美術史・技法

三つの町の甲冑師——ロッホナー、グロースシェーデル、ペッフェンハウザー

ニュルンベルク、ランツフート、アウクスブルク。同じ時期に王侯の注文を受けた三人の作を九点並べる。重さの数字と、肩当ての形から産地の違いを見る。後年の補修や組み合わせの記録も含め、記された事実にもとづいて読んでいく。

皇帝フェルディナント一世の甲冑
クンツ・ロッホナー《皇帝フェルディナント一世の甲冑》メトロポリタン美術館蔵

皇帝の甲冑、二十四キロ

一領の甲冑から始めたい。

皇帝フェルディナント一世の甲冑
クンツ・ロッホナー《皇帝フェルディナント一世の甲冑》1549年在銘。鋼、真鍮、革。高さ170.2センチ、重さ24キロ。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金とジョージ・D・プラット寄贈金による購入、1933年。クンツ・ロッホナー《皇帝フェルディナント一世の甲冑》メトロポリタン美術館蔵

人の形に組まれた鉄が立っている。

高さは170.2センチ。

つまり、着る人の背丈がほぼそのまま出ている。

兜は丸く、頂に細い稜が走る。

面頬は前へ突き出し、視界の隙間が一本入る。

胸当ては中央がわずかに膨らむ。

腹の下から、細長い板が何枚も垂れる。

腕は、細い板を重ねて作られる。

膝には、丸い覆いが付く。

脛と足先まで、鉄で覆われている。

表面には、縦の筋と唐草の文様が刻まれる。

年が、刻まれている

この甲冑には、一五四九年という年が刻まれている。

美術館の記録も、在銘としている。

甲冑に年が入るのは、珍しくない。

注文の記録として、また作った工房の証しとして刻まれる。

年が分かれば、様式の変化を追える。

同じ工房の、別の年の作と比べられる。

甲冑の研究では、この在銘の作品が基準になる。

年のない作品も、在銘の作と比べて年代を推定する。

一つの数字が、周辺の作品の年代を決めていく。

作った人について

クンツ・ロッホナーは、一五一〇年に生まれ、一五六七年に没した。

ニュルンベルクの甲冑師である。

美術館の記録も、その町の名を記す。

ニュルンベルクは、当時の金属加工の中心地だった。

甲冑だけでなく、時計、計測器、版画の道具も作られた。

技術の集まる町である。

その町の工房が、皇帝の注文を受けている。

甲冑師の名が、いま作品とともに残っているのは、刻印と記録のおかげである。

三つの町

今回の九点は、三人の甲冑師の作である。

ロッホナーは、ニュルンベルク。

グロースシェーデルは、ランツフート。

ペッフェンハウザーは、アウクスブルク。

いずれも、南ドイツの町である。

これらの町は、甲冑の産地として競い合っていた。

同じ時期に、それぞれの工房が王侯の注文を受けている。

つまり、産地ごとの様式の違いを見比べられる。

九点は、そのための組み合わせである。

馬にも、甲冑を着せる

二点目は、馬のためのものである。

ザクセン=コーブルク公ヨハン・エルンストのための馬鎧
クンツ・ロッホナー《ザクセン=コーブルク公ヨハン・エルンストのための馬鎧》1548年在銘。鋼、革、銅合金、繊維。馬鎧の重さ27.5キロ。鞍を含めるとおよそ41.7キロ。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金、1932年購入。この作品は色のない画像で公開されている。クンツ・ロッホナー《ザクセン=コーブルク公ヨハン・エルンストのための馬鎧》メトロポリタン美術館蔵

馬の模型に、甲冑が着せられている。

頭には、顔を覆う鉄の面が付く。

首から胸へ、板を重ねた覆いが続く。

胸の前には、大きな板が三枚並ぶ。

腰から尻へ、幅の広い板が掛かる。

その表面に、縦の筋と文様が刻まれる。

上には、鞍と、鎧を着た騎手が乗る。

馬鎧だけで27.5キロ。

鞍を含めると、41.7キロになる。

馬が背負う重さ

数字を整理してみたい。

馬鎧と鞍で、およそ41.7キロ。

そこへ、人の甲冑がおよそ25キロ。

さらに、人自身の体重が加わる。

合計すると、百キロを超える。

これを背負って、馬は走る。

だから、大型で力のある馬が必要になった。

甲冑の重量化は、馬の品種にも影響したとされる。

道具が、生き物の側を変えていく。

部品ごとの重さ

この馬鎧の記録は、部品ごとの重さまで記している。

頭の面が2.6キロ。

首の覆いが5キロ。

胸の中央の板が1.7キロ。

尻の覆いが12.5キロ。

つまり、尻の部分が最も重い。

面積が広く、板が厚いからである。

こうした数字は、実際に着せる際の設計に関わる。

重心の位置が、馬の負担を左右する。

美術館が部品ごとに記録するのは、そのためでもある。

赤く塗られた馬面

三点目は、部品だけである。

リトアニア大法官ラジヴィウ公ニコラウスのための馬面
クンツ・ロッホナー《リトアニア大法官ラジヴィウ公ニコラウスのための馬面》1555年ごろ。後年に塗り直され、目の覆いが補われたとみられる。鋼、真鍮、金、彩色。高さ59センチ、重さ2034グラム。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金、1921年購入。クンツ・ロッホナー《リトアニア大法官ラジヴィウ公ニコラウスのための馬面》メトロポリタン美術館蔵

馬の顔を覆う鉄の板である。

上部は幅が広く、下へ行くほど狭くなる。

先端は、鼻先の形に丸められる。

中央に、縦の稜が走る。

左右には、円い覆いが張り出す。

その覆いには、放射状の穴が開く。

目の位置にあたる。

表面は、暗い地に赤と金の文様が描かれる。

唐草のような曲線が、全面に広がる。

塗り直しという注記

この作品の記録には、注意すべき文言がある。

後年に塗り直され、目の覆いが補われたとみられる、とある。

つまり、いま見えている赤と金は、当初のものとは限らない。

十九世紀の収集の時代には、見栄えのために手を加えることがあった。

錆を落とし、文様を描き直し、欠けた部品を補う。

その結果、実物は華やかになる。

しかし、当初の姿は分からなくなる。

美術館は、その事情を記録に残している。

見る側も、そこを踏まえて見る必要がある。

記録に「とみられる」と書くこと

館の記載は、断定していない。

塗り直された「とみられる」という書き方である。

これは、慎重な態度の表れである。

塗料の分析をすれば、年代は分かるかもしれない。

しかし、分析には費用と手間がかかる。

すべての作品にはできない。

だから、様式の判断にもとづく推定として書く。

当サイトも、その書き方をそのまま引き継ぐ。

推定は推定として、事実と分けて記す。

目を守る覆い

馬面の目の位置には、円い覆いが張り出している。

そこに、放射状の穴が開いている。

馬は、そこから外を見る。

穴は細く、数も限られる。

つまり、視界はかなり狭い。

馬にとっては、不安な状態だろう。

しかし、目を守らなければ、一撃で戦えなくなる。

守ることと、見えること。

その折り合いが、この覆いの形に出ている。

人の兜の面頬と、同じ問題である。

甲冑の彫りと、彩色

甲冑の装飾には、いくつかの方法がある。

薬品で線を彫り、その中を暗くする方法。

金を貼る方法。

そして、塗料で描く方法である。

塗料は、剥がれやすい。

だから、当初の彩色が残っている例は少ない。

一方で、剥がれた部分から下の処理が見えることもある。

この馬面では、赤と金の下に暗い地が見える。

その地が当初のものかどうかも、確かめる手立てが要る。