指すのは、犬である——プラクシテレス・ティエポロ・バリーほか九点

館の記録は、短い。
作者の生没年もない。
題と年と材料と寸法だけである。
前の一枚と、題が同じである。
英語の綴りまで同じである。
作者は違い、館も違う。
それでも、同じ二語が付いている。
ここでわかるのは、これが題ではなく分類だということである。
この構図の絵は、この二語で呼ばれる。
作品ごとの名ではない。
指すという語は、この場合、種類の名である。
分類の名は、繰り返し使われる。
使われるほど、もとの意味は薄くなる。
九点のうち三点が、犬の絵になった。
指を持たないものが、指すことの三分の一を占める。
水を指す、という器
磁器の器である。
蓋を入れた高さは17.8センチ。
胴の直径は16センチ。
胴は、卵形に張る。
上へ行くほど、すぼまる。
蓋は黒い漆で、平たい。
つまみは、小さな環である。
釉は、緑がかった透明である。
その下に、彫りが見える。
牡丹の花である。
花は、胴の下のほうから始まる。
蕾が一つ、開きかけている。
上へ行くにつれ、花が開く。
葉は、大きく波打つ。
線は、浅い。
指でなぞれば、わかる程度である。
釉のたまったところだけ、色が濃い。
彫りの溝が、そのまま線になっている。

館の説明は、この形と文様の関係を書く。
丸い胴と、主客が座る位置を考えて意匠が組まれている。
低いところに、咲きはじめの花がある。
つまり、座って見る高さに合わせてある。
この器の名は、水指である。
指の字が入っている。
しかし、指は関係ない。
水を差す器だから、水指と書く。
差すと指すが、同じ音である。
だから漢字が入れ替わって定着した。
機械でこの字を探すと、この器が出てくる。
指の語を含む記録として、正しく出てくる。
記録の上では、指のある器である。
しかしそれは、字の上のことにすぎない。
この器に触れる指は、写っていない。
前の回でも、同じことが起きた。
鼓が、手の語で出てきた。
手は、切り離しても手であるで扱ったとおりである。
もう一つの、水指
陶器の器である。
高さは19.4センチ。
直径は15.7センチ。
胴は、ほぼ円筒である。
上下の径が、あまり変わらない。
地は、淡い灰白色である。
細かい貫入が、全面に入る。
胴に、草が描かれる。
薊らしい花が、何本も立つ。
葉は細く、鋸歯がある。
花は紫と赤で、点のように小さい。
右のほうに、四角い箱がある。
蜂の巣箱に見える。
蓋は木で、飴色である。
蓋のつまみは、象牙である。
小さな彫りが入る。
透かしのように、いくつか穴が開く。

館の札は「虫」と「花」である。
やはり、指の札はない。
この器も、名に指の字を持つ。
前の一点と、同じ理由である。
二つ並べたのは、これが一つの偶然ではないからである。
水指は、器の種類の名である。
その種類に属する器は、数えきれないほどある。
つまり、指の字を持つ器は、いくらでも出てくる。
機械で数えれば、指の記録はまず器で埋まる。
人の指を探しているのに、器が返ってくる。
そういう検索を、こちらは毎回している。
だから、返ってきたものを人が見る工程が要る。
今回も、十二点の候補を見て九点に絞った。
数えてみると
九点を数え直しておく。
人の指が画面に写っているのは、四点である。
アポロンの断片、高位聖職者、クラウディウス、魔術師。
犬が指しているのは、三点。
器の名に指の字があるのは、二点。
四と三と二で、九になる。
人の指が出ているのは、半分以下である。
さらに細かく見ると、四点の内訳も割れる。
握る指が一点、垂れる指が一点、示す指が二点。
示す指の二点は、どちらも人差し指だけを使う。
他の指は、軽く曲げてある。
一本だけを伸ばす形が、示すという意味を作る。
二本を伸ばせば、別の意味になる。
全部を伸ばせば、掌を見せることになる。
本数が、意味を分けている。
犬の三点では、体全体が一本になる。
伸ばす本数が、一本であることは共通している。
器の二点は、指とまったく関係がない。
音が同じだから、字が入っただけである。
言えることと、言えないこと
言えるのは、指が二つの働きを持つということである。
一つは、握ること。
もう一つは、示すことである。
握る指は、相手に触れる。
示す指は、触れない。
触れずに届かせるために、一本を伸ばす。
その一本が、言葉の代わりになる。
指名という語が、それをよく表している。
言えないことも、いくつかある。
まず、犬の三点を指と呼ぶのは、日本語の側の都合である。
英語では、指の語は使われていない。
訳した時点で、指が入りこんだ。
だから、この三点は原語の記録では指の絵ではない。
次に、器の二点は完全な偶然である。
差すと指すの音が同じだったから、こうなった。
漢字を使わない言語では、この重なりは起きない。
つまり、この九点の並びは日本語でしか成立しない。
別の言語で同じ主題を組めば、別の九点になる。
それは欠点ではなく、こちらの立ち位置である。
日本語で名画を読むとは、そういうことでもある。
最後に、アポロンの断片が握っていたものは、わからない。
館は枝だろうと書くが、断定はしていない。
指の開き具合から推測しているだけである。
失われたものの太さを、指の形が覚えている。
覚えているのは、指のあいだの隙間である。
隙間は、何もない場所である。
何もない場所が、寸法を持っている。
覚えているが、答えは出ない。
九点のうち、いちばん多くを語ったのは、この何も持たない手だった。








