色だけの秋は、意外に新しい——イネス・如水宗淵・陳洪綬ほか九点
黄と橙に染まるイネスの野は、題を見る前から秋と分かる。だが九点を数えると、色だけで秋を名乗る絵は近代の欧米に固まっていた。墨だけの晩秋、紅葉の題だけの版画、葡萄の収穫、鉄の秋草。色に頼らない古い秋を並べ、褪せる染めと残る形まで考える。

野原が、秋の色をしている
野原の絵である。
草は黄ばみ、丈の高い木が何本か、間を置いて立っている。
木々の葉は、黄と橙に染まっている。
右のほうの一本は、赤い。
空は広く、雲が流れ、切れ間から淡い光が差している。
遠くには、白い建物の並びがかすんで見える。
手前の草はらに、小道も人も見当たらない。
木々は列をなさず、思い思いの場所に立っている。
どの形も輪郭がほどけて、にじんでいる。
題を確かめる前に、季節だけは分かる。
秋である。

アメリカの画家イネスが、亡くなる二年前に描いた。
館の記録では、五十年の画歴で千点を超える作品を残した。
晩年の作では、目に見える風景が霊のあらわれのようなものに変わる、と記録は読む。
形をぼかし、透きとおる色を重ねて、大気の効果を作ったとある。
輪郭が溶けていく晩年を数えた回で見た、あの時期の一枚である。
左下には、署名と年が書き込まれている。
来歴の欄では、描かれたその年に、画家と知り合いの収集家が直接買ったという。
豆知識の欄には、最期のことまで書かれている。
イネスは夕日を眺めて「ああ、なんと美しい」と声を上げ、倒れて亡くなったという。
さて、この絵に紅葉の名所は描かれていない。
萩も虫も、葡萄も稲穂も描かれていない。
それでも秋と分かるのは、色のせいである。
黄ばんだ草と、橙の葉と、赤い木。
つまり秋は、色だけで言えてしまう。
だが、それはいつでもどこでもそうだったのか。
色を使わずに秋を言う絵はあるのか。
色だけの秋は、いつごろから描かれているのか。
紅葉と実りという二つの言葉を頭に置いて、九点の秋を数えてみる。
赤と黄が、主役になる
まず、色の秋を続けて見る。
白い幹が、画面を縦に走っている。

幹の白と、葉の橙と赤。
その後ろに、空の青。
絵の具は厚く、うねる筆の跡がそのまま残っている。
葉は一枚ずつ描かれず、赤と橙の塊としてぶつけられている。
足元にも、同じ色が散り敷いている。
ドイツの画家ロールフスの油彩である。
イネスが色をぼかして溶かしたのに対し、こちらは色を塊のまま置く。
同じ色の秋でも、絵の具の使い方はほとんど正反対である。
この作品の記録は収集家夫妻の旧蔵という来歴を除けば数行で、解説の文はない。
だが、題がもう答えを言っている。
《秋の白いブナ》。
季節の名が、木の名と並んで題に入っている。
葉の色のほかに、秋を示すものは画面にない。
色が、季節の名を名乗っている。
言いかえれば、色が信用されている。
橙と赤だけで秋が通じると、描いた側が信じている。
次も、木の絵である。

今度は油彩ではなく、水彩である。
紙の白が色の下から透けるので、秋の明るさに軽さが出る。
森の中に立ち、白い幹の間から茂みを見た構図である。
赤、橙、黄、緑、紫。
斑点のような筆致が、紙の上で隣り合っている。
一枚の茂みのなかに、五つの色が同居している。
緑がまだ残っているから、すべてが染まりきる前の、途中の秋なのだろう。
手前には、灰色の岩がひとつ据わっている。
左下に、名と年の署名がある。
アメリカの画家ブレイニーの作で、この記録にも解説の文はない。
それでも、これを冬の絵と思う人はいないだろう。
色の秋の四点目は、水辺である。

運河が、画面の奥へまっすぐ伸びている。
両岸に黄葉した高い木が並び、右手には建物の壁が続く。
水面には、木々の色がそのまま映っている。
岸の秋と水の秋が、上下で向かい合う。
散った葉が水を染めるより先に、映った葉が水を染めている。
運河は、秋には鏡の役を務める。
館の記録では、フランスの画家ル・シダネルが描いた、ジゾールの運河である。
パリから北西へ40マイルほどの、ノルマンディーの町だとある。
純色を大きな途切れた筆致で置き、間を白や灰で区切る描き方だという。
印象派と違って抑えた色調を好み、静かな謎めいた気分を出したと記録は読む。
画面に、人はひとりもいない。
人けのない古い運河の絵は、人の一生を超える時の流れを思わせる、と記録は書く。
豆知識の欄には、現場でなく記憶で描くことが多かった、ともある。
この秋は、目の前の秋ではなく、覚えている秋かもしれない。
ここまでの四点を、数えておく。
四点とも、秋を名指すものは色しかなかった。
そして四点とも、1892年から1924年までの欧米の絵である。
油彩が三点、水彩が一点。
幅にして、三十年あまりしかない。
同じ秋の景色を大小二枚に描いた画家の回で見た油彩も、この仲間に入る。
色の秋は、束になって同じ時代からやって来る。
偶然かどうかは、残りの五点を見てから考える。