作品を知る

四百年、同じ構図が続く——ルノワール・セザンヌ・ルドンほか九点の花瓶画

四百年の年表

九点の年を並べたい。

十七世紀後半が一点。

一七〇〇年ごろが一点。

一七八〇年が一点。

一八六六年が一点。

一八七七年が一点。

一八七九年から一八八三年が一点。

一八八一年が一点。

一九〇〇年から一九〇三年が一点。

一九一二年から一九一四年ごろが一点。

つまり、古い三点と新しい六点に分かれる。

そのあいだに、八十年ほどの空白がある。

一七八〇年から一八六六年まで、一点もない。

これは偶然だろう。

九点は、主題で選んだにすぎない。

だが、館の所蔵の傾向も混じっているかもしれない。

第十七回で、収蔵の偏りについて書いた。

寄贈者の好みが、館の内容を作る。

十九世紀のフランス絵画は、寄贈が多い分野である。

そして、十八世紀後半から十九世紀半ばの花の絵は、それにくらべて少ない。

館の記録の番号を見ると、時期も分かる。

いちばん早く館に入ったのは、一九〇七年の一点。

いちばん遅いのは、二〇〇三年の二点。

ほぼ百年の幅がある。

器の形を比べる

七点の花瓶を並べたい。

十七世紀の一点は、脚のある石の器である。

一七〇〇年ごろの一点は、花に隠れて見えない。

一七八〇年の一点は、青い陶器で首が細い。

十九世紀の三点は、それぞれ違う。

厚塗りの一点は青緑の陶器。

菊の一点は暗い色で、小さい。

セザンヌの一点は青と白で、把手がある。

そして、最後の一点は白い陶器である。

つまり、石から陶器へ移っている。

古い二点は、古典的な形の器を使う。

脚があり、口が広がり、彫刻が入る。

新しい五点は、日常の器である。

台所や居間にありそうな形である。

この変化は、絵の役割と関係するだろう。

古い形式では、花瓶も含めて豪奢を描く。

新しい形式では、花そのものを描く。

器は、花を立てるための道具にすぎない。

だから、平凡な器でよくなる。

花の数を数える

七点の花瓶画で、花の数を見たい。

十七世紀の一点は、二十を超える。

一七〇〇年ごろの一点も、同じくらい。

一七八〇年の一点は、十五ほど。

厚塗りの一点は、数えられない。

塊が重なって、境が分からない。

菊の一点は、四十ほど。

セザンヌの一点は、十ほど。

ルドンの一点は、十五ほど。

つまり、新しくなるほど減るわけではない。

菊の一点がいちばん多い。

そして、セザンヌの一点がいちばん少ない。

数の多さは、時代ではなく作者の選択である。

多く詰めれば、球のような塊になる。

少なくすれば、一本ずつの形が見える。

そして、塊にすると、種類が分からなくなる。

一本ずつなら、何の花か読める。

古い三点は、種類が読める。

薔薇、百合、チューリップ、矢車菊。

これは意図されている。

第十四回で書いたとおり、種類を並べること自体が主題だった。

季節の違う花を、一つの花束にする。

実際には同時に咲かない花を並べる。

つまり、この形式の花束は現実の束ではない。

描くために組み立てられた束である。

背景の色を並べる

九点の背景を、色で並べたい。

十七世紀の一点は、暗い灰緑。

一七〇〇年ごろの一点は、ほとんど黒。

一七八〇年の一点は、暗い茶。

厚塗りの一点は、暗い赤茶。

菊の一点は、紫を帯びた灰。

セザンヌの一点は、緑と黄土の帯。

ルドンの一点は、明るい赤茶。

風景画は、白い雲と青い山。

室内画は、部屋そのものである。

つまり、静物の七点は暗い色が多い。

そして、時代が下ると明るくなる。

理由は照明にもあるだろう。

第十五回で、絵が飾られる場所について書いた。

蝋燭やランプの部屋では、暗い絵が沈む。

だから、明るい部分の対比を強くする。

暗い背景に、明るい花を置く。

そうすれば、少ない光でも花が見える。

電気の照明が広まると、この必要が減る。

背景を明るくしても、絵が読める。

生けた人は、描かれない

最後に、九点をまとめておきたい。

七点は、花瓶に生けた花の絵である。

一点は、名前だけが花束の風景画である。

そして一点は、手に持った花束の争いである。

七点の静物には、人がいない。

だが、誰かが花を摘み、切り、器に入れた。

その仕事は画面に出てこない。

出てくるのは、生け終わった状態だけである。

第十四回で、静物画は時間を止めると書いた。

止めた瞬間の前に、必ず人の手がある。

十七世紀の一点だけが、その痕跡を残している。

台の上に落ちた、白い小花である。

生けるとき、こぼれたものである。

そして、九点目の室内画には、人がいる。

花束を高く上げる男の子がいる。

その花束も、誰かが束ねたものである。

だが、束ねた人は描かれない。

争っている子どもだけが描かれる。

つまり、花はいつも、できあがった形で絵に入る。

摘む場面も、束ねる場面も、この九点にはない。

額まで写る一点

風景画の写真について、書き添えておきたい。

この一点だけ、額に入ったまま撮影されている。

金色の額が、写真の四辺に写る。

残る八点は、画面だけである。

第十五回で、館の写真の作法について書いた。

原則として、額は外して撮る。

額は、絵そのものではないからである。

そして、額は後年に付け替えられることが多い。

だから、記録の写真からは外す。

では、なぜこの一点だけ額が残るのか。

館の記録には、理由が書かれていない。

撮影の時期の違いだろう。

古い写真をそのまま使っている場合がある。

あるいは、額が作者の指定によるものかもしれない。

いずれにせよ、見る側には情報が増える。

額の幅、色、装飾の有無。

そして、絵の縁がどこで切れるかも分かる。

第十七回で、記録の不揃いについて書いた。

不揃いは、しばしば新しいことを教える。

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