実景と、空想の景——グアルディのヴェネツィア
祝祭は、都市の商売でもあった
祝祭についても補いたい。ヴェネツィアでは、年ごとに大きな祝祭が催された。
海に関わる儀式、聖人の祝日、外国からの賓客の歓迎。いずれも都市を挙げての催しである。
祝祭には人が集まり、金が動く。つまり祝祭は、都市の経済とも結びついていた。
その情景を描いた絵が売れたのも、同じ理由である。催しの記憶が、商品になる。
消えたものが、絵に残る
この一点の性格に触れておきたい。描かれた壇は、いまは存在しない。
つまりこの絵は、消えた建造物の記録である。写真のない時代には、絵がその役目を担った。
ただし、記録としての正確さは保証されていない。装飾を強調したり、群衆を増やしたりすることは容易である。
記録に見える絵と、記録そのものは違う。その区別については、
別のコラムで扱った。
教会を、遠くから見る
もう一点、実景を見たい。

小さな画面である。縦32.4センチ、横52.7センチ。
中央奥に、大きなドームを持つ教会が立つ。ドームの脇に、小さな塔が並ぶ。
手前は広い水面である。舟が散らばり、帆柱が斜めに立つ。
左には低い建物と、荷を扱う人々。右は水路が続き、遠くに霞む。
空は灰色がかっていて、雲の形が緩い。建物の輪郭も、線ではなく色の境で示される。
空の色が、時刻を示す
空にも注目したい。15点の空は、いずれも違う色をしている。
明るい水色の空、灰色の垂れた雲、桃色を帯びた夕方の空。
同じ都市を描きながら、天候と時刻が描き分けられている。
つまり眺望画は、場所の記録であると同時に、その日の空気の記録でもある。
ただし、実際にその日その場所で描かれたとは限らない。素描をもとに工房で仕上げる方法も一般的だった。
筆が、速い
技法にも触れておきたい。この画家の筆は速い。
窓の枠、人物の腕、舟の縁。いずれも一筆で置かれている。
近づいて見ると、線が途切れ、絵具の粒が見える。しかし離れると、形として読める。
同じ効果を狙った画家の話は、別のコラムで扱った。
速い筆は、数を作るのにも向いている。眺望画は、需要の多い商品だった。
存在しない景色
ここから、空想の景を見たい。

題名に「空想的」とある。実景そのままではない、という意味である。
画面の右に、円筒形の大きな建物が立つ。上部に旗が翻り、周囲を城壁が囲む。
左には橋が架かり、その奥に町並みが続く。遠くに大きなドームが見える。
手前は水辺で、小舟と人物が数人。
サンタンジェロ城も、遠くのドームも、実在の建物である。しかし位置関係は実際と違う。
つまり、実在の要素を組み替えて作られた景色である。
素描が、下敷きになる
制作の手順にも触れておきたい。眺望画は、屋外で完成させる絵ではない。
現場で素描を取り、工房で油彩に仕上げるのが一般的だった。
そのため、同じ構図の作品が複数残ることがある。素描という型が、繰り返し使われるからである。
素描の役割については、別のコラムで扱った。
当サイトの公開分に、この画家の素描は含まれていない。
組み替えるという方法
カプリッチョの作り方を整理したい。実在の建物を、別の場所に置く。
廃墟を加え、水路を通し、人を配置する。それらしく見えるが、その場所は存在しない。
これは嘘ではなく、当時認められた形式である。買う側も、空想であることを承知していた。
現代の言葉に置き換えれば、実在の素材で作った架空の風景である。
大画面のカプリッチョ
規模の大きな一点も見たい。

大きい。縦122センチ、横178センチ。先の一点の、面積で四倍以上ある。
画面の中央に、崩れかけた塔が立つ。石が欠け、上部が不揃いである。
その右に、古代風の柱が三本並ぶ。柱頭だけが残り、屋根は落ちている。
手前には低いアーチの橋が架かり、下を水が通る。
左には帆船の帆柱が立ち、遠くに海が広がる。手前の岸で、人々が荷を扱う。
つまり、廃墟と港と橋を組み合わせた景色である。
大画面は、誰のためか
大きさの意味も考えたい。縦122センチ、横178センチの画面は、旅行者が持ち帰る大きさではない。
壁に掛けるための絵であり、注文主は現地の邸宅か、外国の貴族だと考えられる。
つまり同じカプリッチョでも、寸法によって客が違う。
小品は土産、大画面は室内装飾。市場が二層に分かれている。
廃墟は、なぜ好まれたのか
主題の背景にも触れておきたい。18世紀のヨーロッパでは、古代の遺跡への関心が高まった。
発掘が進み、旅行者が遺跡を訪ねるようになる。廃墟は、時間の経過を示す主題として好まれた。
同時に、装飾としても使いやすい。崩れた形は、画面に変化を作る。
つまり流行と実用の両方が、この主題を支えていた。