作品を知る

子どもらしい体の比は、半分に満たない——カラッチ・ルーティ・ドゥカンほか九点

子どもは大人と体の比が違う。だが絵では、その比が守られないことが多い。九点で数えると、子どもらしい比は三点だけだった。青い上着の少年が二点ある。そして年齢は、どの記録にも書かれていない。犬と組み合わせて描かれる例が二点。大きさが近いので、手が自然に届く。

飲む少年
アンニーバレ・カラッチ《飲む少年》クリーヴランド美術館蔵

顔を上げて、飲んでいる

暗い背景の前に、少年がいる。

顔を大きく上へ向けている。

顎が上がり、喉が伸びる。

両手で、大きな器を持ち上げる。

器は、脚のついた丸い形である。

中に、琥珀色の液体が入る。

その液体が、口へ向かって傾く。

器の縁が、口に当たっている。

目は、器の縁の向こうにある。

こちらを見ているようにも見える。

白い襟が、首のまわりで乱れる。

袖が広く、腕が出る。

肩から、白い布が垂れる。

飲む少年
アンニーバレ・カラッチ《飲む少年》1582年から83年。館の記録では、布に油彩。55.8×43.7センチ。額を含めて79×67×5.5センチ。番号は1994.4。クリーヴランド美術館蔵。アンニーバレ・カラッチ《飲む少年》クリーヴランド美術館蔵

館の記録は、額を含む寸法も書いている。

79×67×5.5センチである。

絵そのものは55.8×43.7センチしかない。

額でひと回り大きくなる。

この作者の兄の版画は、第十五回に出てきた。

動く体の話で扱った一点である。

第十六回でも、その素描を見た。

同じ一族の作品が、三回に分かれて出ている。

館の記録によれば、この作者は兄と従兄弟とともに、絵の改革を行った。

自然をよく観察することを基礎にしたという。

そして、その様式が後の時代に大きな影響を与えたと記録は書く。

これは館の記述である。

こちらで確かめられるのは、顎が上がっている、ということだ。

九点を選ぶとき、記録に子どもの語があるものを拾った。

子どもは、大人と何が違うか。

体の比が違う。

そして、扱われ方が違う。

九点を並べて、数えたい。

第二十回で、母と子を扱った。

母と子の話では、抱く腕が問題だった。

今回は、子どもそのものを見る。

青い上着の少年が、二点ある

青い上着の少年の習作
ベネデット・ルーティ《青い上着の少年の習作》1717年。館の記録では、青い簀の目紙にパステルとチョーク、糊引きの紙に貼る。40.6×33センチ。番号は2007.360。メトロポリタン美術館蔵。ベネデット・ルーティ《青い上着の少年の習作》メトロポリタン美術館蔵

パステルの作品は、この回の九点で唯一である。

そして、扱いが難しい材料でもある。

粉が紙の上に載っているだけだからだ。

振動でも、こすっても落ちる。

だから、額に入れたまま動かさないのが普通である。

三百年前の一点が、この状態で残っている。

パステルで描かれた頭部である。

顔は右を向く。

目は、その先を見る。

頬が丸く、赤みがある。

唇は小さい。

髪は明るい褐色で、細かく巻く。

その巻きが、頭のまわりで膨らむ。

首元に、白い布がのぞく。

肩に、明るい青の上着を着る。

背景は、灰色がかった青である。

紙そのものが青いと、館の記録は書く。

つまり、下地の色が背景として働いている。

第七回で、色紙の使い方を扱った。

手の話で見たとおり、色紙は中間の明るさを最初から用意する。

パステルは、粉を紙にこすりつける画材である。

粉が紙の目に残る。

だから、表面がやわらかく見える。

そして、こすれば消えてしまう。

館の記録は、糊引きの紙に貼ったと書いている。

薄い紙を補強したのだろう。

青い上着の少年
アメリカ、18世紀(作者不詳)《青い上着の少年》1730年ごろ。館の記録では、布に油彩。121.5×83.5センチ。額を含めて135.6×98.1×3.4センチ。番号は1959.11.5。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。アメリカ、18世紀(作者不詳)《青い上着の少年》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

こちらは、全身の肖像である。

縦121.5センチある。

少年が立っている。

青緑の長い上着を着る。

前が開き、内側の明るい色が見える。

膝までの短い袴をはく。

脚には、赤い長い靴下。

靴には、留め金がある。

右手を腰に当てる。

左手は、下へ伸びる。

その手の先に、犬がいる。

白と茶の犬である。

顔を上げ、少年を見る。

背景の右に、厚い赤褐色の布が垂れる。

左の奥に、空と地面が見える。

九点のうち、二点の題が同じ形をしている。

「青い上着の少年」と「青い上着の少年の習作」。

作られたのは、十三年しか離れていない。

だが、片方はイタリアで、片方は北アメリカである。

そして、片方は頭部だけ、片方は全身だ。

第三回で、体をどこで切るかを扱った。

切る位置の話で見たとおり、切る位置で情報量が変わる。

頭部だけなら、顔と髪が分かる。

全身なら、衣と、持ち物と、立ち方が分かる。

そして、全身の一点には犬がいる。

第十九回で、犬は画面のいちばん下にいると書いた。

犬の話で見たとおり、犬は足元に置かれる。

ここでも、そうなっている。

犬が、二点に出てくる

九点のうち、犬が描かれるのは二点である。

全身の肖像と、農家の室内。

どちらも、子どもの足元にいる。

そして、どちらも子どものほうを向いている。

第十九回で、犬の位置を数えた。

犬の話では、犬は画面のいちばん下にいた。

上を歩く犬はいない、とも書いた。

この回でも、そうなっている。

だが、もう一つ気づくことがある。

犬は、子どもと組み合わせて描かれやすい。

大きさが近いからかもしれない。

立った子どもの腰の高さに、犬の頭が来る。

だから、手が自然に犬に届く。

全身の肖像では、少年の左手が犬の頭に触れている。

その触れ方が、二つの体をつないでいる。

もし大人の肖像なら、手は犬に届かない。

かがまなければならない。

つまり、この構図は子どもだから成り立つ。

大きさの近さが、関係の近さに見える。

館の記録は、そこには触れていない。

書かれているのは、題と、技法と、寸法と、出所の行だけである。

子どもが、大人の場所にいる