子どもらしい体の比は、半分に満たない——カラッチ・ルーティ・ドゥカンほか九点
子どもは大人と体の比が違う。だが絵では、その比が守られないことが多い。九点で数えると、子どもらしい比は三点だけだった。青い上着の少年が二点ある。そして年齢は、どの記録にも書かれていない。犬と組み合わせて描かれる例が二点。大きさが近いので、手が自然に届く。

顔を上げて、飲んでいる
暗い背景の前に、少年がいる。
顔を大きく上へ向けている。
顎が上がり、喉が伸びる。
両手で、大きな器を持ち上げる。
器は、脚のついた丸い形である。
中に、琥珀色の液体が入る。
その液体が、口へ向かって傾く。
器の縁が、口に当たっている。
目は、器の縁の向こうにある。
こちらを見ているようにも見える。
白い襟が、首のまわりで乱れる。
袖が広く、腕が出る。
肩から、白い布が垂れる。

館の記録は、額を含む寸法も書いている。
79×67×5.5センチである。
絵そのものは55.8×43.7センチしかない。
額でひと回り大きくなる。
この作者の兄の版画は、第十五回に出てきた。
動く体の話で扱った一点である。
第十六回でも、その素描を見た。
同じ一族の作品が、三回に分かれて出ている。
館の記録によれば、この作者は兄と従兄弟とともに、絵の改革を行った。
自然をよく観察することを基礎にしたという。
そして、その様式が後の時代に大きな影響を与えたと記録は書く。
これは館の記述である。
こちらで確かめられるのは、顎が上がっている、ということだ。
九点を選ぶとき、記録に子どもの語があるものを拾った。
子どもは、大人と何が違うか。
体の比が違う。
そして、扱われ方が違う。
九点を並べて、数えたい。
第二十回で、母と子を扱った。
母と子の話では、抱く腕が問題だった。
今回は、子どもそのものを見る。
青い上着の少年が、二点ある

パステルの作品は、この回の九点で唯一である。
そして、扱いが難しい材料でもある。
粉が紙の上に載っているだけだからだ。
振動でも、こすっても落ちる。
だから、額に入れたまま動かさないのが普通である。
三百年前の一点が、この状態で残っている。
パステルで描かれた頭部である。
顔は右を向く。
目は、その先を見る。
頬が丸く、赤みがある。
唇は小さい。
髪は明るい褐色で、細かく巻く。
その巻きが、頭のまわりで膨らむ。
首元に、白い布がのぞく。
肩に、明るい青の上着を着る。
背景は、灰色がかった青である。
紙そのものが青いと、館の記録は書く。
つまり、下地の色が背景として働いている。
第七回で、色紙の使い方を扱った。
手の話で見たとおり、色紙は中間の明るさを最初から用意する。
パステルは、粉を紙にこすりつける画材である。
粉が紙の目に残る。
だから、表面がやわらかく見える。
そして、こすれば消えてしまう。
館の記録は、糊引きの紙に貼ったと書いている。
薄い紙を補強したのだろう。

こちらは、全身の肖像である。
縦121.5センチある。
少年が立っている。
青緑の長い上着を着る。
前が開き、内側の明るい色が見える。
膝までの短い袴をはく。
脚には、赤い長い靴下。
靴には、留め金がある。
右手を腰に当てる。
左手は、下へ伸びる。
その手の先に、犬がいる。
白と茶の犬である。
顔を上げ、少年を見る。
背景の右に、厚い赤褐色の布が垂れる。
左の奥に、空と地面が見える。
九点のうち、二点の題が同じ形をしている。
「青い上着の少年」と「青い上着の少年の習作」。
作られたのは、十三年しか離れていない。
だが、片方はイタリアで、片方は北アメリカである。
そして、片方は頭部だけ、片方は全身だ。
第三回で、体をどこで切るかを扱った。
切る位置の話で見たとおり、切る位置で情報量が変わる。
頭部だけなら、顔と髪が分かる。
全身なら、衣と、持ち物と、立ち方が分かる。
そして、全身の一点には犬がいる。
第十九回で、犬は画面のいちばん下にいると書いた。
犬の話で見たとおり、犬は足元に置かれる。
ここでも、そうなっている。
犬が、二点に出てくる
九点のうち、犬が描かれるのは二点である。
全身の肖像と、農家の室内。
どちらも、子どもの足元にいる。
そして、どちらも子どものほうを向いている。
第十九回で、犬の位置を数えた。
犬の話では、犬は画面のいちばん下にいた。
上を歩く犬はいない、とも書いた。
この回でも、そうなっている。
だが、もう一つ気づくことがある。
犬は、子どもと組み合わせて描かれやすい。
大きさが近いからかもしれない。
立った子どもの腰の高さに、犬の頭が来る。
だから、手が自然に犬に届く。
全身の肖像では、少年の左手が犬の頭に触れている。
その触れ方が、二つの体をつないでいる。
もし大人の肖像なら、手は犬に届かない。
かがまなければならない。
つまり、この構図は子どもだから成り立つ。
大きさの近さが、関係の近さに見える。
館の記録は、そこには触れていない。
書かれているのは、題と、技法と、寸法と、出所の行だけである。