画家を知る

植民地の独学者が、王の画家になる——ベンジャミン・ウェスト

二十七年後の、描き直し

ウェストは、自作に手を入れ直す画家でもあった。

ハガルとイシュマエル
ベンジャミン・ウェスト《ハガルとイシュマエル》1776年、1803年に改作。油彩・画布。縦193センチ、横138.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。ベンジャミン・ウエスト《ハガルとイシュマエル》メトロポリタン美術館蔵

荒野で水が尽き、母ハガルがぐったりした息子を抱いて嘆く。

その頭上に、緑の衣の天使が雲を割って現れ、救いを告げる場面である。

旧約聖書の中でも、追放された母子という苦い主題である。

縦193センチ。人物は等身大で、嘆きは芝居のように大きい。

所蔵館の記録は、制作年を「1776年、1803年改作」と二段で記す。

つまりこの画布には、38歳の筆と65歳の筆が重なっている。

1776年に描いた絵を、27年後に自分で描き直したのである。

展覧会に再出品するための手直しと考えられている。

どこが1776年で、どこが1803年か。肉眼では見分けがつかない。

それでも記録は、この画面が一度の産物でないことを保証している。

歴史画家にとって、作品は一度きりの完成品ではなく、
手元で更新し続ける在庫でもあった。

制作年が二つある絵は、その仕事の実態を語る貴重な証拠である。

なお、この絵の所蔵番号は「95.22.8」。1895年の受け入れを示す番号である。

《すべてを征する愛》も同じ「95.22」の組に属する。

メトロポリタン美術館がウェストの大作をまとめて受け入れたのは、
開館からまだ四半世紀の時期だった。

アメリカの美術館が、最初に集めた「自国の巨匠」がウェストだったことになる。

所蔵番号の読み方は別のコラムに書いた。

晩年の神話は、柔らかい

晩年の二枚を見たい。

すべてを征する愛(三つの元素における愛の力)
ベンジャミン・ウェスト《すべてを征する愛(三つの元素における愛の力)》1809年。油彩・画布。縦178.8センチ、横204.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。ベンジャミン・ウエスト《すべてを征する愛(三つの元素における愛の力)》メトロポリタン美術館蔵
テレマコスとカリュプソ
ベンジャミン・ウェスト《テレマコスとカリュプソ》1809年ごろ。油彩・画布。縦104.1センチ、横149.2センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ベンジャミン・ウエスト《テレマコスとカリュプソ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

《すべてを征する愛》では、翼のクピドが中央に立ち、
獅子はおとなしく伏せ、黒い馬は小さな天使に手綱を取られる。

題名はラテン語の格言で、猛獣も自然の力も愛に従うという寓意である。

地・水・空の三つの元素を、獅子と馬と鷲たちに割り振る構成になっている。

雲の上の出来事なのに、動物たちの毛並みは妙に現実的である。

寓意画と動物画が同居した、晩年らしい混成の画面である。

《テレマコスとカリュプソ》は、オデュッセウスの息子の物語である。

父を探す旅の若者が、女神カリュプソの島に漂着する場面と読める。

海辺で娘たちが輪になって踊り、左では難破の海を指す人物がいる。

嵐の海と踊りの輪が、一つの画面で隣り合う。

危機と歓待、旅の物語の二面が一枚に畳み込まれている。

70歳を過ぎたウェストの神話画は、劇の緊張より、
流れるような群像の優雅さに向かっている。

ラ・オーグの煙と剣から、ここまでの距離が、この画家の振れ幅である。

ウェストは1820年、82歳でロンドンに没した。

葬儀は国葬級の格式で行われ、セント・ポール大聖堂に葬られたと伝えられる。

植民地生まれの画家の墓が、英国の国家的な聖堂にある。

本人の人生そのものが、一枚の歴史画のような構図を持っている。

工房は、学校だった

ウェストのロンドンの工房には、アメリカからの画学生が次々に滞在した。

マシュー・プラット、チャールズ・ウィルソン・ピール、ギルバート・スチュアート、
ジョン・トランブル。世代を替えて、名前が続く。

本国に美術学校のない時代、ウェストの工房が事実上の「アメリカ美術学校」だった。

滞在者たちは、歴史画の理想と工房の実務を学び、多くは肖像画家として帰国した。

その顔ぶれのその後は、スチュアートのコラム
トランブルのコラムで扱っている。

ウェスト自身の絵は、アメリカにほとんど残らなかった。

代わりに、人が残った。教え子の系譜が、初期アメリカ絵画の骨格になった。

教え子たちの証言では、ウェストは寛大な教師だったと伝えられる。

画室を見せ、模写を許し、批評を与え、時に金も貸した。

競争相手を育てることを恐れない態度は、
本人が王の庇護で生活の心配なく描けたことと無関係ではないだろう。

制度の恩恵を受けた者が、制度の入り口になった。

見立て——輸入した理想を、輸出した人

ここまでを見立てとしてまとめたい。

ウェストの人生は、二回の輸送でできている。

一回目は、植民地の独学者がヨーロッパの「大様式」を輸入したこと。

二回目は、その大様式を、工房の教え子を通じてアメリカへ輸出したことである。

9点を並べると、輸入の過程がそのまま見える。

1756年の硬い肖像。1778年の劇場的な海戦。1791年の王室的な聖書画。1809年の優雅な神話。

腕の上達というより、絵の「制度」を一段ずつ登った記録である。

そして、その制度の頂点に立った人物が、門を開けて後進を通した。

画家としての評価は、時代とともに上下してきた。

教師としての影響は、上下していない。

19世紀のアメリカで肖像や歴史画を描いた画家の系譜をさかのぼると、
かなりの確率でウェストの工房に行き着く。

直接の弟子でなくとも、弟子の弟子がいる。

美術の伝播は、作品より人を介して進む。ウェストはその生きた中継点だった。

最初の一枚に、戻ってみる

最後に、もう一度《サラ・アーシュラ・ローズ》を見てほしい。

腕は不自然で、布は硬い。それでも、顔には注文主への真剣さがある。

この一枚から《楽園追放》までの距離は、一人の努力だけでは説明できない。

後援者、航海、王の庇護、そして制度。

絵の上達には、いつも社会の回路が要る。

回路のない土地に生まれた者は、回路のある場所まで歩くしかない。

ウェストが後年、工房の扉を開け続けたのは、
自分がその回路にどれだけ助けられたかを知っていたからだろう。

これは推測である。ただ、9点の並びは、その推測とよく合う。

9点は二つの美術館に分かれているが、画面の上でなら一列に並ぶ。

独学の18歳の絵と、王の画家の大作を、同じ画面で見比べられる。

9点のうち、初期の3点は素朴画の収集家から、大作は基金と遺贈から美術館に入った。

入り口の違いまで含めて、この画家の二面性は保存されている。

公開画像のいちばんの効用は、この種の「距離の実感」かもしれない。

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