子どもらしい体の比は、半分に満たない——カラッチ・ルーティ・ドゥカンほか九点

館の記録は、台紙の寸法も書いている。
紙が43.3×53.3センチ。
台紙が49.3×59.6センチである。
六センチほど大きい台紙に貼られている。
この作者の油彩は、第五回に出てきた。
髪の話で扱った一点である。
同じ人が、素描と油彩の両方を残している。
横長の素描である。
農家の室内が描かれている。
天井に、太い梁が渡される。
左に、大きな暖炉がある。
その脇に、道具が掛かる。
奥に、戸口と、格子の窓がある。
右には、棚が並ぶ。
器が置かれている。
床は、石を敷いたように見える。
中央より左に、丸い机がある。
そこに、少年が一人座る。
帽子をかぶり、体を前に傾ける。
机の上に、何かが置かれる。
足元に、犬らしい姿がある。
線は細く、細部まで引かれている。
白いチョークが、明るい部分に置かれる。
この一点で、少年は室内に一人でいる。
大人はいない。
第十二回で、座る場所を数えた。
座る話では、椅子に座る例が少なかった。
ここでは、椅子に座っている。
そして、その椅子は大人用の大きさに見える。
子どもが、大人の家具を使っている。

横長の水彩である。
背景は、薄い青である。
上のほうがやや濃く、下は明るい。
その中に、人物が四人いる。
いずれも、薄い衣を着ている。
衣は白と黄と薄紅である。
裾が、足元で広がる。
左の一人は、腕を伸ばす。
中央の二人は、布らしいものを持つ。
右の一人は、体をひねる。
全員が、裸足である。
輪郭は、細い線で描かれる。
色は薄く、塗り残しが多い。
右下に、書き込みがある。
館の記録の題は「遊ぶ子どもたち」である。
だが、体の比を見ると、子どもらしくない。
頭が小さく、脚が長い。
大人の体つきに近い。
第二十回で、子の大きさが正しいかを数えた。
守られていない例が、そこでも多かった。
この一点も、その一つである。
子どもが、大人の隣に立つ

この作者の版画は、第十九回にも出てきた。
行列の話で扱った一点である。
そちらは、三枚続きの一枚だった。
判型が、まったく違う。
同じ作者でも、注文や用途で形が変わる。
きわめて細長い版画である。
縦65.7センチ、横12.4センチ。
縦が横の五倍を超える。
九点で、いちばん細長い形である。
上のほうに、木の枝が垂れる。
その下に、二人が立つ。
奥の一人は、背が高い。
黒っぽい衣を着て、頭に何かを載せる。
手前の一人は、背が低い。
赤い衣を着て、体をこちらへ向ける。
顔は上を向く。
二人は、体を寄せている。
下のほうに、水田らしい面がある。
この形式は、柱に掛けるために作られた。
細い柱の幅に合わせてある。
だから、こうなる。
第十七回で、判型が用途から決まる話を扱った。
そして、この細さは構図を制約する。
横に広げられない。
だから、人物を縦に並べるしかない。
二人の身長の差が、そのまま縦の差になる。
子どもであることは、その差で示されている。
幼子は、子どもとして描かれない

縦長の版画である。
左に、木の柵がある。
そこに、細い植物が絡む。
草の生えた低い盛り上がりに、女性が座る。
頭から布をかぶる。
衣が、体のまわりで大きく広がる。
その襞が、太い線と細い線で作られる。
膝に、幼児を抱く。
幼児は、裸である。
体を横たえ、顔を胸に向ける。
女性の手が、その体を支える。
もう一方の手は、胸元にある。
館の記録によれば、この作者の同じ主題のなかでも、とくに親密な一点だという。
そして、中央での手の動きが優しさを加えていると記録は書く。
これは館の見解である。
こちらで確かめられるのは、二つの手が中央で近い、ということだ。
下のほうに、四角い石があり、印と年が刻まれる。

館の記録は、寸法を三つ書いている。
額を含めて196.2×68.6×9.5センチ。
絵そのものが196.2×68.2センチ。
そして、もとの縁飾りと尖った頂きを含めて129×59センチ。
三つ目の数字が、二つ目より小さい。
つまり、いまの額はもとのものではない。
もとの部分だけを測った寸法が、別に書かれている。
第十二回で、保存と改変を扱った。
記録は、こうして状態の変化を残すことがある。
きわめて縦長の板絵である。
高さ196.2センチ。
九点でいちばん大きい。
上部が、尖った三角形になる。
その頂きに、小さな場面がある。
背景は、一面の金である。
中央に、女性が座る。
青い衣を頭からかぶる。
裾が、床まで落ちる。
膝に、幼児を抱く。
幼児は、赤みのある衣を着る。
片手を上げる。
玉座の左右に、天使らしい姿が並ぶ。
床には、赤い布が敷かれ、模様がある。
館の記録は、この絵を一つの瞬間ではないと書く。
象徴として組み立てられているという。
そして、上部の場面についても説明がある。
これは館の記述である。
二点とも、幼児が描かれている。
だが、どちらも子どもらしくない。
顔つきが、大人に近い。
体の比も、大人に寄っている。
第二十回でも、同じことを書いた。
古い時代の宗教画では、幼児が子どもとして描かれないことが多い。