光輪に打ち込まれた祈り——サーノ・ディ・ピエトロほか九点
額の布に、文字を置く
九点のうち一点は、輪ではない。
聖母の額に巻かれた細い帯である。
そこに、短い祈りが書かれる。
受け入れたまえ、という意味の語で始まる。
つまり、輪の代わりに帯を使っている。
北の国々の絵では、光輪を細い線だけで描くことが多い。
線が細ければ、文字は入らない。
そこで、別の場所を探す。
額の帯は、その解決である。

細長い縦の板である。
中央に、年配の女性が座る。
黒い衣に、白い頭巾をかぶる。
その膝の前に、若い女性が座る。
赤い衣が、床いっぱいに広がる。
膝の上に、裸の幼児が座る。
幼児は、小さな本に手を伸ばす。
背後に、灰色の石の壁が立つ。
壁の上に、小さな彫像が並ぶ。
床は、色石を組んだ模様である。
若い女性の額に、細い帯が見える。
衣の縁に、書く
最後の一点は、衣の縁に文字がある。
聖母の外衣の、縁飾りの上である。
書かれているのは、復活祭の歌の一節だ。
天の女王よ、喜べ、という言葉である。
つまり、これも決まった句である。
館は、句を写し、訳を添える。
さらに、この句が何の歌からかを注記する。
出典を示すのは、確かめられるようにするためだ。
読む人は、その歌を探して全文を読める。

縦長の板で、上が丸く切られる。
中央に、若い女性が立つ。
濃い青の外衣が、体を包む。
裾が床に広がる。
内側は緑の衣である。
髪は長く、金色である。
その右に、年配の男性が立つ。
杖を持ち、赤い帽子をかぶる。
左に、天使と小さな人物が並ぶ。
上に、赤い天蓋が張られる。
地は金で、細かい草模様が打たれる。
円に沿って、文字を並べる
曲線に沿って文字を並べるのは、難しい。
一文字ずつ、角度を変えなければならない。
しかも、間隔を揃える必要がある。
外側と内側で、必要な長さが違う。
外側は長く、内側は短い。
だから、文字は少し扇形に歪む。
九点の輪の文字も、そうなっている。
近くで見ると、上が広く下が狭い。
歪みを承知で、円に合わせている。
光輪という、平面の道具
光輪は、頭の後ろの円である。
立体としては、成り立ちにくい。
正面から見れば円だが、横から見れば線になるはずだ。
しかし、多くの絵では常に円のままである。
つまり、写実の外にある。
写実の外にあるから、文字を置いてもよい。
現実の物なら、文字が書いてあれば理由が要る。
光輪は、はじめから記号である。
記号の上に文字を置くのは、矛盾しない。
見えない文字と、見える文字
九点の中で、いちばん読みやすいのはどれか。
おそらく、名を書いた一点である。
短く、はっきりしている。
いちばん読みにくいのは、光輪の祈りだ。
細く、曲がり、金の上に金で打たれる。
つまり、読ませる気があまりない。
それでも書かれている。
読ませることが目的ではないからだ。
書くことが目的だった。
そう考えると、九点の文字は二種類に分かれる。
誰が、その文字を読んだのか
教会に来る人の多くは、読み書きができなかった。
ラテン語なら、なおさらである。
では、誰のための文字だったのか。
一つは、聖職者のためだろう。
一つは、神への捧げ物としてだろう。
読まれなくても、そこにあることに意味がある。
そう考えると、この文字は掲示ではない。
祈りそのものである。
書くこと自体が、行いだった。
記録が、出典を書く理由
館の欄は、聖書の章と節まで書く。
これは、ほかの欄にはあまりない親切さである。
なぜ書くのか。
言葉が、絵の外にあるものだからだ。
画家が考えた言葉ではない。
千年以上前から伝わる文である。
だから、出どころを示せる。
示せるものは、示す。
そうすれば、読む人は元の文脈まで辿れる。
金地は、なぜ選ばれたか
九点のうち六点は、金の地に描かれている。
金は高い。
薄く延ばして貼るので、技術も要る。
それでも使われたのは、光を返すからだ。
蝋燭の光を受けて、板全体が輝く。
暗い教会の中で、そこだけが明るくなる。
打ち込んだ文字も、同じ理屈で光る。
材料が、見え方を決めている。
文字を打つ、道具と手つき
金地に文字を打つ道具は、小さな鏨である。
先端に、点や丸や星の形が彫ってある。
それを金の面に当て、槌で叩く。
一打ちごとに、一つのくぼみができる。
文字を作るには、何十回も打つ。
曲線に沿って、間隔を揃えて打つ。
手が狂えば、文字が歪む。
九点の光輪の文字は、いずれも整っている。
慣れた手の仕事である。
消えかけた文字と、金の傷み
金地は、傷みやすい。
薄い箔だから、こすれれば剥がれる。
剥がれれば、下の赤い下地が出る。
打ち込んだ文字も、一緒に消える。
九点のうち一点は、まさにそうなっている。
三つの輪のうち、二つがほとんど読めない。
金が減り、くぼみが浅くなったのだろう。
館は、その状態をそのまま書く。
読めないと書くことも、状態の記録である。
同じ句が、なぜ選ばれ続けたか
最後に、同じ句の繰り返しを考えたい。
四点に同じ文があるのは、偶然ではない。
その句は、毎日唱えられる祈りの冒頭である。
誰でも、耳で知っている。
読めなくても、そこに何が書いてあるか分かる。
つまり、読ませるための文字ではない。
思い出させるための文字である。
見た人が、その先を心の中で続ける。
書かれているのは、始まりの数語だけでよい。
記録が、九点を並べてくれる
一つの教会で、この四点を並べて見ることはない。
いま、記録の上でだけ並べられる。
四点の欄を読み比べれば、揺れが見える。
呼びかけの有無。
綴りの違い。
点の打ち方。
省略の仕方。
同じ句が、四通りに書かれている。
その四通りが、四人の職人の手つきである。
欄の中に、手つきが残っている。









