画家を知る

輪郭線で、絵を立てる——サンドロ・ボッティチェッリ

天使が加わると

もう一枚、似た主題の絵を見てみたい。

聖母子と天使
サンドロ・ボッティチェッリ《聖母子と天使》1475年から85年。テンペラ・板。縦85.8センチ、横59.1センチ。シカゴ美術館蔵。サンドロ・ボッティチェッリ《聖母子と天使》シカゴ美術館蔵

こちらは三人いる。

聖母が幼子を抱き、その左に天使が立つ。

天使は手に器を持ち、こちらを見ている。

背景は建築である。アーチが並び、その奥に風景が見える。

先ほどの絵より、画面が複雑になった。

にもかかわらず、線の扱いは変わらない。

幼子の腕と母の首が交差するところを見てほしい。

腕の輪郭が、首の前をはっきり通っている。

重なっていても、どちらの形も崩れない。

線が分離を保証している。

天使の翼にも、羽の一枚ずつに線がある。

背景の建築も、柱の稜線が明確である。

すべての物が、輪郭で区切られている。

そのため画面は、平面的に見えるところがある。

奥行きはあるのに、物が前後に沈み込まない。

切り抜いて並べたような感じが残る。

これは欠点ではなく、選択だと思う。

背景の建築

この絵の背景も見ておきたい。

アーチが二つ、画面の上を横切る。

その柱は太く、石の質感が丁寧に描かれている。

アーチの向こうには、空と遠い山が見える。

つまり、建物の中から外を見ている構図である。

こうした背景は、当時の板絵でよく使われた。

聖なる人物を、実在する建築の中に置く。

そうすることで、場面が身近になる。

見る人の暮らしと、地続きになる。

ただしボッティチェッリの建築は、正確な図面ではない。

柱の間隔も、アーチの高さも、絵の都合で決められている。

人物の頭のすぐ上にアーチの頂点が来るように配置されている。

建築が、構図の枠として使われているのである。

奥行きを作るためというより、画面を区切るために置かれている。

横顔の男

次は肖像である。

ジュリアーノ・デ・メディチ
サンドロ・ボッティチェッリ《ジュリアーノ・デ・メディチ》1478年から80年ごろ。テンペラ・板。縦75.5センチ、横52.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。サンドロ・ボッティチェッリ《ジュリアーノ・デ・メディチ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

真横を向いた男性である。

鼻筋が高く、顎が張っている。

髪は黒く、耳のあたりで内側に巻いている。

赤い衣を着て、その下に暗い色の上着が見える。

目は伏せられ、まぶたが重く落ちている。

背景には、木の枠のようなものがある。

左側には扉があり、半分ほど開いている。

そして左下、枠の上に、小さな鳥が止まっている。

この鳥と、開いた扉。

これらが何を意味するかについては、古くから解釈がある。

死者の記念として描かれた、という読みである。

記録が語ること

ここで、描かれた人物について確認しておく。

ジュリアーノ・デ・メディチは、フィレンツェの有力者の一族に属した。

兄はロレンツォ・デ・メディチである。

1478年、彼は大聖堂で襲われて死亡した。

いわゆるパッツィ家の陰謀と呼ばれる事件である。

この絵の制作年は、1478年から80年ごろと記録されている。

つまり、事件の後に描かれた可能性がある。

そうであれば、これは生前の姿を記憶から描いた絵になる。

伏せた目、開いた扉、止まった鳥。

いずれも死と結びつけて読める要素ではある。

ただし、この読みが正しいと断定はできない。

同じ構図の作例が複数あり、工房での複製も想定されている。

制作の順序も、注文の事情も、確定していない。

当方としては、有力な解釈の一つとして紹介するにとどめたい。

なぜ真横なのか

構図の話に戻る。

真横から描く肖像を、プロフィルという。

十五世紀のイタリアでは、これがよく使われた。

理由の一つは、古代のコインである。

古代ローマの貨幣には、皇帝の横顔が刻まれている。

その形式を借りることで、絵に格式が付く。

当サイトでも権力の顔で触れた。

もう一つの理由は、線である。

横顔は、輪郭が一本で決まる。

額、鼻、唇、顎。すべてが一続きの線になる。

線で描く画家にとって、これほど都合のよい角度はない。

実際、この絵の輪郭線は見事である。

額から鼻へ落ち、唇でわずかに戻り、顎で締まる。

一本の線が、人物の性格まで決めている。

正面や斜めの顔では、こうはいかない。

輪郭が途切れ、面で捉えるしかなくなる。

横顔の弱点

もっとも、横顔には弱点もある。

こちらを見ないので、絵と目が合わない。

見る人との関係が、一方通行になる。

生きている人の肖像としては、少し冷たい。

逆にいえば、記念像には向いている。

貨幣や墓碑の像が横顔なのは、そのためでもあるだろう。

ジュリアーノの絵が記念として読まれるのも、この形式と関係がある。

そして十五世紀の後半になると、横顔は減っていく。

代わりに、斜めを向いた肖像が増える。

こちらを見る目、動きのある姿勢。

肖像は、記念から人物描写へ移っていった。

ボッティチェッリの手元にも、その変化がある。

同じ画家が、横顔も斜めの顔も描いている。

このあと見る《若者の肖像》が、その例である。

工房という単位

もう一つ、当時の絵の作り方についても書いておきたい。

十五世紀のフィレンツェで、画家は工房を構えた。

親方がいて、職人がいて、徒弟がいる。

注文を受け、下絵を描き、彩色を分担する。

つまり一枚の絵は、しばしば複数の手で仕上がる。

だから「誰が描いたか」は、簡単には決まらない。

美術館の記録でも、帰属はしばしば揺れる。

同じ構図の作が複数残る場合はなおさらである。

ジュリアーノの肖像は、その典型といえる。

複数の版が知られ、どれが最初かで議論がある。

当サイトが扱うのは、ワシントンにある一点である。

同館の記録にもとづき、ボッティチェッリの作として紹介している。

ただし、工房の関与を否定する材料も持っていない。

このあたりは、
誰がフェルメールを決めるかで書いた問題と同じ形をしている。