美術史・技法

版画にするための大画面——トランブルの覚書

縦10.8センチの覚書に、版画の値段と配り先が書かれている。トランブルの大画面は、版画の原型として働いた。八点で素描から複製までの流れを読む。名を記録された従者についても触れておきたい。小さな板に描かれた肖像の役割にも触れる。

〈ジブラルタル守備隊の出撃〉の版画の配布控え
ジョン・トランブル《〈ジブラルタル守備隊の出撃〉の版画の配布控え》メトロポリタン美術館蔵

一枚の紙に、値段が並んでいる

一点の資料から始めたい。

〈ジブラルタル守備隊の出撃〉の版画の配布控え
ジョン・トランブル《〈ジブラルタル守備隊の出撃〉の版画の配布控え》1799年3月12日。淡褐色の紙にインク。縦10.8センチ、横20センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・トランブル《〈ジブラルタル守備隊の出撃〉の版画の配布控え》メトロポリタン美術館蔵

絵ではない。手書きの覚書である。

紙の大きさは、縦10.8センチ、横20センチ。手のひらに載る。

そこに六行ほどの文字が並ぶ。左に品目、右に金額が書かれている。

読み取れる範囲では、こうなる。ジェファソン氏へ試し刷り一枚、半金受領、残り三ギニー。

一枚は通常の刷りで、半金受領、残り一・五ギニー。もう一枚はアーサー・リー宛で、同じ条件。

さらに、販売用に六枚、一枚四ギニーで計二十四ギニー。

そして最下部に合計が記される。三十六ギニー。

末尾に日付と署名がある。ロンドン、1799年3月12日。J・トランブル。

版画の値段が、記録されている

この紙が示すものを整理したい。第一に、版画には二つの等級があった。

試し刷りと、通常の刷りである。試し刷りのほうが高い。

第二に、販売用の価格は一枚四ギニーだった。

第三に、代金は分割で受け取られていた。「半金受領、残り何ギニー」という書き方がある。

第四に、贈呈もあった。行の末尾に、贈り物として渡した記載が見える。

つまりこれは、版画の商売の帳簿の断片である。

ギニーという単位

金額の単位にも触れておきたい。ギニーは、当時のイギリスで使われた金貨の単位である。

一ギニーは二十一シリングにあたる。一ポンドが二十シリングなので、
ギニーはポンドより少し高い。

美術品や専門職の報酬は、ポンドではなくギニーで示される習慣があった。

つまり単位の選択そのものが、取引の性格を示している。

四ギニーという価格が当時どれほどの重さだったかは、
生活費の資料と突き合わせないと分からない。ここでは単位の確認にとどめたい。

問い——歴史画は、何のために描かれたのか

ここで問いを立てたい。この覚書は、ある大画面の版画についてのものである。

その大画面は、いま美術館にある。しかし当時、絵そのものが売れたわけではない。

売れたのは、版画である。では、絵は何のために描かれたのか。

当サイトにはジョン・トランブルの作品が18点公開されている。

大画面、肖像、素描、そしてこの覚書が含まれる。並べて読みたい。

その大画面

覚書に名前のある絵を見たい。

ジブラルタル守備隊の出撃
ジョン・トランブル《ジブラルタル守備隊の出撃》1789年。油彩・画布。縦180.3センチ、横271.8センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・トランブル《ジブラルタル守備隊の出撃》メトロポリタン美術館蔵

大きい。縦180.3センチ、横271.8センチ。横幅は二メートル七十を超える。

画面の左は、炎と煙である。赤い光が空を染め、黒い煙が渦を巻く。

中央から右にかけて、赤い軍服の士官たちが並ぶ。白いズボン、黒い帽子、金の飾り。

一人が右手を前へ伸ばす。指の先には、倒れた人物がいる。

倒れているのは、敵方の将校である。数人がその体を支えている。

手前の地面には、武器と旗が散乱する。

つまり、戦闘の直後の場面である。

描いたのは、誰か

作者はジョン・トランブルである。1756年にコネティカットで生まれ、1843年に没した。

独立戦争では、実際に軍務に就いた経歴を持つ。のちにロンドンへ渡り、
ベンジャミン・ウエストのもとで学んだとされる。

つまり、戦争を経験した人物が、戦争の絵を描いている。

ただし、描かれた場面のすべてに立ち会ったわけではない。

経験と伝聞と想像が、どこで分かれるかは作品ごとに違う。

主題は、包囲戦である

主題を確かめたい。ジブラルタルは、地中海の入口にある要塞である。

18世紀後半、この要塞は長期の包囲を受けた。守備側はイギリス軍だった。

描かれているのは、守備隊が城外へ出撃した場面である。

つまり、戦争の一場面を主題にした歴史画である。

アメリカ独立戦争と同じ時期の出来事にあたる。

敵将を、丁重に扱う構図

構図の意図を読みたい。倒れた敵将は、画面の中央下に置かれる。

その周りに人が集まり、体を支える。刃を向ける者はいない。

つまり、勝者が敗者を丁重に扱う場面として構成されている。

戦闘の激しさではなく、勝者の徳を示す構図である。

歴史画には、こうした型がしばしば使われる。

版画にするための構図

構図と複製の関係にも触れておきたい。版画に写すことを前提にすると、構図に条件が付く。

強い明暗の対比があること。人物の輪郭が読めること。細かい色に頼らないこと。

版画は、線と点の濃淡だけで作られる。色は失われる。

だから、色に頼った構図は複製に向かない。

この大画面が明暗をはっきり分けているのは、その条件と無関係ではないだろう。

絵は、版画のための原画である

ここで、覚書に戻りたい。1789年に描かれたこの絵は、その後、版画に写された。

そして1799年の時点で、版画が一枚四ギニーで売られている。

つまり大画面は、版画の原画として働いた。

絵そのものは一点しかない。しかし版画なら、何百枚も作れる。

複製が評価と収入を運ぶ仕組みは、
別のコラムでも扱った。

誰に配られたのか

配布先も見ておきたい。覚書には、ジェファソンの名がある。

当時のアメリカの政治家である。もう一人、アーサー・リーの名も見える。

さらに末尾に、G・スチュアートへ贈呈という記載がある。同時代の肖像画家だと考えられる。

つまり版画は、政治家と同業者に配られていた。

作品を知らせる手段として、複製が使われている。