画家を知る

直径3センチから始まる——ジョン・シングルトン・コプリー

大画面のための素描

歴史画には準備が必要である。

「ジブラルタルの攻囲」のための習作——破損した長艇
ジョン・シングルトン・コプリー《「ジブラルタルの攻囲」のための習作——破損した長艇》1785〜1786年。淡黄色の紙にペンと褐色インク、黒チョーク。縦27センチ、横52.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・シングルトン・コプリー《「ジブラルタルの攻囲」のための習作——破損した長艇》メトロポリタン美術館蔵

横長の紙に、線だけで場面が描かれている。

左に倒れた舟。斜めに傾き、船底が見えている。

その周囲に人が重なり、手足が交錯している。

右には長い棒を持つ人物と、旗のような形。

水面は数本の線で示され、影はほとんど入っていない。

これは大画面のための構図の検討である。

人物の配置と重なりを確かめるための紙である。

顔の描写はほとんどない。位置と動きだけが問題になっている。

「チャタム伯の死」のための習作
ジョン・シングルトン・コプリー《「チャタム伯の死」のための習作》1779年。青い紙に黒チョーク、白チョークで明部を加えたもの。縦47.9センチ、横36.2センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・シングルトン・コプリー《「チャタム伯の死」のための習作》メトロポリタン美術館蔵

こちらは一人の人物を描いた素描である。

青灰色の紙に、立つ男が描かれている。

外套をまとい、右手を前に出している。

輪郭は黒いチョーク、明るい部分は白いチョークで置かれている。

紙の色が中間の明るさを担い、白と黒で立体を作る方法である。

同じ方法は、他の画家の素描にも見られる。

紙の色を使う技法については別のコラムで扱った。

顔は簡略で、姿勢と衣の襞に関心が集まっている。

素描の数の多さも意味を持つ。

大画面には、実在の人物が何人も登場する。

議会の議員、艦の将校、事件の当事者。

一人ずつ肖像を取り、それを画面に組み込む必要がある。

だから歴史画の準備は、肖像の作業の積み重ねになる。

前半の技術が、そのまま後半の工程に組み込まれていることになる。

大画面の中の一人分の役を、この紙で決めていることになる。

大画面の展示という商売

ロンドンでの活動について、もう少し書いておきたい。

18世紀後半のロンドンでは、大画面を単独で公開する興行が行われていた。

会場を借り、一点の絵を掛け、入場料を取る。

図録や版画を売り、収入を得る。

つまり絵そのものが興行の中心になる商売である。

歴史画の大画面は、この形式に適していた。

事件の場面であれば、話題性がある。

版画にすれば、絵を見ていない人にも届く。

この画家も、そうした興行と版画の販売に関わったと伝えられる。

肖像画は注文主の家に収まるが、歴史画は公開して稼ぐ。

商売の形が違えば、作る絵も違ってくる。

大画面の興行については別のコラムでも扱った。

小さな仕事が、大きな仕事を支えた

まとめておきたい。

この画家の前半は、小さな肖像の仕事だった。

象牙に3センチの顔を描き、銅板に4センチの人物を収める。

パステルで肌を作り、油彩で子どもの服を描く。

そこで身につけたのは、限られた面積に情報を収める技術である。

後半の歴史画では、それが別の形で使われている。

大画面の中に十人以上を配し、一人ずつの姿勢と表情を描き分ける。

面積は大きくなったが、一人あたりに割ける面積は小さい。

小さな肖像の経験が、群像の描き分けを支えたと考えられる。

素描の残りやすさ

公開分の構成にも触れておきたい。

歴史画のための素描が二十点以上ある。

完成した大画面は数点しか含まれていない。

理由は簡単である。大画面は動かない。

公共の施設や大邸宅に収まり、市場に出ない。

一方、素描は数が多く、束で市場に出る。

だから美術館の収蔵品では、素描の比率が高くなる。

私たちが公開画像で見られるのも、その比率に従っている。

移った先で、主題が変わる

もう一点、書き添えておきたい。

ボストンにいた頃、この画家は歴史画をほとんど描いていない。

需要がなかったからである。

注文主は商人と聖職者で、求めたのは自分の肖像だった。

ロンドンに移ると、展覧会があり、批評があり、歴史画の市場があった。

つまり主題の変化は、才能の変化ではない。

置かれた場所の需要の変化である。

同じことは、他の画家にも起きている。

市場が主題を決める仕組みは、版画の回でも扱った。

もう一点、政治的な事情もある。

渡英したのは1774年。独立戦争の始まる直前である。

ボストンでは緊張が高まり、注文が減っていた。

義父の側は英国寄りの立場だったとも伝えられる。

つまり渡英には、経済と政治の両方の理由が考えられる。

本人の言葉として確認できる範囲を超えるため、断定は避けたい。

確かなのは、以後アメリカへ戻らなかったことである。

二つの都市の顧客

顧客の違いも押さえておきたい。

ボストンでは、商人と聖職者が肖像を注文した。

ロンドンでは、議会の関係者や貴族、そして展覧会の観客が相手になる。

つまり顧客の層が変わった。

顧客が変われば、求められる絵も変わる。

個人の顔から、公共の場面へ。小さな板から、大きな画布へ。

主題の変化を才能の変化と読むと、この事情が見えなくなる。

画家の仕事は、注文する人の性質によって形を変える。

暮らしへ——小さい絵を、近くで見る

最後に、日常に持ち帰れる話をひとつ。

美術館で、いちばん小さな作品を探してみてほしい。

細密画、印章、硬貨、指輪。数センチの品が必ずある。

近づいて、どこまで細部が描かれているかを確かめる。

3センチの顔に目と鼻と口が入っていることに驚くはずである。

筆は、数本の毛を束ねたものだったと考えられる。

顕微鏡を使ったという記録は確認できないが、
拡大鏡を用いた例は他の細密画家について伝えられている。

そして、それを描いた道具の細さを想像してみてほしい。

拡大して見られる公開画像は、この観察にとくに向いている。

小さな作品を身近に置く楽しみは別のコラムにまとめた。

もう一つ。手元の小銭を一枚、拡大してみてほしい。

数ミリの文字と図像が入っている。

金属に刻まれた小さな像の話はこちらのコラムで扱った。

小さいものを見る訓練は、大きな絵を見るときにも効いてくる。

もう一つ。小さな絵を撮るときは、光を斜めから当ててみてほしい。

絵具の凹凸や、象牙の透けが見えてくる。

小さい作品ほど、材料の性質が見え方を左右している。

群として見ると、経歴が読める

最後に、公開分の使い方を書いておきたい。

64点を制作年で並べると、ボストンからロンドンへの移動が読める。

材料も、象牙、銅板、紙、画布と変わっていく。

一点ずつでは分からないことが、並べると見えてくる。

公開画像を群として扱う利点は、そこにある。

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