分かれる。
エジプトの五点は、1892年から1920年まで。
アフリカの四点は、1984年から2006年まで。
六十年以上の空白がある。
館がアフリカの作品を集め始めた時期は、比較的新しい。
部門の名は「アフリカの美術」で一つだが、中身の来た時期は二層になっている。
出所の行と番号を並べれば、その二層が見える。
前の回の記事で、番号の四桁が館の歴史を刻むと書いた。
ここでも、四桁が部門の成り立ちを語っている。
民族の名を、作者の欄に置く
最後に、入口の話へ戻りたい。
作者の欄に民族の名を書くことには、限界もある。
一人の作り手がいたはずなのに、その名が消える。
かわりに集団の名が置かれる。
読む側は、その集団全体が作ったように受け取りかねない。
しかし、他に書ける情報がない。
空欄にすれば、何も分からなくなる。
だから民族と地域を書き、位置を示す。
九点のうち一点だけは、そこに人の名が入った。
一点でも入れば、他の八点との差がはっきりする。
差がはっきりすれば、名がないことも情報になる。
なぜこの一点だけ名が残ったのか。
その問いが、記録を読む入口になる。
答えは、時代の近さと、伝えた人がいたことである。
作品が残っても、名は自動的には残らない。
誰かが書き留めなければ、消える。
九点のうち八点では、それが起きなかった。
一点では起きた。
その差は、作品の質とは関係がない。
記録が残るかどうかは、作品の外側の事情で決まる。
美術館の記録は、その外側の事情の集積でもある。
読むときには、書かれていない八点のことも一緒に考えたい。
九点はいずれも、誰かの手で作られた。
手が動いた事実は、作品の表面に残っている。
彫りの深さ、磨きの艶、編み目の細かさ。
名がなくても、手の跡は消えていない。
記録の欄が空でも、画像の側にはそれがある。
そこを見るために、寸法や材料の欄がある。
九点の材料の欄を読むだけでも、手の動きは想像できる。
石を磨く手、木を彫る手、金を曲げる手。
作者の欄が空でも、技法の欄は埋まっている。
埋まっている欄から読み始めるのが、実際的な順序だろう。
空いている欄は、そのあとで気にすればよい。
その順序でいけば、九点はどれも十分に読める。
名のない八点にも、読むべきものは残っている。








