色だけの秋は、意外に新しい——イネス・如水宗淵・陳洪綬ほか九点
色を使わずに、秋を言う
時代を、三百年ほどさかのぼる。

明時代の中国の画家、陳洪綬の山水である。
岩山のふもとの水辺に、木々が立っている。
葉はまばらで、枝の線が目立つ。
彩色はあるが控えめで、赤や黄が主役になる場面はない。
紅葉の赤を待たなくても、山水は秋になれる、ということである。
それでも題は《秋景山水》である。
題の「古人に倣う」は、昔の画家の様式に倣った画、という意味である。
画面で秋を受け持っているのは、色ではなく、減っていく葉のほうだろう。
館の記録では、二十図からなる画帖のうちの一葉である。
帖には山水のほか、人物も花もおさめられているとある。
晩年の画帖では、風景も人物も小さく縮められているという。
明の滅亡で立場を失った人々の、狭められた暮らしを映すと記録は読む。
古風で磨き抜かれ、それでいて浅くならない、というのが記録の評である。
署名は、号の老蓮で入っているという。
来歴の欄では、翁同龢という人の家に伝わり、子孫の手から1979年に館へ入った。
帖の一葉と扇の面を数えた回で見た画家の、晩年の秋である。
次は、日本の墨である。

色が、一滴もない。
墨だけで、川辺の道が描かれている。
右手に、葉を落とした柳が枝を垂らしている。
館の記録では、二人の行く手を右から縁どるのは、裸の柳が二本だという。
驢馬に乗った人が、左へ進んでいく。
前を歩く供の者は、棒を担いだまま、空を見上げている。
左上には、雁の列が斜めに飛んでいる。
館の記録では、二人の注意を引いているのは、その雁の声だとある。
葉のない柳と、渡る雁。
この二つが、季節を晩秋と告げていると記録は読む。
対岸には、枯れた葦の原と、藁ぶきの小屋が並ぶ。
その奥に松が立ち、低い山が霞んでいる。
川の面は、塗り残された紙のままである。
日本の画家、如水宗淵の作である。
館の記録では、雪舟等楊の弟子で、驢馬の人は中国の文人だとある。
宗淵は1495年、弟子としての証明のように、雪舟から破墨の山水を贈られた。
周防、いまの山口で師に学び、そののち故郷の関東へ帰ったと記録は書く。
遠いものが薄くなる描き方を数えた回で名の出た、雪舟の周辺の一人である。
右下には、宗淵の署名と、如水の印がある。
来歴の欄では、収集家の遺贈で2015年に館へ入った。
さて、この一枚のどこにも、秋の色はない。
紅葉も、黄ばんだ草も出てこない。
秋を言っているのは、落ちた葉と、渡る鳥である。
葉が「ない」ことと、鳥が「いる」こと。
引き算と足し算で、季節が指されている。
墨だけの画面でも、秋は十分に届く。
雁の声にいたっては、描かれてすらいない。
見上げる顔が、聞こえていることだけを伝えている。
もう一枚、墨の紙を見る。

題は、紅葉を見に高雄山へ、と誘う言葉である。
葉の先が十二に分かれた紅葉だと、数まで言っている。
ところが、画面に山はない。
座敷である。
女たちが座り、手元の紙に目を落としている。
まわりの壁や建具には、文字がびっしり並んでいる。
記録の分類の札にも、読む女たち、とある。
紅葉見物は、これから先の話なのだろう。
そして、紅葉の赤は一滴もない。
記録の技法欄には彩色の語もあるが、画面を作っているのはほぼ墨の線である。
十二の葉先も、墨の文字が言うだけで、画面では確かめられない。
墨一色から始まった師宣の回で見たとおり、初期の版画に色は乏しい。
それでもこの一枚は、紅葉の題を掲げていた。
読む人は座敷の図と題から、まだ見ぬ紅葉を思い浮かべたのだろう。
紅葉は、色で見せなくても、字で示せば届いたのである。
紅葉の赤は、意外に少ない
ここで、赤の数を数えておきたい。
ここまでの七点のうち、赤く染まった木がはっきり写るのは三点である。
イネスの右の一本、ロールフスのブナ、ブレイニーの茂みである。
紅葉という言葉からまず浮かぶ、あの赤である。
ル・シダネルの並木は、赤より黄に寄っている。
陳洪綬の木々は、染まるより先に、葉そのものを手放しつつある。
宗淵の柳は、墨の線だけでできている。
紅葉の題を掲げた師宣の一枚には、色そのものがない。
紅葉は、秋の代名詞のように言われる。
だが七点の画面のなかで、赤はいつも一部分だった。
面積で多いのは、むしろ黄と橙である。
イネスの草も、ル・シダネルの水面も、黄がいちばん広い。
ロールフスの一枚でさえ、赤は橙のなかに混ざって光る。
言葉の上の秋は赤く、画面の上の秋は黄色い。
そう言いたくなるくらいの偏りである。
秋の色と一言で言うが、その中身は黄が主で、赤は差し色に近い。
もっとも、これはこの並びの話にすぎない。
赤一色に近い秋の絵が、この外にいくらでもあるかもしれない。
ただ、九点を選んで並べても赤が主役を取らなかったこと。
それ自体は、数えたままの事実である。
実りの秋と、変わる色
秋には、紅葉のほかにもう一つの顔がある。
実りである。