色だけの秋は、意外に新しい——イネス・如水宗淵・陳洪綬ほか九点

横に370センチある、大きな織物である。
男たちと女たちが葡萄を摘み、桶に集めている。
大きな木の桶の中では、二人の男が葡萄を踏んでいる。
右端では、男が搾った汁を樽へ注ぎ込んでいる。
樽の中で、汁は葡萄酒になっていく。
手前では子どもらが眠ったり、遊んだりしている。
いたずらな幼子が、小さな子の口に葡萄の汁を押しつけている。
奥では四組の男女が踊り、木の上のバグパイプ吹きが曲を付けている。
摘む人、踏む人、注ぐ人、眠る子、踊る人。
一枚の秋のなかに、仕事と遊びがまるごと織り込まれている。
来歴の欄によれば、この織物はスコットランドの城に伝わっていた。
館の記録では、16世紀のヨーロッパで葡萄の収穫は秋に行われた。
その伝統は、いまの造り手にも続いているとある。
これは、実りで示す秋である。
紅葉は一枚も要らない。
原画が描かれてから織られるまで、百年を超える隔たりがある。
同じ秋の図柄が、百年のちにも注文されて織られていた、ということである。
糸には金も入っている。
実りの秋は、金の糸をかけるだけの主題だった。
刈る、積む、運ぶという労働の側は、収穫の絵を数える回に譲る。
さて、この織物には色の事件が一つ隠れている。
草木の青である。
画面の草や木々は、いま青みがかって見える。
館の記録では、もとは緑だった。
緑は、青く染めた糸に黄の染めを重ねて作られていた。
時とともに黄が抜け、青だけが残ったのだとある。
織った人たちが見ていたのは、緑の秋だった。
わたしたちが見ている青い秋は、時間が作った色である。
色は、秋を示してくれる。
だが色は、この織物の緑のように、抜けてしまうことがある。
色に頼らない秋の示し方には、それなりの強みがあったことになる。
最後の一点は、絵ですらない。

刀の鐔である。
手のひらに載る、鉄の板である。
縦5.9センチは、ここまで見てきたどの画面よりも小さい。
重さは73.7グラムと、記録は書いている。
寸法の欄に重さまで並ぶのは、これが持ち歩かれる道具だからだろう。
絵の記録で、重さを見ることはまずない。
秋草が透かし彫りにされ、絡み合う茎と葉が縁の形まで作っている。
中央には、刀身を通すための孔が開く。
黒い鉄のところどころに、金の花が小さく光る。
題の《秋草透鐔》は、秋の草を透かし彫りにした鐔、という意味である。
紅葉の赤も、実りの色もここにはない。
あるのは、草の形だけである。
記録の分類の札には、花、とだけある。
それでも、これは秋の道具である。
刀に付けて腰に差せば、季節を持ち歩くことになる。
秋草という主題は、色を全部失っても、まだ秋でいられる。
形だけで、秋が立っている。
数えると、こうなった
九点の秋の示し方を、ここで数える。
色が主役の作が、四点。
イネス、ロールフス、ブレイニー、ル・シダネルである。
物や言葉で示す作が、五点。
まばらな葉、落葉と雁、紅葉の題、葡萄、秋草である。
四対五という比は、思ったより拮抗している。
秋といえば紅葉の色、という連想は、九点の前では半分しか当たらない。
もう一つ、数えられることがある。
色の四点は、1892年から1924年の欧米の油彩と水彩に固まっていた。
物の五点は、素材が絹、紙、羊毛、鉄とばらばらだった。
年代も、原画の1535年から1790年代まで、二百五十年を超えて広がる。
色だけで秋を名乗る絵は、この九点のなかでは、新しい。
19世紀の末より前には、一点もなかった。
物で示す秋は、それより古くから、素材を選ばずにあった。
土地でも数えられる。
物の五点のうち、三点は日本、一点は中国の作である。
残る一点が、フランスの織物だった。
色の四点は、ドイツ、フランス、アメリカの絵である。
東アジアの四点が、そろって色以外の方法を採っていたことになる。
ただし、これも九点の偶然かもしれない。
人も数えておく。
人の姿がはっきり描かれた作は、三点ある。
驢馬で行く二人、座敷の女たち、葡萄を摘む人々である。
三点とも、物と行いの組に入っていた。
秋の道を行く、紅葉を見に行く、葡萄を収穫する。
古い秋は、季節であると同時に、人が出歩く時季だった。
いっぽう色の四点には、目につく人影がない。
秋が人の時季から風景に変わるとき、人は画面から退いたように見える。
この三十回では、一日のなかの時も数えてきた。
夕方の人が何をしているかを数えた回では、時刻は帰る人と灯す人の姿で示されていた。
一日の時は、人の行いと光で画面に現れる。
一年の時は、この九点で見るかぎり、色と物で現れる。
時計のない画面に時を書き込む方法を、絵はいくつも持っている。
題も、数えられる。
九点の日本語の題を読むと、八点までに秋の字が入っている。
入っていないのは、師宣の一枚だけである。
そのかわり、あの題には紅葉の字があった。
色の四点も物の五点も、画面より先に、題のなかで秋を宣言している。
秋という主張を、画面と題名で分担しているのである。
言えないことも、書いておく。
これは、九点を数えた結果にすぎない。
色と物も、きれいに二つへ割れるわけではない。
ル・シダネルの黄葉は物でもあり、陳洪綬の淡い彩色は色でもある。
ここでは、どちらが主役かで数えた。
九点の外には、色で示す古い秋も、物で示す新しい秋もあるだろう。
色の秋が近代の欧米に固まった理由も、ここからは決められない。
風景画そのものがその時代に大きく育った、という事情はあると考えられる。
だが、それを確かめるには九点では足りない。
最後に、記録に残らないことを一つ。
九点のどれもが、ある年の、ある場所の秋から作られたはずである。
イネスが見た1892年の野、ブレイニーが座った1924年の森。
師宣の時代の高雄山でも、秋ごとに紅葉は染まっていたはずである。
だが、それぞれの秋がどんな色だったかを確かめるすべは、もうない。
ル・シダネルの運河は、記憶のなかの色かもしれなかった。
タペストリーの緑は、青に変わってしまった。
絵の外の秋は、毎年散って消える。
その意味で、秋の絵はどれも、消えた秋の覚え書きである。
画面の上の秋だけが、色を変えながらでも残っていく。
散らない秋を、人は九通りのやり方で作ってきた。
絵の具で、糸で、墨の字で、鉄の透かしで。
真冬に見ても、真夏に見ても、そこだけは秋である。









