正確さは、何を保証するのか——トマス・イーキンズの解剖と写真
肖像画になると、暗くなる
後年、彼の仕事の中心は肖像画へ移る。

《書家》に描かれているのは、彼の父である。
角度に注目してほしい。やや高い位置から見下ろしている。立った人が、坐って書く人を見る角度である。
顔は下を向き、目は伏せられている。眼鏡をかけ、手元のペンと紙に集中している。
右手にペン、左手は紙を押さえている。指の一本ずつが描き分けられている。
机の上には大きな白い紙。そこに、渦を巻く飾り文字が書かれかけている。
左端に、真鍮の小さな道具。右手前には予備のペンが数本。
背景は暗い茶。光は左上から来て、禿げ上がった額と、両手と、白い紙を照らす。
肖像画でありながら、こちらを見ていない。人物の顔を見せることより、仕事をしている状態を描いている。

晩年の肖像は、さらに厳しくなる。
縦2メートルを超える画面に、男が一人。両手をポケットに入れ、うつむいて立っている。
背景には何も無い。灰褐色の面だけである。
装飾も、小道具も、身分を示すものも一切ない。
宮廷の肖像画が記号で身分を語っていたことを思えば、これは正反対である。別のコラムで扱っている。
ここにあるのは、一人の男が立っているという事実だけだ。
このモデルは、彼の義理の弟にあたる人物である。
親しい相手を、これほど突き放して描いている。愛想も、演出も無い。
晩年のエイキンズの肖像は、しばしばモデルに嫌われたと伝えられる。似すぎていて、よく見えないからだ。
依頼されて描いたのに、受け取りを拒まれた例もあったという。
肖像画が「本人をよく見せる」ための商品であることを考えれば、これは商売として成立しにくい。
同じ時代のアメリカで、肖像画がどういう商売だったかは別のコラムで扱っている。
教職を、追われる
経歴には、大きな挫折がある。
1886年、彼は美術学校の職を辞することになった。
男性モデルの腰布を、女子学生のいる教室で外したことが問題とされた。
彼の立場は一貫していた。人体を学ぶには、人体を見なければならない。
学校と保護者の立場も一貫していた。当時の社会規範では、それは許されない。
どちらが正しかったかを、いま簡単に裁定することはできない。ただ、彼が信じていた「正確さ」が、社会の規範と衝突した事例ではある。
なお、女性が美術教育の中でどう扱われていたかは別のコラムで扱っている。裸体を描く教室に女性が入れない時代が長く続いた。
エイキンズはその制限に反対する側だった。ただし彼のやり方は、当時としてはあまりに乱暴だった。
見立て——正確さは、何を保証するか
ここからは書き手の見方である。
エイキンズの絵は、まず「正確だ」と評価される。
私はそこに、一つ問いを立てたい。正確さは、絵の良さを保証するのか。
答えは、たぶん保証しない。
彼の作品の中には、正確でありながら硬いものもある。計算が画面の表に出すぎて、息苦しいものもある。
では、冒頭の川の絵はなぜ良いのか。
私は、正確さが静けさに変換されているからだと思う。
風がなく、水面が鏡になっている。その静止は、幾何学的な正確さがあってはじめて成立する。
少しでも歪めば、水は動いてしまう。動かないことを描くには、正確でなければならない。
つまりこの絵では、方法と主題が一致している。
一致していない作品では、正確さはただの几帳面さに見える。
「見る」ことへの信頼
もうひとつ。
彼が生涯こだわったのは、目で見て確かめられることだった。
解剖して確かめる。作図して確かめる。写真で確かめる。
その態度は、十九世紀後半の科学の気分と一致している。
同じころ、フランスではスーラが色彩の理論を頼りに点を並べていた。別のコラムで扱っている。
方向は違うが、根は同じかもしれない。確かめられるものに従いたいという欲求である。
ただし違いもある。スーラの理論は視覚の理論だった。見え方をどう作るかの話である。
エイキンズの方法は、対象の理論である。ものが実際にどうなっているかを確かめる。
見え方を作るか、事実を確かめるか。似た几帳面さでも、向いている先が違う。
そしてどちらの画家も、理論どおりにやれば良い絵になる、とは考えていなかったはずだ。
理論は出発点にすぎない。そこから先は、画面の判断になる。
暮らしへ——一点を、決めてみる
最後に、実践できる話をひとつ。
写真を撮るとき、消失点を意識してみるとよい。
廊下、道路、線路、部屋の壁。まっすぐな線がある場所なら、どこでも試せる。
それらの線を延長すると、画面のどこかで一点に集まる。それが消失点である。
その点を画面の中央に置くか、端に寄せるか。それだけで写真の印象が大きく変わる。
中央に置けば、安定して静かになる。端に寄せれば、動きが出る。
エイキンズの川の絵では、消失点は画面のほぼ中央、二本の橋のあたりにある。だからあれほど静かなのだ。
飾るときも、この考え方は使える。奥行きの強い絵は、正面から見る位置に掛けたほうがよい。斜めから見ると、作図が崩れて見える。
飾る場所と光についてはこちらのコラムで扱っている。






