画家を知る

輪郭線で、絵を立てる——サンドロ・ボッティチェッリ

横長の板に、大勢を

四枚目は、形が違う。

東方三博士の礼拝
サンドロ・ボッティチェッリ《東方三博士の礼拝》1478年から82年ごろ。テンペラと油彩・ポプラ板。画面68センチ×102センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。サンドロ・ボッティチェッリ《東方三博士の礼拝》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の画面である。縦68センチ、横102センチ。

中央に小屋の骨組みがあり、その下に聖母子が座る。

左右から、大勢の人物が集まってくる。

跪く者、立つ者、こちらを向く者。

衣の色は、赤、青、緑、黄と鮮やかである。

人物は小さい。一人あたり、十数センチほどだろう。

これだけ小さくても、輪郭は失われていない。

一人ずつの衣の縁が、線でくっきり区切られている。

だから群衆が、団子にならない。

離れて見ても、人数が数えられる。

線で描くことの利点が、ここではっきり出ている。

背景の建築も、細い線で組まれている。

木の梁が交差し、その奥に風景が抜ける。

小屋の廃墟という主題は、当時よく描かれた。

古い世界の崩れた上に、新しい出来事が起きる。

そういう含みがあると説明されることが多い。

帽子の若者

五枚目は、また肖像である。

若者の肖像
サンドロ・ボッティチェッリ《若者の肖像》1482年から85年ごろ。テンペラ・ポプラ板。縦43.5センチ、横46.2センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。サンドロ・ボッティチェッリ《若者の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

こちらは斜めを向いている。

赤い帽子をかぶった若い男である。

髪は肩まで伸び、ゆるく波打つ。

茶色の上着を着て、右手を胸に当てている。

背景は暗い。人物だけが浮かび上がる。

先ほどの横顔とは、方針が違う。

輪郭は残っているが、顔は面で捉えられている。

頬から顎にかけて、影が回っている。

目には光が入り、湿った感じが出ている。

線だけの画家ではない、ということが分かる一枚である。

寸法も面白い。縦43.5センチ、横46.2センチ。

横のほうが、わずかに長い。

肖像画としては珍しい比率である。

もとの板が切り詰められた可能性も考えられる。

ただ、この点について当方は確認できていない。

丸い画面

最後は、円形の絵である。

幼子を礼拝する聖母
サンドロ・ボッティチェッリ《幼子を礼拝する聖母》1480年から90年。テンペラ・ポプラ板。直径58.9センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。サンドロ・ボッティチェッリ《幼子を礼拝する聖母》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

直径58.9センチの円である。

トンドと呼ばれる形式で、フィレンツェで流行した。

聖母が跪き、地面に横たわる幼子を見ている。

手を合わせ、礼拝の姿勢を取っている。

背景には石の壁と、開けた風景がある。

左奥には天使のような姿も見える。

円い画面は、構図の作り方が難しい。

四隅がないので、水平と垂直が決まらない。

そこでボッティチェッリは、聖母の体を円に沿わせている。

背中の曲線が、画面の縁と呼応する。

青い外衣の輪郭が、そのまま円の一部になっている。

ここでも、効いているのは線である。

面や影ではなく、輪郭が構図を作っている。

トンドは、どこに置かれたか

円い絵は、何のために作られたのか。

記録によれば、トンドは家庭の部屋に掛けられることが多かった。

出産や結婚を機に注文される例も知られている。

つまり、教会の絵ではなく、家の絵である。

そう考えると、主題の選び方も分かる。

母と子。跪いて子を見る母。

家の中に置くのにふさわしい場面が選ばれている。

大きさも、直径58.9センチとほどよい。

壁に掛けて、部屋から見上げるくらいだろう。

いまの言い方をすれば、生活のための絵である。

美術館で見ると、どうしても作品として見てしまう。

しかし本来は、暮らしの中の道具に近かった。

当サイトが
飾ることの話で繰り返し書いているのも、
そこにつながる。

絵は、置かれる場所とともにある。

六点を通して

六点を並べると、いくつか分かることがある。

まず、制作年の幅は二十年ほどある。

1470年ごろから1490年ごろまで。

そのあいだ、線の扱いは基本的に変わっていない。

主題も形式も変わるのに、線だけが一貫している。

次に、板の形が多様である。

縦長、横長、正方形に近いもの、円形。

用途がそれぞれ違ったのだろう。

家庭の礼拝用、部屋の装飾、記念の肖像。

用途が違えば、形も変わる。

そして、線はどの形にも対応している。

線は、形式を選ばない道具だからである。

線が残した影響

最後に、この線がその後どうなったかを書いておく。

十六世紀に入ると、絵の主流は面と光へ移っていく。

輪郭をぼかす技法が広まり、線は目立たなくなる。

ボッティチェッリの評価も、長く低いままだった。

再び注目されるのは、十九世紀に入ってからである。

輪郭のはっきりした画面、平面的な色面、装飾的な線。

これらが、近代の画家たちの関心と重なった。

当サイトで扱った
平らな面の話とも、
遠くでつながっている。

線で描くという選択は、いったん古びて、また新しくなった。

いま六点を並べて見ても、線はまったく鈍っていない。

四百年以上前の板の上で、輪郭はいまも張っている。

線を、目で追う

最後に、見方を一つ提案しておきたい。

この六点を見るとき、輪郭を指でなぞるつもりで目を動かしてほしい。

母の頬から顎へ。子の背から腰へ。衣の襞に沿って。

線が途切れないことに、すぐ気づくはずである。

そして、線の太さが一定でないことにも気づく。

力の入るところで太く、抜けるところで細い。

その強弱が、形に張りを与えている。

絵を色で見る習慣は、近代のものである。

線で見る習慣は、それより古い。

日本の絵にも、線で見る伝統がある。

墨の線一本で形を決める描き方だ。

ボッティチェッリの板絵を見ていると、その感覚と通じるものがある。

素材も主題もまったく違うのに、線への信頼だけが似ている。

形は、線で決まる。

そう信じた人の絵が、六点ここにある。

どれも、線から目を離せない絵である。

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